次第に本となってしまうブログというもの

大学への進級祝いとして叔父さんからもらったベリービッグマネーで買ったネットブック、興奮して猥褻サイトのお気に入りばかり増えたものである。

 

 

あるテキストブロガーの方の記事を読み、触発され開始した初代ブログ。

 

「あ~俺も世相とか大勢を独自の視点でぶった切りて~」という斜に構えた若者特有の破壊衝動と抑圧された感情表現の捌け口として、最初の半年ぐらいは毎日ブログを更新し続けていたらしい。

 

日記、雑記形式ならまだしも、毎日何かしらのアニメかラジオか雑誌の感想や考察を投稿していたのだから、当時どれだけ孤独に過ごしていたのかがよく分かる。

 

アニメのクール終わりは各作品の全話を総括した記事が書けるのと、新アニメが始まると第1話の感触はもちろん今後の展望とか書けるので結構楽だったが、その中間の時期も無理くり話題を探して書き続けていたのは、狂気に迫るものがあった。

 

最初はアニメ、ラジオ、声優についてのことだけだったが、次第にライブとかイベントに行くようになったので、イベントの感想レポに力が入るようになった。

 

というのも、行ったライブや舞台に出ていた演者の方からもブログ良かったです的なコメントを貰うことが少なくなかったので、単純に、それが凄い原動力になったのだ。

 

ただ、レポを書くのは本当に疲れるのだ。個人的な信条として、イベント・ライブの最初から最後まで何があったか、何を話していたのか事細かく書きたい人間だった。そのため、レポの度に脳みそを雑巾絞りして記憶の限り思い出しては書く作業を自らに課していたのだ。少しでも記憶が鮮明な内に記録しておきたいので、帰宅即書き始めることもままあった。

 

ある種の転機となってしまったのが、ブログを読んでくれた人とイベントに行くことが増えたことである。イベント後に食事がてら感想を語り合っていると、不思議とブログに書こうという気がなくなってしまうのである。いわば、賢者タイムの亜種のような状態である。

 

それでも毎回ほぼぼっち状態の現場もあったので、それについてはものすごい熱量でレポを書いていたのだが、その、一番熱量を持っていた声優さんの現場を他界したので、ものすごい勢いでブログを書く気力を失ってしまったのだ。

 

信頼できる友人複数人に話す、というか、もはや懺悔に近い形でその体験談を語るというリハビリを2,3年続けて、そのことについては克服することができた。マジで感謝。

 

さて、初代ブログはアニメや声優のことについて結構硬派な感じで書いていたのだが、1回の他界で、これまでの全てが間違いだったというか、壮絶なちゃぶ台返しを食らった形になってしまったので、これ以上新しいことは書けないし、情熱そのものが失われてしまった。

 

 

それで、何を思ったのか、アニメ声優業界に限りなく近い業界の池のほとりで働くようになり、「え~マジすか~」みたいな話ばっかり聞くようになり、ますます初代ブログに書けるようなことが無くなってしまったのだ。

 

 

翻って、あの他界から2ヶ月ぐらいしてケロっと新しい現場に通いつめることになるのだが、既にブログに書き起こすというマインドはさらさらなかったので、「イエ~イベントたのしー」って独りで言って帰るだけであった。

 

追っかけた先が某アニメの声優ユニットだったので、年末にはあっと言う間に実質解散ライブが行われ、ライブ後は恐ろしい喪失により夜の新宿の街を泣きながら歩いたものだ。

 

しかし、このまま終わりたくなかったので、久々に丸々ライブレポを書こうと思ったのだ。

 

だが、自分としては手垢が付きすぎている初代ブログには書けないなと思っていたので、匿名の別ブログを開設して、そっちにレポを上げたわけである。

 

いや、もともとハンドルネームなのに何が匿名やねんっていうのは、わかるよ。

 

要するに、すごい硬派な感じでやってきたのに、あっさり推し変したことになるのが凄く嫌だったという話である。みんなもガンコ親父の豚骨ラーメン屋が急にバーニャカウダ提供しだしたら嫌でしょ。

 

それで、そのユニット解散の直前に別のユニットが組まれていたので、実質そちらに移行することで気持ちの空中分解が防がれたのだが、その現場も常時ぼっちだったので、これでまたブログのネタが増えたなと思ったのだ。

 

しかし、そのユニットがえらいイベントが多く、ブロガー(?)としてのピークが既に過ぎていた筆者には手に余る状態だったし、単純に休めなくて行けないことも少なくなかった。

 

そして半年ほどで匿名ブログも更新停止。

 

ただ、更新停止した頃には、新しい現場でも既に知り合い、顔見知り程度の人間付き合いができていたので、初代ブログの時同様に、喋ると書く気が無くなる賢者モード亜種に入っていたのも停止の大きな要因であった。

 

 

それで、大雑把に言うと、ちょうど2年ぐらい前に組長が「みんなブログやった方が良い」みたいなことを言っていたので、始めたのがこの3代目ブログブラザーズなのだ。

 

ツイッターは短文を投稿するマシーンなので、長文でしか自分の心の性感帯に触れられない筆者にとしては、遅かれ早かれ題名のないブログが必要になったのではないかと思う。ロクなこと書いてないけど。

 

3度目の正直と言わんばかりに、今度は話題や方向性を設定しないことで長続きするだろうと思った。しかし、そのキャンバスの真っ白さとテーマの無さが、かえって筆を鈍らせることを初めて知ったこの2年でもあった。

 

昔から、「何やっても良いよ」みたいのが苦手で、夏休みの工作は、兄弟の作った雪だるまの貯金箱をそのまま自分の物として提出して、次の年はそれを茶色に塗って耳を足した物をクマの貯金箱として提出したり、読書感想文は3年連続『ぞうをください』で凌いだり、6年生の時は感想文自体提出しないままやり過ごしたり(※いい子のみんなはちゃんと宿題はやろうね)、ただでさえ長期休みの宿題が苦手なのに、テーマを丸投げにされると億劫さに拍車がかかったものだ。

 

 そうは言いつつ、これまでのブログでは触れられなかった分類のことについて自由に書き残して置けるのは結構良い。特に最近記憶力がヤバいので(ついでに語彙力もヤバい)、忘れても読み返せば思い出せるようになっているのは良い。正直、思い出してもなんの足しにもならないことばりだが。

 

これまでは、どういうわけか、自ら勝手に設定した目には見えないブログの方向性や切り口、そしてテーマの統一感にがんじがらめになってしまい、やがて実際の自分とギャップが生じてしまい筆が折れてしまった。

 

放置ブログ2件のことをできるだけ仰々しく表現してみた。

 

3度目の今回こそは、できるだけ自由に好き放題書き続けたいのだ。どの文学作品の主人公が言ったのか忘れたが、以外に薄志弱行な人間なので、ちゃんと明言しておかないとすぐに流されてしまうのだ。

 

あと、初代ブログを読んでいてくれたV氏が、「◯◯◯◯◯さんは人の良い所を見つけて褒めるの上手」だと褒めてもらったことがある(チキンなので当時のハンネを全モザイクしてしまった)。未だにその自覚はないが、そう言われるのならそうなのだろう。何かの良い所を見つけて褒めちぎりたい。

 

長濱ねるちゃんってほんとにかわいいですよね。たまにでる方言とか特に。

 

 

前々回の更新から4ヶ月空いてしまったが、トラック野郎ヨシダさん(架空の人物)がツイッターで「クソみたいな短文増えろ派」だと言っていたので、なるほどクソみたいな短文でも良いから書こうと思ってみると、意外とすんなり書ける、所詮人間のやる気などその程度で湧き出るものなのだ(ちなみにヨシダさんはこのブログの存在を知らない)。

 

