短編集「まだ誰にも話していない話」

時計の時刻を直さない

今筆者の目の前にある時計は01:48を指しているが、実際の日本時間は01:46である。見た目からしてこの置き時計は電波式なのだが、なぜか、ずっと1分ちょい早い。しかし、特に直そうという気はない。なぜなら、ソシャゲのデイリー期限に気づいた時、ちょうどの時間だと、文字どおり時既に遅しなのだろうが、1分ちょい早いだけでそれを防ぐことができているのだ。思い返してみると、実家のリビングにあったメインの時計は、親の意向で5分ちょい早く設定されていた。

 

そういうこともあって、腕時計を付けて働いていた時も、その短針はいつも異国の時刻を指していた。その電波式腕時計は一見するとピッタリ3時間遅れているのだが、日付の部分をよく見ると昼過ぎぐらいに次の日になっているのだ。つまり、3時間遅いのではなく、9時間早いのだ。日本よりも時間の早いニュージランドやフィジーでさえマイナス3時間なので、先ほどは「異国の時刻」と表現したが、実際にはどこの時刻でもない。単に狂っている時計なのだ。付け始めた時こそ正確に日本標準時を指していたが、気づけば何時でもない何時かを指し始めた時計。器用にも筆者はその状態でも1ヶ月ほど使っていたのだが、時計をつけ忘れたことに帰宅して気づいたその日に、無くても困らないことを知って、付けるのをやめた。早い話、腕時計が無くても困らない程度の仕事だったということだろう。ちなみに、その腕時計は、今はもう動いていない。

 

 

公園のトイレでした覚悟

数年前の夜8時ほどのこと、筆者は散歩をしていたのだが、仕方なく公園のトイレに駆け込んだことがある。その公園は、この先にあるスーパーと、同じ距離を後ろに下がった場合入れる激安の殿堂の、ちょうど中間地点にある。激安の殿堂方向から来た筆者にとっては、行くも地獄、戻るも地獄であったので、選択肢としては、その公園のトイレに入る他なかった。

 

品の良い幼稚園に併設されているその公園のトイレは、お世辞にも品が良いとは言えなかった。驚くほど軽いベニアのドアを開けると、当然ながら、いわゆる和式便器と目が合う。最も和式便器に遭うことが多い場所と言えば都内の地下鉄駅だが、「自分以外の人間は肛門が背中についているとしか思えない跡の濁し方」に遭遇することも少なくない。そして、この和式便器も例外ではなかった(お食事中の方、大変失礼致しました)。そうは言っても、これ以外に個室はないので、ドアとは比べ物にならないほど重くなった腰を下ろしたが、ふと上を見上げてしまい後悔した。筆者の影を真っ黒に染めるほど明るい裸電球は、同時に個室トイレの天井コーナー全てを支配している蜘蛛の巣と、そこで死んでいる名前も知らない無数の羽虫の存在を教えてくれた。自宅では何も考えずに済まされる行為のド序盤で、こんなにも思考を巡らすことになるとは思いもよらなかったが、個室の罠は留まることを知らなかった。

 

勢いよく入ったこともあって、筆者はドアのカギをかけていないことに気付いた。振り向いて気づくと、ドアは半開きならぬ、半半開きにまで迫る勢いで内側に開こうとしていた。慌てて右手でドアを押さえつけ、鍵をかけようとしたのだが、驚くほど軽いベニアそれは、同時に驚くほど立て付けも悪く、鍵の凸と凹をマッチングさせるのは困難を極めた。腰を半半浮かせて必死に鍵をかけようとした筆者だったが、道具が無い人間には成す術が無いほどベニアのそれは歪んでいた。致し方なく(排泄を致し始めてはいる)そのまま右手で背後にあるベニアのそれが開かないよう押さえつけていた。押さえてはいるものの、不安からか、後ろを振り向いてベニアのそれが開いていないか注視していた。その姿勢は正に、クラス対抗リレーで前走者からバトンを受け取らんと待ち受けている様だった。

 

そんな、明らかに弱点だらけの格好で排泄中の筆者に近づく者があった。夜も更け始めた公園の砂利を自転車のタイヤが踏みつける音がした。自転車を止め、一歩づつこちらに近づいてくる。ベニアのそれを押さえつける右腕と肛門に一気に力が入った。この辺に住んでいる人なら、この個室トイレの鍵がかからないことを知っていてもおかしくはない。また、公園の周囲にはぼんやりとした街灯しか無く、筆者の頭上の裸電球だけがこの公園の夜の太陽だった。「この野郎、俺がトイレに入るところを暗闇から見張ってやがった」。そう心の中で叫んだが、もしベニアのそれを外側から蹴られればひとたまりもない(まだ流していないので溜まってはいる)。こんなところで・・・と、この後起こる最悪の展開をスーパーコンピューターの如く予測して、筆者は覚悟を決めた。

