日記のタイトルなんて考えても一生結論は出ない日の日記

2020年2月9日、日曜日、筆者は有楽町にいた。RASことRAISE A SUILENのライブをライブビューイングするためである。

 

有楽町とは東京の地名である。東京都、千代田区、有楽町。ちょっと歩けば日比谷、逆側にちょっと歩くと銀座、そのどちらでもない方向に進むと東京駅、もしくは新橋に着く。新宿渋谷や秋葉原上野といったTHE・TOKYOといった喧騒や良くも悪くもゴチャっとした感じは無いものの、ビルはめちゃくちゃ高いし、道路はめちゃくちゃ広いし、チェーン店もほぼなんでもあるし、行きかう人は皆どこか落ち着いていて、自然と筆者も顔つきがシャープになってしまう。個人的に、正に東京だなと感じる街である。

 

 

当たり前の様に待ち合わせ時間を過ぎて有楽町駅前に降臨した筆者。そして、当たり前の様に待ち合わせ時間を過ぎて現れたCさんと合流し、映画館へと向かった。

 

映画館と言っても、館そのものがあるわけではない。色々なお店が詰まったビル、ルミネの中に映画館があるわけだ。しかし、それっぽいビルの案内板を見ても映画館は見当たらない。また、Twitterの情報によると、開演時間が1時間5分延びたらしいので、茶しばいてから映画館いけば良くね?と思ったので、とりあえず目の前にあったカフェーに入らないか?とCさんに言ったら、普通にシカト(無視)された。よくあることなので気にしなかったが、回答はNOということで、引き続き映画館を探した。

 

駅に行く途中、このビルに映画の広告があったのは確かなので、ビルの外周を回って正面っぽいところまで移動した。ただ、この日は非常に寒く、筆者はスキニージーンズだったので、寒さからくる不安と怒りと便意に震えていた。外周を歩いている時間が永遠に感じられた。

 

正面っぽいところに来ると、やっぱりこのビルがルミネで映画館も入っていた。終始本当にこのビルで合っているのかいぶかし気だったCさんに対して、「ホラな!」とかちどきをあげた。

 

映画館はルミネの9階に位置していた。なるほど、どうりで案内板を見ても見つからないわけだ。何がなるほどなのか筆者にもわからないが、とりあえず昇降機(エレベーター)に乗り込み9階へと上昇した。すごい速さで9階に着いた(体感2秒)。

 

心なしか映画館の従業員の方は慌てていた。急遽開演が後ろ倒したからだろう。その開演時間まで、まだ1時間程度あるので、筆者は茶がしばきたかった。しかし、Cさんがとりあえず入ろうと言うので入ることにした。

 

なんとなくネット画像検索でスクリーンの感じはつかんでいたが、想像より数倍スクリーンは大きかった。真ん中ほどの席だったが、感覚的には大仏を見上げるときの感じに似ていた。この劇場は2階席もあるのだが、2階の一番前で見るのがベスポジ(best position)のようだ。

 

それよも驚いたのは、観客の少なさだった。目測だが、30人もいないぐらい。いわゆる「客より店員の方が多い」ほどではないが、着席以外はすべて空席だった。理由について色々と想像はつく。まず、ライブ会場現地のチケットが当日券であるぐらいなので、熱心な人はほぼ現地なのだろう。ただ、会場が「静岡県袋井市愛野」という、「近いのか遠いのか想像できない」心の距離(distance)があるのもまた確かで、ほどほどに熱心な人を足止めするには十分な要素であったことは想像に難くない。いっそ、名古屋!大阪!北九州!札幌!とか言われた方が、「じゃあついでに」ということもさもありなんなのではないだろか。知らんけど。

 

もちろん、全国の他の映画館でもライブビューイングは行われているので、すべて筆者の妄想である。

 

開演時間が押したことは知っていたが、実際上ライブビューイングの方がどんな感じになるのか着席して待機していた。ほどなくして、映画館の方から時間延期の旨が伝えられたので、筆者はお手洗いに急行した。この時ほど開演時間延期の神に感謝したことはない。

 

再び席に戻ったが、いかんせん手持無沙汰だった。あと50分ぐらいこの状況に耐えられるか?否!と思ったところで、Cさんから一時退館の申し出があった。是非もなし!と食い気味に一度映画館を出ることにした。

 

下の階にカフェーがあったので入ろうとしたが、すごい混んでいて入れなかった。是非もないので映画館に戻ることにした。「恥ずかしながら帰って参りました」と言わんばかりの表情で再入場した。

 