ということで、これまでは、まるで本のように自らにテーマを課してブログを書いてきたが、2019年からは、よりテーマレスでクソみたいな短文(当社比)を量産していきたいと思った次第である。

大人になるまで噛んで食っていた物

・チョコレート

正直今でも噛んで食べているし、それ以外の食べ方はないとさえ思うが、近年新しい楽しみ方を発見してしまった。

 

それが、熱々の紅茶やコーシーで口腔内をチンチンにしてからチョコレートを食べるという作法である。ほど良く高温になった舌の上で溶けるチョコレート、僥倖の極みである。

 

知っている人は知っているのかもしれないが、筆者はごく最近自分自身でこの方法を編み出してしまった。もし筆者がこのコンボの最初の立案者ならドバイの高層マンションの1つや2つチョチョイのチョイだったのかもしれないと思うと、とても悔やまれてならない。

 

・アメ玉

「アメをなめる」という幼稚園レベルの例文があるにもかかわらず、筆者は長らくアメ玉は噛み砕いて破片化、いわゆるキャンディーフラグメントの状態にしてから舐めていたのだ。アメからすれば別の意味で舐められていると思っていたかもしれない。

 

それをやめたのは、大学生になってから毎日アメ玉を一つ口に放り込んでから学校に向かうようになったからである。つまり「あっ、これ噛むより口の中で転がしてる方が長く楽しめるんだな」と気づいた訳である。

 

ただ現在でも終わりかけのアメは容赦なく噛み砕いてしまう。アメよ、世の中はそんなに甘くないのだよ。

 

 

・ソフトクリーム

チョコレート同様、今でも普通に噛んで、というか齧って食べている。筆者は、いち早く口の中を当該氷菓子の味でいっぱいにしたいので、アイスを持つと齧らずにはいられないのである。

 

よく成人男性が見ることでお馴染みのIV(イメージビデオ)では、ナニかの暗喩、つまりナニのメタファーとして棒状のバニラアイス等をチロチロ舐めている場面が散見されるが、全てのアイスを齧る派の筆者としては、その行為がナニを暗示しているのかとは別として、「早く齧れよ」と思わずにはいられなのである。

 

もちろん、アメ玉と同様に舐めて楽しんだ方が長く楽しめるし、次第にアイスが溶けていくことで、初手とは違った舌触り、滑らかさのグラデーションをも味わえることは承知している。それでも筆者は、むしろその定石にいちべつもくれずに齧り倒す背徳感、征服感に浸っているのだ。

 

 

さて、どこかで「齧るのは親のスネだけにして欲しい」みたいのを入れたかったが入らなかったので文末で供養したい。

 

アーメン。

死ぬまでこの頭痛と共に生きる

「頭痛で頭が痛い」という様に、二重表現の代表格(他には「右に右折」や「殿さまキングス」等がある)である頭痛。そして、日々この鬱陶しい頭痛に悩まされている人も少なくないだろう。他ならぬ筆者もその一人である。

 

 

筆者は子供の頃から喉が弱く、風邪をひくと必ずと言っていいほど扁桃腺が腫れたもので、未だに「あなたの風邪はどこから?」「私は喉から」状態なのだ。もしくは喉に近い鼻風邪が酷いパターンもあり、鼻から突きたてのところてん並に鼻水が出たものだ(お食事中の方、ところてん業に従事の方、大変失礼致しました)。

 

というわけで、大人になるまで頭痛に悩まされたことはなかったのである。

 

 

何かおかしいなと思ったのは、働き始めてから2年目の夏、心身共にかなり疲弊し始めた頃で、月に数回頭が痛い日があったのである。

 

明らかにおかしいなと思ったのはその秋で、毎週のように頭の痛い日があった。一見ランダムの様に発症するので、普段使いのカバンにバファリンを常備するようになり、未だに松屋はなまるうどんのコップを見るとあの日々を思い出すものである。

 

流石に連日のように頭が痛いのでネットでめちゃめちゃ調べたり(筆者は気になることがあるとめちゃめちゃネットで調べる)、自身で発症したときの状況や傾向を覚えるようにしてみると、なんとなく天候が関係しているのではないかと思ったのである。

 

正直な話、気圧で頭や関節が痛くなったり、古傷が傷んだり倦怠感に襲われる人のことを「ダセぇw」と思っていたのだが、まさか自分がその立場になるとは思わなかったので、めちゃくちゃ反省した。今ならその気持ちわかるよ、うん。

 

大抵は雨が降りそうになると症状が出るというのは知っていたが、筆者の場合は雨が止むと頭痛が起こることが多かった。自分自身ですげぇと思ったのは、雨が降っているときに地下鉄に乗ると途中で頭が痛くなり始めた。「これはもしや?」と思いつつ地下鉄が地上の線路に出ると雨が止んでいたのだ。まさに人間アメダスである。

 

賢明な読者の皆様は既にお気づきのとおり、これはただのレアケースである。しかし、当時の自分にとっては十分すぎる統計、強い相関性を持った因果関係であり、雨の日やにわか雨が本当に嫌いになったものである。

 

仕事を辞めて人的ストレスから開放されても症状が終わることはなかった。いや、むしろあの時より強い症状を発することの方が増えた。望みが叶うことも、祈りが届くこともないのだ。

 

ちょっとでも痛くなるとすぐにバファリンを飲んでいたので、徐々に効き目が弱くなっている、効かなくなっているように思い始めた。途中からバファリンジェネリック薬であるバッサニンに変えたのも何か原因があったのかもしれない。

 

もちろん、その薬効を全くもって否定するわけではないが、「ヤバイもう薬効かない」という不安がどんどん大きくなっていったのだ。また、空腹時に服用してしまったせいか、吐き気を催すことが少なくなかったので、薬を飲むこと自体にも嫌悪感や恐怖感を覚えるようになり、今でも薬を飲むことはほとんど無くなってしまったのである。

 

 

一度頭痛が始まると徐々に痛みが増していき、文字通り1mmも動けない、動きたくないほどに頭が痛くなることがある。酷いときは朝から夜までずっと痛みが続くのだ。12時間~15時間続く拷問である。頭のなかで小人が脳壁にイガグリかウニでスカッシュをしてるんかってぐらい強烈な痛みである。具体的にどの辺が痛いのか、なぜ痛いのか、全く考えられなくなる。砂嵐や吹雪の中をテントで過ごす様に、一瞬でも早くこの暴力が終わることを祈るしかないのだ。

 

 

流石に一年以上同じような現象に悩まされるようになると、前よりもはっきりとした因果関係があることに気づいたのだ。頭は痛いが人間は賢い。

 

まず、なんと言っても「ストレス」これである。諸悪の根源、悪の枢軸、闇の大元凶、世界の暗黒卿、どんな渾名でもその悪徳を称えることはできない。腰が痛くなったり体中痒くなったり、ストレスが身体的異常として現実化(マテリアライズ)する人も少なくないだろう。筆者の場合はそれが頭痛だった。

 

昔からお腹が空くと機嫌が悪くなる(というか、それ以外で悪くなることの方が稀)ので、空腹が続くとストレスが増していき頭痛が始まるパターンが散見された。「じゃあ食えよ」という話だろう、うん、分かるよ、そのとおりだね。しかし、筆者にはそうもいかない諸事情があったので、多くの場合空腹と頭痛はセットであった。

 

また、空腹ではなくても、精神のバイオリズムとして「下げ気味~(IKKOさんで)」な日は、一見無条件に頭痛が始まるので本当に苦痛だった。

 

 

そしてもう一つ発見したのが特定の姿勢を起源とするパターンである。筆者は布団の上にうつ伏せになりながらスマートフォンを操作することが非常に多かった。より具体的に表すと、うつ伏せだが両肘は立てていてチェスト(胸板)から上は反り上がった状態である。動物で例えると、陸上にいる時のアシカの基本姿勢である。

