「普通に」生きている人々と対岸にある蕾

マキシマムザホルモンの中で一番好きなパンチラインが『予習復習』の「普通や一般という名の異常な正常者」な今日このごろ、いかがお過ごしだろうか。

 

 

小学生中期ぐらいにやったある道徳の授業のことが今日も忘れられないでいる。

 

ある日の道徳の時間に、重い病気か何かで未成年で亡くなってしまう、もしくはしまった女性の遺書的な、想いを綴った的な手記を題材に授業をしたことがある。

 

かなりぼんやりしているが、その方は普通に恋愛をして普通にお嫁さんになって普通にお母さんになりたかった、といった趣旨の言葉を残していた。

 

普通に寝起きして生活して生きれることに感謝しましょう、日常を大切にしましょう、そいう学びを得るための授業だったのだろう。

 

この方の詩と授業の趣旨は極めて真っ当で尊く基本的で、さらに人間人生において根源的で、特別な時間があるのはそれ以外の膨大な普通な時間が支柱になっていて、年齢世代に関係なくこれを忘れることなく維持していかなければならない共通の価値観だと思う(久々にブログを書くと現れる冗長なだけで殊更重みのない説明)。

 

それは、大事、とても大事で間違いない。しかも「普通に」と一口に言っても、その位置に至り維持するのは、比較的小さいが連続して一見終わることがない数多の困難と試練と挑戦の上において、初めて成り立つある種の奇跡によって存在している精神的な静寂なのだ。

 

そしてこれは、どんなに砕けた説明しても、子供がそれを真意から理解するのは、おおよそ困難である。親は可能な限り「普通」であることとを維持して提供してくれるし、子もそれを拒むことはない。いや、親になったことないからわからないけどたぶん、普通だけしか知らなければ、相対的に普通の価値を計ることは難しい。

 

 

それで、何が言いたいかというと、当時筆者はこの授業が恐ろしくクソで無意味で無価値に感じてならなかったのだ。

 

「普通」の尊さは今だからこそ痛いほどわかる。もう分かりたくないほどにわかる。しかし、当時の児童としての筆者は、「普通」が良いとは限らないし、生きていけたとしてもそれを得ることができるとは約束されていないし、お涙頂戴っぽいのも嫌だし(心の大部分を占める卑屈な本音の感情)、ていうか他の子たちにこれを聞かせたとて響くわけないじゃん、等と思っていた。

 

もちろん思っただけで、完全にイカれてはない。その感想文には、「いやマジでそう思う、超感動した(意訳)」みたいなことを書いて提出したように記憶している。

 

別に貧乏だったわけでもないし、家庭も複雑どころか極めてシンプルだった。いじめられていたわけでもないし(この時はまだ)、なぜこんなに早めに拗れていたのか思い出せない。言わばこじらせの早摘み一番搾りである。

 

まず反省して修正しておかないといけないのは、他の同級生達にちゃんと響いていた可能性は常にあったことだ。その授業中はまだしも、その後に何かあって「ああ、あの授業で習ったことだと」思い返した子もいたかもしれない。授業の理解度と教室の熱気は必ずしも一致しない。特に道徳の授業中はいつも以上に静かだった。

 

それと、一応先に書いておくと、大人になっても未だに小学生時代の一授業を引っ張り出してこねくり回していることのヤバさは重々自覚しているので、そちらで引っかかっている方は一度こちらの段に降りてきてほしい。人生経験の乏しさと薄さによるものなので多目に見積もっていただきたい。

 

それで、当時から筆者は不思議と、そして漠然と「普通に」生きていくということに対して、嫌悪感に近い蔑んだ思いと同時に、憧れにも似たキラキラした尊さを同居させていたのだ。一番欲しいけど手に入らない物ほど憎いものはない。愛と憎しみはいつもワンペアなのだ。

 

一般的な児童としては既に十分すぎるほどに「普通に」暮らし生活していたリトル筆者がここまで卑屈で鬱屈で屈折していたのは、2年生ぐらいからずっと心の中の自分と実際に現実世界に存在している自分の姿のギャップに悩まされていたからである。

 

いや、具体的に悩んでいたというよりも、ずっと少し息苦しく酸素が少ない感じ、喉に小骨が刺さっている感じ、本当の意味で感動したり喜んだり分かち合ったり達成したり慈しんだりすることができなかったのだ。

 

できそうな場面でなぜか一度できないとなると、「できない」というより、「しない」ことが自分の中で正しくなっていったのだ。笑ったり怒ったり泣いたりしない、するのはダサい、しない方が正しい、そう思い込むことで、本来自分と周りの人に認知されている自分のギャップに苦しまないよう心の調節していたのだ。

