大人になるまで噛んで食っていた物

・チョコレート

正直今でも噛んで食べているし、それ以外の食べ方はないとさえ思うが、近年新しい楽しみ方を発見してしまった。

 

それが、熱々の紅茶やコーシーで口腔内をチンチンにしてからチョコレートを食べるという作法である。ほど良く高温になった舌の上で溶けるチョコレート、僥倖の極みである。

 

知っている人は知っているのかもしれないが、筆者はごく最近自分自身でこの方法を編み出してしまった。もし筆者がこのコンボの最初の立案者ならドバイの高層マンションの1つや2つチョチョイのチョイだったのかもしれないと思うと、とても悔やまれてならない。

 

・アメ玉

「アメをなめる」という幼稚園レベルの例文があるにもかかわらず、筆者は長らくアメ玉は噛み砕いて破片化、いわゆるキャンディーフラグメントの状態にしてから舐めていたのだ。アメからすれば別の意味で舐められていると思っていたかもしれない。

 

それをやめたのは、大学生になってから毎日アメ玉を一つ口に放り込んでから学校に向かうようになったからである。つまり「あっ、これ噛むより口の中で転がしてる方が長く楽しめるんだな」と気づいた訳である。

 

ただ現在でも終わりかけのアメは容赦なく噛み砕いてしまう。アメよ、世の中はそんなに甘くないのだよ。

 

 

・ソフトクリーム

チョコレート同様、今でも普通に噛んで、というか齧って食べている。筆者は、いち早く口の中を当該氷菓子の味でいっぱいにしたいので、アイスを持つと齧らずにはいられないのである。

 

よく成人男性が見ることでお馴染みのIV(イメージビデオ)では、ナニかの暗喩、つまりナニのメタファーとして棒状のバニラアイス等をチロチロ舐めている場面が散見されるが、全てのアイスを齧る派の筆者としては、その行為がナニを暗示しているのかとは別として、「早く齧れよ」と思わずにはいられなのである。

 

もちろん、アメ玉と同様に舐めて楽しんだ方が長く楽しめるし、次第にアイスが溶けていくことで、初手とは違った舌触り、滑らかさのグラデーションをも味わえることは承知している。それでも筆者は、むしろその定石にいちべつもくれずに齧り倒す背徳感、征服感に浸っているのだ。

 

 

さて、どこかで「齧るのは親のスネだけにして欲しい」みたいのを入れたかったが入らなかったので文末で供養したい。

 

アーメン。