 

どうやら、このポーズが非常に良くないらしい。「うつ伏せ スマホ」で検索するとめちゃくちゃ悪い結果が出てくる。腰も痛くなるし、画面が近いので目にも悪いし、肘に大きな負担がかかるし、人体で最も重いとも言われる頭部を支える首にはそれ以上の負担がかかるようだ。

 

その日の調子にもよるし、複合的なパターンもあったと思うが、筆者の場合このアシカポーズを1時間ほど維持していると例のアレが始まることが少なくなかったのである。

 

そういう訳で、とにかく空腹とアシカポーズを避ける、できるだけストレスを分散させることで、そもそも頭痛を起こさないよう気をつけることが高い優先度を得たのである。

 

 

そんな筆者をあざ笑うかのように頭痛は突然始まるのだ。

 

実のところ、コレを書いている今も頭痛の真っ最中である。今日の頭痛は、なんと、ウ○コを出した瞬間に始まったのだ。いや、もう意味わからんわこれ。もちろん、ウ○コと頭痛には全く相関性はないかもしれないが、実はあるかもしれない。排泄時におじさんがいきむとケツ圧(血圧)が急上昇して心臓に大きな負荷がかかるという話も聴いたことがある。筆者は頭痛の時に急に立ち上がると血圧が急上昇して急激に痛みが増すこともあるので、ケツ圧が何らかの理由で頭痛を引き起こしている可能性を否定することができない。

 

しかし、筆者にとって「関係があるかもしれないし、ないかもしれない」というのはとても不安だが、その一方で今後の安心にも繋がることでもあるのだ。

 

既述のとおり、慢性的な頭痛の恐ろしさの1つは「なぜ起こるのか?」理由がハッキリしないところである。しかしながら、突然の頭痛に際しても、これまでの発症経験と照らし合わせることができるようになると、不安の1つは取り除かれるのだ。突発的な苦痛はとても恐ろしく不安で堪らなくなるが、「起きた理由」が自分でわかるだけで、少量の安心を得ることができるのだ。

 

そうであるから、本日の「ウ○コを起点としている疑いのある頭痛」も次回以降の精神安定剤となる日が来るかもしれないので、決して無視することのできない貴重な経験の積み重ねの1つなのである。

 

※ここまで事前の注釈なくウ○コをレ○コしてしまい誠に申し訳ございませんでした。

 

 

 それでも起きる頭痛。服薬拒否の筆者に射した一筋の光が、「コーヒー」である。

 

「頭痛にコーヒーが効くなんてホンマかいな」と、半信半疑どころか一信九疑だったのだが、コーヒーを一杯飲んで数分後、あの憎痛がウソのように消えてしまったのだ。十信零疑になった瞬間である(創作熟語の読みは各自で考慮されたい)。

 

誰も知らないと思うが、筆者は根っからの紅茶党である。いや、正直そこまで紅茶もよく知らないのだが、これまで人生において飲んだコーヒーの総量は、力士の優勝盃を満たすこともできないのではないだろうか。

 

そもそも苦いものが苦手なので(※ピーマンは食べられます(怒))、コーヒーなど以ての外であった。だから、自分から最も縁遠い水溶液が特効薬だったとは夢にも思わなかったのだ。これまで侮ってきた全てのコーヒーとそれを作る人とそれを愛好している人々に謝りたい。コーヒーは本当にすごい。

 

筆者のコーヒーに対する信頼と依存性は凄まじく、夜遅くに発症した頭痛を鎮めるために、深夜まで営業している近所のスーパーに駆け込み、1Lパックのアイスコーヒーだけを取り、会計を済ませ、片手にアイスコーヒーのパックをガッチリわしづんだまま(レジ袋を拒否すると2円引きされるため)帰宅し、即アイスコーヒーを摂取すると、あら不思議、さっきまでの頭痛はアイスコーヒーの茶黒に溶けて消えていったのである。コーヒーは本当にすごい。

 

しかしながら、本日は既にドリップコーヒーを3杯(同じパックで三番煎じまでいきました)飲んでいるが、特に頭痛が収まる気配は一向にない。そういうパターンもあるのだ。

 

 

この世で最も信頼性の低いソーシャルメディアことTwitterでは(ここではTwitterソーシャルメディアかそうでないかの議論は避けたい)、日々ウソみたいなホントの話やホントみたいなウソの話や、無価値なソーシャルゲームスクリーンショット(※筆者の悪意ある表現に注意されたし)が投稿されているが、頭痛に関するものもときたま見かけることがある。

 

ここに書いてあることが全て医学的根拠を著しく欠いていることと同じように、そういった投稿にも根拠は示されていないことがほとんどである。それでも、他人の経験則や知識は時に役立つことがあるものまた事実である。

 

その、うる覚えの投稿によると、頭痛のタイプでロキソニンバファリンを使い分ける必要があったり、首周りのマッサージが効くパターンがあったり、目や首のまわりを温めたり冷やしたりするのが効くパターンがあるそうなのだ。

 

なるほど確かにコーヒーを用いたセルフ治験でも効くパターンと効かないパターンがある。バファリンらが効かなくなったのは、効かないパターンがあったからなのかもしれない。一見同じ頭痛でも、発症の原因や痛み方、痛み箇所や痛みの強さに特定の傾向があるのは確かだ。症状によって適切な薬を処方するのが医療であるが、正直、めちゃくちゃ頭痛の時、マジでそんなこと考えてらんないのもまた事実である。

 

 

それで、やっと本格的な話をすると、頭痛にはストレス等を起因とするいわゆる「偏頭痛」と、身体(筋肉)の著しい緊張を起因とする「緊張型頭痛」と、未だに原因が解明されていない一番ヤバい頭痛こと「群発頭痛」の3つに大別されるそうだ。

 

筆者は医学的知識に乏しいし、ましていかがわしいいかさま師によるキュレーションサイトでもないので、それぞれについての詳しい言及は避けたい。

 

また、「頭痛」「死にそう」「ヤバい」等の単語で検索されて来た同士諸君についても、必ず医師の診断を受けるか、それぞれの頭痛の特徴と対処法について見識を深めるよう努力されたい。

 

ちなみに、気候や気圧を起因として頭痛や関節痛は発生しないらしい。「天気が悪くなると身体が痛くなるな」という自己暗示によるところが大きいそうなのだ。正直筆者自身も「ホンマでっか」と言いたくなるが、確かに天候を理由としない頭痛の方が圧倒的に多いのも事実である。これについても、各員自身の判断に委ねたいところである。

 

 

さて、筆者自身の頭痛経験と3種の頭痛を照合すると、悲しいかな「全部あるな」というのが自己診断の結果である。誰も頼まないであろう頭痛の3種盛りが常にテーブルに置いてあるのは、正に頭痛の種以外の何物でもない。

 

映画『亡国のイージス』で、平和というのは戦争と戦争の間に生まれるみたいな台詞があったが、筆者にとっては、頭痛と頭痛の間にあるのが平穏である。しかし、頭痛からは逃れることができないし、どんなに気を使っていても気まぐれに頭痛は起きる。頭痛が酷くなる度に平穏な時間がとてつもなく恋しくなる。BUMP OF CHICKENではないが、頭が痛くなると気づくんだ、それまで頭が痛くなかったってこと、みたいな感じである。ただ、頭痛の時は音楽を聴く気ににもならないのが辛いところである。

 

酷い頭痛が起きて横たわると、自分の脳みそを自作PCのHDDみたいに取り出して、新しいSSDに換装したいと思うものだ。そうすれば、もうあの時たま聞こえるカリカリとした音に悩まされることはない。しかし、筆者は自作PCではない。この頭痛と共に生きていくしかないのだ。

 