 

今思うと、「特別」だと思っていた自分の心の有り様を持った子は他にもいたかもしれない。もしそんな子がいたら、きっと仲良くできたかもしれない。だが流石にリトル筆者の思考はそこまで深くなく、「特別」同士の友達を作ろうなどという、むしろ自分の基準に相反することなど考えようもないだろう。

 

「早すぎた埋葬」ならぬ早すぎた中二病だったのだろう。あえてそう言い切って、枠にはめて、短絡した方がずっと気が楽である。それが一番「普通に」考えられる一般的な原因だったのだろう。

 

 

それで、この少年時代において「普通に」他の子と同じように、自分の感情や理性を言葉や表情や態度で示すことができていれば良かったのにと思う。自分ではわざと「しない」んだと、やろうと思えばできるんだと考えていたが、実際は「できない」に等しかったのだ。この「できない」にかなり悩まされたと思う。

 

一応、高校にあがったあたりで「しない(実はできない)」から「やっても良い」に変わり、大人になって「やりたい」に変わっていった。それでもまだ、今日に至っても「できる」とまではいかない。

 

 高校で初めてオタクの友達ができたり、大学生になって初めてオルスタライブに行ったり、ネットを介して自分のありのままの心情を吐き出したり、ドリクラとツイッターのおかげで(良い意味でも悪い意味でも)自分とは違う価値観や地域や世代の人々と出会って交流したり断絶(←これが特に大事)したことで、相当程度「普通に」生きて喜怒哀楽することを教えてもらい、次回もまた「やりたい」と思えるようになったと思う。

 

それから、素晴らしい音楽や映画やドラマとの出会いもそれを助けてくれた。ずっと自分を支えて依存させてくれたアニメやラジオやゲームのことも忘れてはならない。やはり人間は文化の上でこそ根を張り、成長して、それぞれの花を咲かせるのだろう(まだ咲いてない)(咲いてもめちゃくちゃ地味)(素人の人にこれが花なんですか?って聞かれる)(専門家の人が苦笑いしながらそうですって言う)(誰も写真取らない)(インスタではバエないけどツイッターではバズるタイプ)(バズったら何か宣伝していいらしい)(自分で宣伝するものがない)(レルエの「夜はエモーション」がオススメ)(ダイマ)(ダイマって地方のスーパーっぽい)(日本人のほとんどがオリンピックを知らない)(俺も大学生になるまで知らなかった)(ライフ派)

 

 

上手く言葉や態度で表現したり想いを伝えられなくても良い。そのうちできるようになれば良い。どういう形でも良い、どういうことについてでも良い。情熱がなくても続かなくても良い。まず言ってみる、書いてみる、伝えてみることから始めれば良い。そういうことを小学生の時の自分に教えてあげたい。あとめちゃめちゃ円高になるタイミングも教えといてあげたい。

 

よく、むしろ地球にしか知的生命体がいないほうが不自然で、逆にまだ見つかっていないことが宇宙人の存在可能性を常に示しているように、筆者のような悩みや苦しみを抱えて「普通に」生きられずにいる人がいるかもしれない。

 

もちろん、筆者も含めて彼ら、彼女らはそうであることを示さないので、機械的にそれを判別することはできない。でももし、いるのだとしたら、そっと心のブランケットで包んで、大丈夫だよと無責任に声をかけたい。少なくとも筆者は、だいじょばないの連続を経てなんとか今限りなく「普通に」近い形で生きていることができる。多くのアーティスト、クリエイター、友人、そしてエロ同人作家の皆々様のおかげである。今はまだ強い実感はないが、家族もその一助になっていたのかもしれない。

 

 

世の中のほとんどを占めているように感じられて、一見「普通に」生きている人々。その人らとは決して交わることができず、ずっと対岸にいる筆者を初めてとした人々。見方を変えると、「普通に」生きている人々も、より反骨的で反社会的でアナーキーで異常に生きている人々に憧れているのかもしれない。

 

晴れの日も雨の日も隣の芝はいつも青い。だから青は醜いと思うしかないのだ。もちろん青が最も美しいことを知っている。だから、美しいものが一番憎いのだ。でも本当は赤でも緑でも黄色でも何色でもいいし、色なんかなくても良い、美しくなくてもいい。それでもやっぱり『美しく生きたい』、そういう自分でありたい、そういう自分になりたいのだ。

 

もしかしたら、こうやって色を比べたり探したりすること自体がホントの「普通に」生きていくことなのかもしれない。比べることで初めて見える色だってある。童話に出てくる小鳥と同じで、実はずっと一番側にあるものが一番大切なものなのかもしれない。

 

もちろん、その鳥だって何色だって良いのだ。