普段は小腹を満たすレーション(携帯食料)を携行しているのだが、この時ばかりは持ち合わせがなかった。しかし、今はお昼ごはんとお夕食の間の時間、すべての人がお腹が空く時間だと聞く。するとCさんが「〇〇あったら食べる?」という申し出があった。小学1年生のような元気な表情と声で「うん!」と答えた。正直何を食べさせてくれるのか聞き取れなかったが、餌付けしてくれるならなんでもよかった。

 

そういえば、先ほど筆者がボルト並みのスピード感でお手洗いに急行し、戻ってくるとき軽食売店の前を通り過ぎた。定番のドリンク、ポップコーンはもちろん、アイスクリームや皮付きポテトフライ、更に焼きおにぎりや「黒豆ぐらっせ」なるものまであった。

 

ハリーポッターと賢者の石ばりに「ポテトフライが良いポテトフライが良い」と心の中で唱えた。いや、というか筆者的にはもうポテトフライが来るものだと錯覚していた。人間の認知とは恐ろしいものがる。

 

Cさんが戻ってきて、ボリボリ食べ始めた。

 

「あっ、ポップコーンなんだw」

 

何がwなのかCさんにはわからなっただろう。当たり前である。

↑意図せずWとCが並んでしまいました。お食事中の方、大変失礼いたしました。

 

「味のばらつきがすごい」と言われて筆者のターンが来た。袋の中を覗くと、真っ白なポップコーンと変色していると言っても過言ではないほど黄みがかったポップコーンが点在していた。何粒が食べたが、無味~カレー味まで様々だった。もうお気づきのとおり、自らで袋を振って味を均一にするタイプである。

 

「これ振るやつでしょ?」とたまらず指摘してしまった。もちろん、多少おかしくはある。戦後に米軍経由で日本に持ち込まれたポップコーン。アメリカでは映画館のポップコーンが農家を救ったなんて話もあるらしい。映画館とポップコーンは切っても切れない関係だが、「映画館ポップコーン問題」はかねてから存在している。ただでさえ気になる人は気になるポップコーン音。それが、食べる前にシャカシャカ爆音を鳴らしてから食うなど、反ポップコーン派からすればとんでもない蛮行である。

 

そうはいっても無味コーンとカレーコーンばかり食ってはいられないのでシャカシャカした。味が均一になった。均一にはなったが、味はカレーのままだった。たまらず「これ何味買ったの?」と指摘してしまった。タダでおこぼれを頂戴しておきながら、味のチョイスにまで口を出す。時代が時代なら切り捨てられても文句は言えまい(理由:死人に口なしだから)。

 

コンソメだよ」

 

耳を疑った。コンソメ?これが?

 

筆者は以前、何味かわからないパンを食べてグベーっとなったのだが、それがチーズパンだと告げられた瞬間に笑顔になったことがある。重要なのは、何を食べているかではなく、何を食べていると思っているかなのである。味そのものではなく、何味なのか、その情報を食べているのだ。これは、「カキ氷シロップの味全部一緒問題」にも通じるところがある。

 

コンソメと知った上で食べてもやはりカレーである。筆者は、店員さんがコンソメフレーバーとカレーフレーバーをかけ間違えたのではないかとすら考えた。人間は理解不能な事態に陥ったとき、自らの想像できる範囲内でその事象を正当化してようとしてしまう。

 

そもそも、その売店にはカレー味自体売っていない。どう転がしてもこれはコンソメ味なのだ。そうであるなら、これはいわゆる「自分をコンソメ味だと思い込んでいるカレー味」なのだろう。

 

そんなこんなでコンソメポップコーンを食べ終えた我々に開演時間が迫ってきた。

 

始まった。最高だった。しかし、やはりスクリーンは巨大で、終始見上げる姿勢を強いられた。途中、あまりにも首が疲れて下の方を見ると、見切れているドラムしか見えなかった。もう一度首を上げると、ボーカル兼ベースのレイチェルさんの顔が大仏様の顔の位置にあった。いや、彼女を指して言うなら観音様の方が近いかもしれない。「ライブビューイング」も戸田奈津〇風に翻訳すれば「観音」になる気がする。今日も紡木さんはかわいいし楽しそうで何よりだった。RAISE A SUILEN最高、そう表現する他なかった。

 

最後の方にサプライズ的な発表があった。筆者は、次のライブとかアルバムとかかなと思ったら、RASの舞台をやるということだった。斜め上過ぎて笑った。

 

そういうわけで映画館を後にしたのだが、開演が押したこともあり、完全に夜ご飯の口になっていた。有楽町については、一番最初に「チェーン店はほぼなんでもある」と表記したが、とりあえず秋葉原に移動した。帰巣本能的なやつなのだろう。

 

Cさんがお寿司の口になっているというので、以前入れなった回転寿司屋さんに入った。結論だけ書くと、もう二度と行かないと思う。そしてファミレスへ梯子し、感想戦を多少して一日を終えた。