この世の中で今日も頭痛で苦しむ同志諸君の一助になれば幸いである。

『帰って来たヒトラー』日本では誰が「帰って来る」のか

最近ゲームをやり過ぎて頭がおかしくなってきたので(ゲームをやり過ぎると頭がおかしくなるので気を付けた方が良い)、みたたびNetflixに加入し、みたたびネットフリクサーになったので、コントローラーをタブレットに持ち替えて映画やドラマ鑑賞に浸っている今日この頃である。

 

イギリスで起きたイラン大使館占拠事件を描いた『6日間』や、みんな大好きスティーブン・キング原作の『セル』や『1408号室』、『IT(それが見えたら~の方)』、エドワード・スノーデンアメリ諜報機関の違法捜査を暴露するに至った経緯を描いた『スノーデン』、イギリス軍とイギリス政府がドローンで攻撃するかしないかめちゃくちゃ押し問答する『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』など、面白映画にことかかなったのだが、その中でも特に筆者の注目を欲しいままにしたのが、2016年公開の『帰って来たヒトラー』である。

 

 

本作は、1945年ベルリンの地下塹壕で自殺後に大量のガソリンをぶっかけられて火葬されたはずのヒトラーが、ガソリンを被った状態で蘇生して現代のベルリンにタイムリープしてくるのである。その後、ヒトラー(本人)は、ほぼ本人に近いそっくりさん役者(芸人)として人気を博し、21世紀のドイツで復権を図ろうとする、コメディ&セミドキュメンタリー映画なのである。

 

詳しい内容については、是非本編を観てもらいたい。いや、観てください。

 

非常に興味深かったのは、ドイツ市民のヒトラーへの反応である。本作最大の売りであるセミドキュメンタリーパートでは、ヒトラー(どうみても本物)がドイツの各都市で市民と今の政治について語り合っている。なんとこのシーン、台本なしのアドリブで普通に市民と話しているだけだそうだ。

 

2時間かかっている特殊メイクも手伝って、ヒトラー役のオリバー・マッチスの信じられないほどのヒトラー感がそうさせるのか、インタビューに答えている市民はどれも真剣な表情でドイツの問題をかつての独裁者と話し合っているのである。偽物だとは分かっていても、あまりにも本人然としているので、握手をしたり、笑顔でハグしたり、一緒に"あのポーズ"をして自撮りしたりしているのだ。

 

もちろん、はっきりとした口調でヒトラーを支持しないと言う人もいるし、極左アナーキストが乱入してくるシーンもある。ネタバレになってしまうが、終盤ではユダヤ系市民が登場しヒトラーのことを酷く罵ってもいるし、エピローグではオープンカーで通り過ぎるヒトラーに中指を立てている人もいる。それでも、映画を観る限りドイツ市民は彼に好意的で、中には演説を聴いて涙する者もいるのだ。

 

本作のテーマとして、アイコンとしてのヒトラーを用いることで、ドイツ国民の右傾化への危惧や、再び極右が台頭したとき人々が洗脳されてしまう危険性を指摘している。そしてその実験結果は、インタビュー部分を観れば明らかなのではないかと思う。

 

また、本作の恐ろしいところは、彼は教科書で見るよりもずっと人間的で、コメディ演出により滑稽に描かれていることで、より一層魅力的で親しみやすく、我々市民に近い存在として見えてしまうところだ。危うく彼の事を愛おしんでしまいそうになってしまう。あえて、とても危険な作りになっているのだ。映画の内容は笑えても、その状況は決して笑えるようなものではないのである。

 

実のところ、2017年のドイツの下院選挙では、反EUで反移民の極右政党とも称される「ドイツのための選択肢(AfD)」が総議席数709に対して94もの議席を獲得し、結党からわずか4年で野党第一党に上り詰めている。一方、作中でもヒトラーが訪れた、ネオナチの筆頭政党、「ドイツ国家民主党(NPD)」は未だに議席を獲得していないので、必ずしもかつてのヒトラーの思想や構造が蘇っているわけではないことに注意されたい(急にそれっぽいことを言う)。

 

当時ナチスが政権を掌握してから反ユダヤ主義が広がっていったように、現代において中東からの大量の移民への反感や弾圧が強まっていくことで、更にAfDが支持を集めていき、かつての第三帝国のようになってしまう、その兆候は表れ始めているように思える。

 

そして、ご存じのとおりドイツ以外の先進国でも強い右傾化が見られるようになっており、強いリーダーシップや、外国人排斥、共同体からの脱退は、今日の右傾化国家に共通しているキーワードではないだろうか。

 

ヤバイ、もっとカジュアルなはずだったのに、めんどうくさい方向へ足を突っ込み始めてしまった。

 

 

本作のヒットを受けて、既に「帰ってきたムッソリーニ」の製作が進んでいるらしい。こちらも非常に興味があるので是非見たいところだが、ここで筆者は日本版を作るとしたら誰だろうかと思った。

 

日本において、既に亡くなっていて、熱狂的な支持者を獲得していて、偏向した思想や政策を掲げていて、当人のパーソナリティや見た目にインパクトがあって、その思想等を引き継ぐ後継団体があって、当時犯した違法行為の記憶が人々から薄れかけていている人物。

 

最近改めて盛んにニュースやワイドショー、特番で見かけたように思える。

 

筆者は当時まだ出生前なので、リアルタイムでその趨勢を見たことはない。

 

にわかに信じがたいのだが、筆者の同世代やそれよりも下の世代は、当時彼らが起こした事件を体験していないので、入団する際あまり障害にはならないらしい。

 

最も勢いがあった当時、メディアも面白おかしく取り上げていて、今日もテレビに出ている芸能人と一緒に映っている姿は、一瞬コラージュなのかと錯覚してしまう。

 

選挙に出馬した時は、全くの泡沫候補で政界進出は阻止されたので、55年体制もたまにはやるもんだと思ったとか思ってないとか[誰が?]。

 

当時作られた彼を賛美する歌やアニメーションなどは、今日まで動画サイト等でネタにされており、そこに彼らの凶暴性を感じることはないのではないかと思う。

 

不況や政治不信など、社会に不満が蔓延すると、それはカリスマを擁する組織にとっては好都合なのである。

 

謎にめちゃくちゃ言葉を濁してしまったが、それ以前に、既に現在の首相が総統仕様のチョビ髭を付けたコラージュを作られたり、独裁者と直喩されたりしているから、こっちはこっちで十数年後に「帰って来る」のかもしれない。

 

 

もっと雑に書くつもりだったが、今日に至ってもヒトラーを巡る問題は根深いものがあり、とても慎重になってしまった。

 

『帰って来たヒトラー』はコメディとしても、ドキュメンタリーとしても非常に興味深い題材で、瞬く間に「では自分の国ではどうか?」という命題が頭をもたげてきた。

 

そして、久しぶりにブログを書いたら〆方が分からなくなってしまった。とりあえず『帰って来たヒトラー』は見た方が良い。

オタクという生き方からは逃れられない

 父上が鉄ちゃんなので、実家には模型とかムック本みたいのが沢山ある。ということで、筆者は幼少期に鉄道博物館に連れて行ってもらったり、路面電車とかロマンスカー的なやつに乗せてもらったり、プラレールも結構買ってもらったわけである。

 

そんな父上の期待をブルータス並に裏切って中学生ぐらいからミリタリーに傾倒し始めた。

 

父上は鉄道以外にも洋画好きでもあり、特に007シリーズがお気に入りで筆者もよく一緒に観ていた。ただ、基本的に字幕だったし、なぜか毎回ボンドの顔が変わるし、シリーズを通しての話の筋まで理解できていなかったので、映画自体が面白いというより、ドンパチとか秘密兵器が面白いなという程度だった。

 