 

しかし、その野郎は個室トイレに併設された事実上男性専用の便器に水をかけ始めた。要するに尿だ。放尿中の吐息からして60代は過ぎているのではないかと推察した。尿音が終わると、別のスピードの水音が聞こえた。要するに手洗いだ。水音が止むと、次は足音がして、それからまたタイヤが砂利を踏む音がした。

 

スーパーコンピューターの排熱のため、口から大きな息を吐いた。こういう話の場合、たいていトイレットペーパーは無いのだが、普通にあった。ケツを拭いてから、手を離したので勝手に開いていたベニアのそれに別れを告げた。それからすぐ帰宅して、いつも熱いシャワーを浴びながら、この世にはうんこを漏らすことより恐ろしいことがあるのかもしれないと思った。

 

 

夢の中で会った人だろ

昔から物凄い頻繁に夢を見る。ほぼ毎日と言っても良い。寝た瞬間に朝になることはあまりない。殆どの場合、1日は24時間ではなく夢の中で過ごすプラス1、2時間があるのだ。他の人の夢の話を聞くと、起床して着替えて電車に乗って会社や学校に着いたぐらいで目が覚める人もいるらしい。筆者も起きて着替えて歯を磨くぐらいの夢は見たことがある。しかし、夢の中で自分が存在している場所が自宅であることは非常に少ない。そのほとんどは学校である。

 

自分以外の登場人物からして、その舞台は高校ではない。中学校でもない。夢の8割ぐらいが小学校なのだ。筆者の中学校の生徒は半分ほどが、小学校が同じ人だったので、逆輸入的に小学校時代の人々の中に中学校時代の人も混じって出てくることがあるので非常にややこしい。高校時代の人々は、年に1回あるかないかぐらいでしか登場しない。大学時代は、そもそも友達が居ないので出代がない。

 

ほとんどの場合の彼ら、彼女らは12歳ぐらいの見た目とテンションで、実際の当時の仲良し度は特に関係なく接してくる。同じ人でも筆者に対する好き嫌いが夢毎に違ったりもするが、好きだったけど嫌われていた子が好意的なパターンもあって、起き掛け凄い嬉しい日が極稀にある。話している内容とか、何をしようとしていたかまでは忘れてしまうのだが、会った人のことは覚えているので、毎朝、なぜ毎夢小学校時代に飛ばされるのか不思議でならない。

 

それから、それとは関係なく、高確率で毎回課されるテーマとして「早く行かないと」というのがある。家であったり、勤め先であったり、遊園地であったり、都会の駅であったり様々だが、とにかく早く行かないといけないのだ。しかも、ほとんどの場合、間に合わなそうな感じがしてずっと辛いのだ。急がないといけないのだが、忘れ物に気付いたり、乗り遅れたり、誰か足手まといがいたりして、たいてい上手くいかない。そして極めつけは、自分が早く移動できない。

 

これは、夢を見る人の中ではあるあるだと信じたいことで、子供の頃からずっと悩まされている。どうやっても足が物理的に重くて、前に進めなかったり、強い引力で逆方向に引っ張られていたり、マイケルジャクソン並みの角度で前のめりで斜めになっているのに、全く前に進んでいかないのだ。たまに自転車に乗っていることもあるが、その場合もペダルが重くて前に進めない。例外的に、極稀に自動車を運転している場合は、ほぼガードレールにべた付け状態で走行することができる。この動けない問題については、実際の身体は寝ているのに素早く動こうとしているから、その時だけ実際の身体の方の状態が優先されて動きづらくなるのだと解釈している。

 

実は、1つの夢を見ているのではなく、断続的に見た夢を1つのものとして認識しているという説を知ってから、多少見え方も変わってきた。寝起きで思い返してみると、確かにあそこからの展開は急だったなとか、一瞬でもの凄い距離を移動したな、ということはある。ただ、その日の夢でなぜかどの場面でもずっと一緒にいてくれる小学校時代の人がいるせいで、どこが夢と夢の境目だったのか判断に困ることも少なくない。

 

大人になってから知り合った人は、ほとんど出てくることがない。夢の最中なので意識することができないが、たぶん自分も子供の頃に戻っているからだと思う。ただ、気持ち悪いのは、たまに凄い仲の良い全く知らない人が出てくること。顔も名前も知らないが、何年もずっと一緒だったかの様に接してくるのだ。

 

ちゃんとサブタイトルを回収できて偉い。