記憶の限り思い返すと、この原体験が後の銃器への興味の扉を開いたのだと思う。

 

そして、ちょうど小学生中期にN64ゴールデンアイがめちゃめちゃ流行って、もともと007好きで同名の映画も数回観ていたのも相まって、毎日のようにゴールデンアイをやっていたのが、後のFPS、TPS好きに繋がっていくのだと思う。

 

同時期にエアコッキングのエアガンが小学校で流行って、ちょっとワルい友達は上位のR指定電動ガンとかガスガンを使っていて、憧れの対象だった。放課後に公園とか団地で撃ち合いをしていて、中学生の時は筆者もベレッタとかコルトで幅を利かせていた。

 

加えて、中学生時代に映画『マトリックス』が公開された。もちろん家にはマトリックスのDVDが全巻あるし、確か3作目のレボリューションズは父上と映画館まで観に行った気がする。とにかく学校ではマトリックスブームで、みんなあの避け方をやっていた。

 

 

それで、中学生2年生ぐらいまでは全然普通に全くもって一般人だった(当社比)のだが、たまたまヤングマガジンでやっていた『極道つぶし』という作品との出会いが、生き方の路線を決定的に変えるきっかけになるのだ。

 

『極道つぶし』は、幼少期に母親を893に殺された女主人公マブシが、同じ境遇を持つ男主人公ユサと、敵の893を探し復讐するというストーリーなのだが、とにかくこのマブシというキャラが凄い良かった。

 

マブシは女でこそあれ、非常にキレ者で、策を巡らしてバンバン893を5ろしていくのだ。天性のガンマンであるユサとは対照的で、腕ではなく頭で戦うというのがとにかくカッコよかった。もともと女性への憧れというか、尊敬の念が強い少年だったので、夢中になって読んでいたのを覚えている。

 

そんなカッコいいマブシが使っていた銃が気になりだし、ネットで調べてしまったのが、上述した路線変更の瞬間だった。

 

 

「MEDIAGUN DATABASE」というサイトがヒットし、そこで調べた結果、マブシの得物はコルトM1911ソ連版であるトカレフことTT33であることがわかった。

 

いや、まずM1911ってなんやねん。そう思った。

 

なるほど、アメリカの銃をソ連がパクッたわけね。

 

ところでソ連ってなんだ?

※筆者が物心ついた頃は既にソ連は崩壊していた

 

ロシアってソ連だったのか・・・全然知らなかった・・・

 

これがいわゆる無知の知である。

 

ソ連はともかく、このMEDIAGUN DATABASEとの出会いが良くなかった。その直後にwikipediaを知ってしまったのも良くなかった。

 

稀代の帰宅部だったので、狂ったように毎日ネットで銃のことを調べあさり、自分の持っているゲームと比べてよだれを垂らしていた。

 

ヒットマンサイレントアサシンとか、コンフリクト・デルタII 湾岸戦争1991とか、SOCOM II U.S. NAVY SEALsとか、マーシナリーズとか買っていたので、銃器だけでなく、アメリカ軍にも傾倒し始めてしまい、完全にミリタリーにハマってしまったのである。

 

とは言うものの、完全にミリタリーに傾倒し始めた中学2年生後半以降は、「この銃がヤバイ」とか「この特殊部隊がヤバイ」という話ができる友達が1人だけいたので、その友達に教えるために日夜調べていた部分も結構あった。

 

 

それで、中学3年にもなると周りは受験で内申点とか気にし始めるので、エアガンでドンパチしてくれる友達はいなくなり、高校に上がると唯一銃の話ができたその友達とは別れてしまい、ミリタリー調査の日課だけが残ったのである。

 

引き続き稀代の帰宅部であったので、平日の放課後はもちろん、休日もPCに歯型が付くぐらい一日中かじりついていた。しかし、1つのことを調べると、そこから無限に派生していくのがミリタリーである。1挺の銃から、その銃のスペック、それを作った会社、それが作られた経緯、実際の配備状況、そしてそれを使っている軍隊のことが気になりだす。

 

もともとアクション映画が好きで、銃を使う人のことも好きだったので、自然な流れだったと思う。

 

銃だけでもネットには莫大な量の情報があるが、軍となると、今までは手付かずだった船や飛行機や自動車など、それ以上に膨大な量の情報が現れることになる。もうPCに顔面がのめり込んで同化するぐらい毎日ネットで情報収集をしていた。兵器のこと、軍隊のこと、過去の戦争のことを調べまくった。

 

また、幸運なことに、早いタイミングで井上孝司氏のことを知り、同氏の基本的な理念に共感し、師と私淑したのでイタい感じのミリオタにはならなかった。

 

高校の中盤になるとミリタリー本も読むようになった。ミリタリー界隈は、結構キナ臭いというか、アレっぽい人が少なからずいる。いや、ミリタリーに限った話ではないが、そういう人を見極めるのには時間がかかるし、教えてくれる人もいなかったのだが、上述の井上氏が基準となって、誰の本を読むべきか、どの本を読むべきなのか知ることができた。それまで全く読書の習慣が無かったのに、ミリタリ本はエロ本並に真剣に読んでいたのだ。

 

ということで、誰に話すわけでもなく、誰の役に立つわけでもなく、毎日気になること、興味のあることを調べて覚えることに幸福と興奮を覚える高校の3年間だった。

 

 

大学に入ると、友達が0人になった(※比喩ではない)ので、更に黙々とミリタリに耽るようになった。休み時間や講義がない時間はPCルームで情報を吸収したり、ミリタリ本を読んだりしていた。あと、安全保障的な講義で、最初の1回しか出てないのにテストが全部普通に解けたときに、初めてミリオタが役に立った。ミリオタで良かったと思った最初で最後の瞬間だった。

 

しかし、ここまで順調だったミリタリ吸収に限界が訪れた。

 

早い話、現代のミリタリーを突き詰めると科学の話になってくるのだ。兵器がどんどん自動化、機械化されていき、最新のテクノロジーを理解しきることができなくなってきた。また、物理の自頭もないと理解しきれないことも増えてきた。

 

元々のモチベーションが知らないことを知っていく、理解して覚えるときに得られる多幸感が主成分だったので、理解できないことが増えてくと覚えられないので、どんどん難しさのほうが勝ってしまったのだ。

 

そういうわけで、ミリタリーを追いかけたり調べまくるのは大学2年生ぐらいで止めてしまったのである。

 

7年ぐらいミリオタだったわけだが、今でもその手のことは大好きだし、当時の蓄積は今でも大切な遺産である。特に役には立たないが、その手のゲームや映画の演出を人より楽しみきれてはいるのではないかと思う。

 

 

それで、同じかそれ以前から声優オタクでもあったわけである。

 

小学生の時ぐらいは、おそらく人並みにアニメは観ていた。しかし、高学年になって、深夜にヤバイアニメをやっていることを知ってしまった。『ちょびっツ』とか『グリーングリーン』とか『ニニンがシノブ伝』とか、そういうやつである。明らかに朝や夕方にやっているものとは異なっていて、それを観ている友達は誰もいない。いや、ホントはいたのかもしれないが、筆者と同じで秘密の趣味だったのだろう。当時はまだアニメオタク=ヤバいやつだったので、電熱棒を両鼻に突っ込まれても観てるとは言えなかったのだ。

 

それから、経緯は全く覚えていないが、放送2年目ぐらいからの『堀江由衣の天使のたまご』を聴いていた。その後ぐらいには『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』も聴いていた。深夜アニメと平行していわゆるアニラジをめちゃめちゃ聴き始めたのだ。なにかを察した父上も良さげなラジオを買ってくれた。子の心、親シリーである。

 

決定的にヤバかったのは、やはり小野坂昌也さんと浅野真澄さんと鷲崎健さんだろう。テレビはアニメ以外ほとんど見なくなっていたし、人と話している時間よりも文化放送を聴いている時間の方が長かったように感じる。あと野球とオリンピックがめちゃめちゃ嫌いになった。天たまの100回記念焼肉屋放送がオリンピック中継で放送されなかったことは、未だに根に持っている。

 

声優さんを多く知る最大のきっかけになったのは、ナルトのラジオ『オー!NARUTOニッポン』である。メインMCの竹内順子さんに加え、月替りで主要キャストがゲスト出演していたので、幅広い年代の声優トークを聴くのに慣れたのだろう。とにかく毎月誰がゲストでくるのか楽しみで、毎週ワクワクしながら聴いていた。

 

ナルトレディオから派生したエピソードとして、ナルトでは白が好きで、1回限りのゲストで白役の浅野まゆみさんが出たことがあった。しかし、外出したせいで聞き逃してしまい、かなり後悔したのだが、後日新聞の文化放送の欄に浅野さんが出ているラジオを発見して聞き始めたのがアニスパだった。まゆみさんとますみんは何から何まで別人の声優さんで、浅野違いで聞き始めたアニスパだったが、これが結果的にその後最終回まで聴くことになる、とても思い入れ深い番組との馴れ初めである。

 

 

中学生になると、家庭内の規制も緩くなり、また自分の体力的にも連日深夜まで起きれるようになったので、毎晩深夜アニメとアニラジを嗜んでいた。部活にも入っていたが、土日も朝から必ず練習があり、朝のアニメが見れない上に、顧問とめちゃくちゃ折り合いが悪かったので、半年ぐらいでゴースト/ニューヨークの幻になってしまった。人生における楽しみが、完全にアニメ声優になり始めていた。

 

ほっちゃんゆかりんは本人や歌とか演じるキャラが好きというより、単純にラジオが面白くて好きという程度だった。本人のファンというよりもシンプルアニラジファンだったわけである。

 

そして、とうとう中学生にして初めて好きな声優さんができた。

 

ゾイドは小学生の頃にアニメをやっていて、よく友達の家でゾイドを使って遊んでいた。だから『ゾイドジェネシス』を観るのは必然だったと言えよう。初めてアニメのキャラが好きになった。ちなみにレミィ派だった。3年ぐらいしてから「あれ?俺ってもしかしてロリコンか?」と思った。結果的にはストライクゾーンがめちゃくちゃ広いだけだった。

 

ジェネシスが凄い面白かったのと、キャラが好きだったので、その声優さんも好きになってしまった。こやまきみこさんと伊藤静さんが初めて好きになって声優さんである。この6年後ぐらいだが、こやまさんは、初めて実際に喋った声優さんでもある。テンパりすぎてダメなのを知った上で「握手してください!」と言ってしまいマネージャーさんにめちゃくちゃ止められた。

 

それでも、そういう話をできる友達は皆無で、もちろん家族にも隠していた趣味なので、中学時代のアニメ・声優趣味は、完全に自分の影の部分になりつつあったのである。

 

 

割と最初の転機が訪れた高校時代。あるクラスメイトにうっかりスケルトンぐらい口が滑って、ネギまの声優がどうとか、17歳がオイオイだか、そういうことを口走ってしまったのだ。

 

正直黙っているのが限界だったのだと思う。バレたくないと思う一方で、気づいてくれと思っている筆者がいたのだ。結果、めちゃくちゃバレた。彼もその手の人間、こちら側の人間だったのだ。

 

経緯は忘れたが、毎日学校で会うのに毎日ホットメールで文通するようになった。基本人に話したい、知識ひけらかしたい病なので、凄く痛かったと思うが、フーバーダムが決壊したのかってくらい、今まで溜め込んでいた分、メール文に書きたいことを書きなぐりまくり、その返信を貰いまた返し、初めて人と趣味が共有できる幸福を享受していたと思う。

 

学年が上がって、完全にオタクの友達が複数人になって、人生で初めて純粋に学生生活を謳歌していたと思う。楽しく毎日アニメや声優の話ができたのは、後にも先にもこの時だけだったと思う。

 

上述したとおり、放課後はお急ぎ便で帰宅してPCでかじり虫だったわけだが、ミリタリーを調べながらずっと文化放送の超A&G+を見聞きしていたわけだ。当時はネットラジオ自体が黎明期で、超ラジが始まったばかりで、音泉とかはうたわれのラジオが有名になり始めたぐらいだった気がする。

 

ミリタリー情報のブラウジングネットラジオの相性はすこぶるよく、スミノフとEDMぐらい最高の組み合わせだったので、高校時代のほとんどはこの2つに傾倒しきっていた。

 

「好きな声優」という考え方が産まれた結果、デビューしたての新人声優さんも好きになり始めて、伊藤かな恵さんとか戸松遥さんとかは特にヤバかった。かな恵ちゃんは初めて生でみた声優さんでもある。大学生になってから、講義終わりで浜松町に直行して超ラジの公録の最後の部分だけ見れた。こんなんでも、とても大切な思い出である。

 

 

高校3年の終わり頃に、ますみんと小野坂さんが始めたという理由で自分も始めたTwitterだったが、しばらく芸能人しかフォローしていなかった。しかし、大学生になったときにMy PCを買ったことと、『ドリームクラブ』界隈とつながり始めたことで、Twitterが本来の自分が存在する世界になり始めた。ちなみに最初のアカウントは色々あって削除してしまった。マジで職場でTwitter見ない方が良いよ。

 

Twitterが主戦場になったのは、高校の時のように共通の趣味の友達を一気に失ったことも大きかったし、自分より詳しい人が山のようにいたからだろう。特にドリクラクラスタはヤバイ人が多かった。過去形なのは、バレーボール並に上がって落ちた人がほとんどだから。それでも当時の衝撃はすごかった。キャラ強いやつ多杉(原文ママ)なわけである。俺も負けてらんねー!ふぁぼ稼ぐぜ!と、当時はいつもそんなことを考えていた。いや、今もか。

 

それから高校以来ガラケーだったのだが、Twitterを見すぎてパケ代が水素爆発並に爆上がりしたので、スマホに替えたのもTwitter常駐を手伝ったわけである。

 

 

幸か不幸か、自宅と大学の距離が当時の肌感覚で東京-山口間ぐらいあったので、多少の移動距離、移動時間ではびくともしないサイボーグと化した。これが、長年完全在宅オタクだった筆者を変える大きな転機だった。

 

東京に出てくるようになり、通学路線に秋葉原があり、Twitterでは毎日のよう最新のアニメ・声優情報が入ってくる、デビューしたての好きな声優さんがいる。となると、そうだイベントいこうとなるのだ。

 

PC購入と同時に初代ブログを更新し始めていて、最初期はラジオやアニメの話がメインだったのだが、徐々にライブやイベントの感想レポに比重を置くようになっていった。

 

今回は割愛したが、ミリタリー+深夜アニメ=『BLACK LAGOON』にハマり、後にMELL様の狂信的な大ファンになった。そして大学生の時にMELL様の2ndワンマンライブを観覧、これが人生初のライブである。そこでレポを書く喜びを知ってしまったのである。

 

更に、イベントのレポが微量ながら他のブログ様で紹介されたのと、Twitterの相互フォローをきっかけにして、ネットで知り合った人と実際に会うという経験を初めてした。この後、めちゃくちゃすることになる。初めて会った人がめちゃくちゃいい人で、本当に幸運だったと思う。未だに交流があって、あっという間に7年来の友人になった。

 

同時にドリクラクラスタと箱○クラスタとも知り合うようになるのだが、趣味は共通しているのだが、正直、「人としてどうか」みたいな人が少なくなかったが、オタク《友達》ができたことにテンションが上がりきってしまい、かなり人選眼が狂っていた時期が2年ぐらいあった。マジで色々あった。結果として、圧倒的に良い思い出の方が少ない。

 

話がずれてしまったが、とにかく、全くトゲのない完全在宅オタクだった筆者は、大学進学後はネットで友達を作り、イベントに行き、感想をネットに書き、また友達を増やすということをやっていたのである。オフ会も積極的に参加していた気がする。

 

大学で友達を作らなかったのと、ミリオタを辞めたのはこれが理由である。他に楽しいことができた、これが本音。

 

中略

 

大学卒業間近にある声優さんの現場を他界したのと、その後趣味を仕事にしてしまったことで、新たな時代が始まる。

 

好きな声優さんに普通に会えるようになったり、情報戦において他のオタクよりも圧倒的有利な立場になったり、推しがドル売りされてしまい、CDやブルーレイを積んで参加券応募券をかき集めるのが常態化し、週末は地方に遠征というのが日常になってしまった。冗談で言っていた海外遠征もするハメになった。積んだCDを売って、その金でまたCDを積んでいるときは深いことは考えないようにしていたが、やっぱ変だったのだろうか。

 

代償として、まずアニメが全く見れなくなってしまった。仕事の関係上、ブログで書けないことが増えた上に、そもそも書く余裕も全く無くなり放置気味になってしまった。ラジオも聴けないし、子供の頃から大好きだったお笑い番組も全く見れなくなってきた。そして、だましだましやっていたが、なんと言ってもお金が無くなってきた。イベントや遠征のために休みがちでもあったので、ダブルパンチだった。

 

他にもネットに書けないことが色々あり、限界を迎え、超えてしまい、一度全部やめることにしたのである。

 

 

小中学生の頃は、密かなる自分だけの世界、自分だけの楽しみだった。高校生の頃は初めてそれを人と共有する喜びを知った。大学生の時はライブやイベントを一緒に体験して、それを発信して評価される面白さを知った。その後は、自分が楽しんでいたフィールドの内側にめり込んで、楽しませる側、提供する側になった。

 

毎年のように、去年こうはなりたくないと思っていた人物像に、自分がなっている気がした。最初は、その瞬間が一番楽しいから別に良いかなと思っていたし、良い思い出は物凄く沢山あった。それでも、毎回どこかで自分を曲げていた部分があったし、いろんなことが積み重なって、曲がった状態ではその重みに耐えきれなくなってしまったのだと思う。

 

ずっとロンリーウルフでやってきたけど、やっぱりどこかで羊の群れに憧れがあって、それこそ羊の皮を被ってみたものの、やっぱりちげーなとなってしまったのだ。

 

 

在宅どころか、オタクですら無くなったので、とりあえず自分が好きなようにすることにした。

 

お笑い番組を観まくって、映画や海外ドラマを観まくって、ゲームをやりまくって、組長の影響でもがたんぺにハマって、そして日本語ラップにハマった。

 

地元の親友に連れられて何度かディアステに行ったことがあったことや、組長という強力な後ろ盾があったので、でんぱ組.incのライブに行こうかしら・・・と思っていたらもがちゃんの脱退。これはまだ現場には行くなという何かからの啓示だと素直に受け止めることにした。

 

それでも、もがちゃんには知らず知らずのうちに、相当励まされ、助けられたと思う。ありがとうもがちゃん。

 

 

お笑いはオンバト世代なので、その後のお笑いブームとネタ見せ番組の質の低下や、自分のお笑い観とは合わないなと思うことの方が増えたので、テレビ番組自体見なくなっていたのだ。しかし、年末にたまたま千鳥の番組を観て死ぬほど笑ったことと、三四郎の台頭により、かつてないほどにお笑い熱が急上昇しはじめた。

 

元々千鳥は凄く嫌いだったのだが、キングちゃんを観て自分が間違っていたのだと猛省した。今ではネタを暗唱できるぐらいには好きになった。間違いなく一番好きなコンビである。

 

三四郎はネタが凄い面白くてすぐハマってしまった。あれだけ番組出ていてもネタを頑張っていて、番組で得た力をネタで発揮していて本当に凄いと思う。平場も面白いし、ラジオも面白いのでとても愛している。

 

 

日本語ラップは、元々ドリクラ界隈から微かに聞こえてきた『フリースタイルダンジョン』から入った口である。もっと厳密に言うと、DOTAMA vs ACEが面白くてハマり始めた。

 

元々アニソンばっかり聴いていたが、そういうのが聴けない身体になっていたので、全く知らないHIP HOPというジャンルは新鮮で、隙間を埋める以上の影響を与えてくれた。

 

バトルも好きだが、音源も素晴らしいものが沢山ある。音源の知識が増えると、バトルで新たな発見があり、そこからまた新しい音源やサンプリング元を知り、更にバトルが面白くなるという、相乗効果によるニヤつきが止まらない分野なので感動している。

 

般若や呂布カルマなどお気に入りのラッパーが見つかると、そこを重点的にディグるようになり、彼らのリリックやバトルでのラインやビートからまた新しい興味や知識を得ることで、更に素晴らしいものとの出会うことができるようになっていく。

 

そうすると、徐々に生でバトルやライブを観てみたいという欲が産まれてくるのだ。

 

 

ん?ちょっマテよ?

 

 

物凄い既視感だった。

 

 

むさぼるようにラッパーの名前や出自や音源、バトルでの戦績を調べ覚え、点と点の繋がりを発見していく。去年までは皆無と言ってよかった日本語ラップの知識を、死んでいたはずの脳みそがダイソン並に爆音をたてて吸い込んでいくのを感じている。この掃除機はコードレスゆえに、充電が切れるまでまだまだ情報と知識を吸い込んでいくのだろう。

 

 

元々は、銃のことも声優のことも何も知らなかった。HIP HOPのことに至っては、何を知らないのかすらも知らなかった。

 

今は、3分野とも耳かき小さじぐらいは知ってることがある。色々失うものもあっても、最後には知識だけ残るのだとようやく理解した。ただ単純に、沢山知りたいだけなのだ。

 

いつか何かのキッカケで、HIP HOPからも距離を置くかもしれないし、替わりに何かのことをもっと知りたくなっているかもしれない。

 

どこを目指してるとか、目標はどうどかではなく、人より沢山知りたいだけ。知ってることなら何でも知ってるようになりたいのだろうか。

 

どの時代も現実的な部分で自分が見いだせず、趣味に没頭することでしか生きてこれなかった。今は日本語ラップに生かされているんだと思う。だからすべての分野、文化に感謝している。

 

イカした文化のおかげて今日も生かされます。

 

すべてのクリエイター、表現者に感謝。

 

ありがとう、オリゴ糖

 

スッキリした。

MELL様の新曲『Wanderful days』が発売されていた

2013年3月発売のアルバム『Entrust 〜the name of MELL〜』以来、活動休止状態だったMELL様の新曲『Wanderful days』が4月3日に発売されていたらしい。

 

https://twitter.com/atsuhiko1966/status/981023244890222592

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事実だとすれば、実に5年ぶりの新曲ということになる。

 

「だとすれば」というのは、リンク先を見ての通り、歌手名は記載されていないからである。しかし、この曲は、過去にI'veに所属していたこともある、中坪淳彦さんのソロプロジェクトFish toneのだということはわかる。

 

かつてMELL様もFish toneの3rdアルバム『noyau』にボーカルとして参加していたこともあるし、『祈りの時代』の作曲も中坪さんである。

 

類推はともかくとして、ホントにMELL様なのか、実際に聴いてみて自分で判断する他ないのだが、聴いた瞬間めちゃめちゃ泣いた自分の感性を信じたいと思う。

 

冷静を装っているが、非常に動揺している。というのも、不定期の日課としてやっている、『砂漠の雪』→『Fly to the top』→『美しく生きたい』の連続再生をしてから寝ようとしたところ、何かに導かれるかのようにTwitterで「MELL様」で検索して発見したからである。

 

本当にたまたまTwitterで検索してたまたま見つけたのでにわかに信じがたかったが、デモを聴いた後、購入に至るまでの時間はそうかからなかった。また、中坪さんのツイートによる発表が4月2日だったので、比較的早いタイミングで知ることができたのも幸運だった。 

 

 

そう言えば、2ndライブの後もMELL様は療養されていたことがあって、その後震災もありとても不安だったのだが、突如『START OF THE STRONGEST ~我今、最下層にて~』が発表されて、とても驚いたと共に、久々に力強く激しい歌声を聴いて、今までの不安が嘘だったかのように安心し喜んだことを思い出した。今回のことは、それにとても似ているなと思った。

 

 

Entrustの時、卒業とか引退とか休止とか、正直もう良くわからなくて、とりあえずアルバムを聴き込んで、そこにあるメッセージを受け取ろうと思い、できるだけ深く考えないようにしていたので、青天の霹靂だった。生きていて、こんなに嬉しかった日があっただろうか、いやない。

 

何もかもMELL様のまま、という表現が正しいかもわからないが、とにかく、あてもなくずっと彷徨って探していたものが見つかった感じがした。自分では見つからないし見つけられないから諦めたつもりではいたが、ずっと心の一番奥でこの日を待っていたのだと思う。

 

あまりメディアに出る方ではないし、ライブも一度しか行ったことがない。よくよく考えてみると、実は人となりを知らないのだが、その代わり残された沢山の楽曲から色々なメッセージを受け取ってきたつもりなので、今回も『Wanderful days』そのものが今のMELL様からのメッセージなのだと感じたのである。

 

この5年は、最も大切な支柱を失い、色々な騒動に巻き込まれて、失意のまま過ごしてきた最も暗く辛い5年だった。しかし、それがある日突然『Wanderful days』に変わっていった瞬間だった。

 

いくら感謝してもし足り無い。中坪さん、MELL様、本当にありがとう。生きてて良かった。とても素晴らしい最高の一曲をありがとう。

くろは最高傑作『有害指定同級生』について

先日、ハイパーメディアクリエイターのくろは先生の最新作『有害指定同級生』のコミックス第一巻が発売された。

 

f:id:minekunnu:20180409085445j:plain秋葉原とらのあなにて筆者撮影

 

思い返すと(突然の回想)『帰宅部活動記録』がテレビで放送された当時、隣の青いビル(宗教上の理由で明示は避けたい)に買いに行くと、同時期に放送されていた『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』は平積みで展開されているのに、同じWeb雑誌で連載されている『帰宅部活動記録』は見当たらなかった。ファ◯クと思い、仕方なく少し離れた所にあるオレンジのビル(宗教上の理由で明示は避けたい)に買いに行ったのだ。

 

あれから数年(単純な計算ができない)経ったが、同じくろは先生の最新作がトゥラヌアヌ(ギリシャ語)で平積み&POP展開されているのは嬉しさと驚きと心強さ(集英社が後ろ盾的な意味で)を感じざるを得なかった。

 

そして筆者がわざわざトリェノアニィ(ロシア語)で本書を買ったのは、他でもないおまけのリーフレット(小冊子)目当てである。

 

かつては、前作の『NEWS×it』第一巻の法人別特典を揃えるがために複数冊買ったことがあったが、今回は2法人が大きめの紙で、タイガーホール(英語)が8P(ここでは複数人での性交を指さない)小冊子ということで、初手よりトーラーノアーナー(イタリア語)で買うことを決めていた。

 

すると、SNSの情報から、その小冊子にはくろは先生が創った21世紀のバイブル『帰宅部活動記録』の道明寺桜部長が1コマ登場するということを知り得た。これはもう腎臓を売ってでも買うしか無いということになったのだ(実際に売ったのは時間である)。

 

ということで、久々にくろは先生の新作を手にすることができたのである。筆者は基本的にコミックス派であり、連載開始当時から、早くまとめて読みたいと思っていたので、溜めに溜まったダムが放水をして発電を開始したようなリビドーがあった。

 

 

面白い。マジでめちゃめちゃ。面白い(季語:マジ[初春])

 

 

くろは先生の作品は基本的に全て面白いし、最初にして最高である『帰宅部活動記録』も最高だったが、正直ここまで笑っただろうか?というほどに毎ページ、いや、毎コマ笑った。『カイジ』でもここまで素早いペースで笑わなかっただろう。とにかくスゴイ。ゴイスーである。

 

本作はくろは先生の集大成であるように感じた。つまり、『帰宅部活動記録』及び『マジカルロリポップ』の女子高生コメディ+百合性と『NEWS×it』の2人漫才形式の掛け合いの融合である。例えるならからあげカレーラーメン牛丼みたいなもので、それぞれの良いところが良い形で良く混ざりあった印象である。要素ごちゃまぜミックスのようで、逆にシンプルなのに、味に深みと豊かさがあるのである。

 

そして、何と言っても本作はドドドドド下ネタ漫画である。成年誌でもなく、エロ漫画でもなく、【下ネタ】漫画なのである。行き過ぎず、行きなさすぎない、ちょうどいい所まで行っててくれるのである。絶妙な行きのラインの際、素晴らしい行きである。

 

特に、往年のくろはファンは崇高で清純で尊い【ゆりは(くろはの百合)】を、表向きはニコニコ笑顔で拝んでいながら、裏では大樹の根のように地深く暗いところで背信的で淫靡な妄想をしているので(断定)、くろは先生が自ら猥褻性を全面に出してくれるのは、堂々と性欲のギアを6速に入れることが許されたということなのである。

 

早い話、みんなくろは先生のえっちな漫画が読みたかったのである。

 

くろは先生、本当にありがとうございます。

 

 

ということで、新作『有害指定同級生』は、これまでのくろは先生の作品性を踏襲しながらも、新たなくろはワールドの広がりを予感させる大傑作であると言いたい。本当に最高なんだよもう。

 

 

最後に、筆者自身に向けても言いたいことがある。おまけの小冊子で桜部長が出てきて、本当に嬉しかった。ちょっと泣きそうになった。しかし、帰宅部もう帰ってこない。本当に帰宅してしまった。そして、非常に身勝手ながら、あえて新規の桜部長を描いてくれたことに、くろは先生からの愛のようなものを感じた。自分でも感じ過ぎだとは思う。既に、新作の有生(ありなま)が走り出していながら、未だに帰宅部に思いをはせ続けていると、虚しさを感じる日も少なくない。だが、やはり創造主たるくろは先生の描く桜部長には、特別な思いを抱かざるを得ない。嬉しさもあるが、半分悲しさもある。うだうだ書き連ねているのに、その感情を上手く表現することもできない。般若の言葉を借りると、「忘れないでね 消えても」そいう言葉が思い浮かんでくる。一日たりとも忘れたことはない。新作、新キャラを応援しなくてはならないという建前が強くなれば強くなるほど、あの時の楽しかった思い出がギラギラと胸を刺してくるのだ。もちろん、有生はめちゃくちゃ面白い。それだけは嘘偽りない、建前でもない。しかし、あの時と同じ気持ちで楽しんで応援しているのかと、自分に問いかけてしまうのだ。お前なんなんだよと自分に言いたい。思慮深いフリしてバカなだけでしょって言いたい。だから、今はこれ以上言えない。おまけで桜部長見て泣きそうになった。今はそれだけ。あとは、やっぱりありがとうくろは先生。新作も本当に面白かった。これからも先生の目障りにならない程度、自分のできる形で応援していきたいと思う。

 

 

そう、俺たちの戦いは、まだ始まったばかりなのである。