大解剖!一発屋芸人面白さのシステム

今日みんなに集まってもらったのは、いわゆる一発屋芸人と呼ばれる人々が、なぜ一発当てることができたのか、その芸の解説を聞いてもらうためである。

 

 

最初に私の持論として「お笑いとは、システムである」と宣言しておきたい。「ネタ」と呼ばれる芸には、人が必ず笑ってしまうシステムが組み込まれている。そのシステムが破綻している場合、人を笑わせることはできないのだ。

 

しかし、このシステムは、人に伝わって初めて意味を成す。昨今の散見される、独特の世界観を武器にしたコントや、若い女性向けのピン芸はその典型である。ターゲットから外れたり、あまりにもシュールすぎると、そのシステムが理解できず、笑うことができないのだ。

 

このシステムを非常に単純明快にして、誰でも理解できる、つまり、ほとんどの人が一定程度笑えるように作られた芸をしているのが、いわゆる一発屋芸人のみなさんである。

 

先に断っておくと、私は一発屋芸人と呼ばれる人々にあくなき尊敬を抱いている。侮蔑や嘲笑といった気持ちは一切ない。むしろ、なぜ彼らが一夜にして芸人の頂点に上り詰め、一発当てることができたのか、そのシステムの素晴らしさを説きたいのだ。

 

 

では早速その素晴らしい一発屋芸のシステムを解説していきたい。

 

まずは、「第1回 一発屋オールスターズ選抜総選挙 2015」の初代王者であり、私がもっとも好いている芸人、髭男爵である。

 

まず、見た目からして貴族とその執事という分かりやすい設定がある上に、ネタの前に「貴族のお漫才」と説明がある。ネタの大まかな流れとしては、ボケであるひぐち君が喋る、男爵様が振る、ひぐち君ボケる、男爵様「○○やないか~い」とワイングラスで乾杯をしてツッコむ。非常にスタンダードな漫才のシステムだか、やはりこの貴族感というのがよい。ほぼ全てのツッコミが「○○やないか~い」の形を取っているので、笑いどころがハッキリしている。

 

ほとんどの素人は分かっていないのだが、お笑いというのは、ツッコンで初めて成立するものなのだ。どんなにボケがカスでも、ツッコミ1つで笑いの大きさは変わるのだ。

 

髭男爵のそれは「ツッコミ漫才」と言ってよい。100%ツッコむことでネタが成立している。タカアンドトシやオードリーの漫才もこれに近い。更に髭男爵は、男爵様が笑顔で「○○やないか~い」とツッコみ、突っ込まれたひぐち君も(なぜか)笑っているので、更に笑いどころが分かりやすく作られているのだ。たまに、キレながらやるネタや、ほとんとケンカみたいなコントがあるが、あれは子供やお年寄りには全くウケない。ただただ怖い。一方髭男爵は笑顔である。これが非常にウケが良いのだ。

 

また、ひぐち君ネタが展開することを言うと、男爵様が「事情が変わった」と、「はい今話進みましたよ、次の展開行きますよ」と示唆しているのだ。非常に分かりやすい。更にひぐち君には「ひぐちカッター」という、全ての時空を切り裂くここぞというときの一発ギャグを持っている。

 

このように、髭男爵のネタは、とにかく分かりやすくキャッチーなのだ。貴族と執事、ワイングラス、「○○やないか~い」、極端な話、これさえやれば髭男爵の体裁は整う。非常にシンプルだ。老若男女、誰にでも伝わるシステムで、ネタ自体も分かりやすい。髭男爵は全年齢対象なのだ。

 

 

次に説いておきたいのは、クールポコ。である。「な~~~~にぃ!?やっちまったなぁ!!!!」のフレーズで一世を風靡した。

 

餅つきという、日本の伝統的なスタイルをまとっている。既に異常である。そして、もちをこねる係りのせんちゃんが、通常漢(男性)らしくない行動をしている人を揶揄する。すると、持ちをつく係りの小野が「な~~~~にぃ!?やっちまったなぁ!!!!」の後に、本来日本男児が取るべき行動を言う。結びにせんちゃんが一言添えるというシステムである。

 

まず、せんちゃんの言うことは、普通のこと、もしくは、なるほど確かに一昔前の感覚では女性っぽい感じ程度のことである。そこに、通常考えられないレベルの男性的行動を小野が言うわけだが、これがボケになっている。小野の言うことが「いやそんなやついないだろ」っていうぐらい異常であれば異常であるほど、ボケとして際立っていくのだ。

 

これは、お笑いのシステムでもっとも重視されるべき「裏切り」という要素である。地球のほとんどの笑いは、この「裏切り」で作られているといっても過言ではない。

 

せんちゃんの言うことは、つまり「フリ」に当たるわけだが、この時点ではまだ、このあと小野がなんとボケるか全く予想ができない。そして、案の定予想や想定を裏切る、通常の思考回路をぶっちぎったことを言ってくる。これは、どうしても笑ってしまう。

 

もちろん、フリに対して、裏切りボケをするのは普通なのだが、主役がボケというのが、クールポコ。のシステムなのだ。先ほど私は「お笑いというのは、ツッコンで初めて成立するものなのだ」などと言ったが、クールポコ。の場合、小野が喋った時点で成立しているのだ。これは素晴らしいの一言に尽きる。

 

もちろん、小野のボケの後にせんちゃんが一言ツッコミを添えるが、そこまで重要ではない。小野がボケた時点で、既にオチているからである。なぜか。

 

お笑いでもう1つ重要な要素がある。それが「大声」である。実は、世の中のほとんどのことは、大声で言うだけで面白く感じるのだ。なぜなら、普段大声を出すやつなどいないからである。一般社会において、「大声」を出すだけで、既に異常者なのだ。最近であれば、ハリウッドザコシショウサンシャイン池崎がこれである。アホみたいな話だが、人がでかい声で叫んでいるのは、面白いのだ。

 

さてクールポコ。小野は常に大声である。まず、ボケの前の「な~~~~~~にぃ!?」これが面白い。顔芸も入っているので、非常に引き込まれる。そして、その後に大声で、ある意味しょうも無いことを言うのだ。ウソみたいなことを大声で当たり前のことのように叫ぶ。謎の説得力が発生するのだ。「謎の説得力」これがクールポコ。の面白さの核である。

 

見てのとおり、小野は非常に古来の日本男児らしい風貌をしている。スキンヘッドで上裸でねじりハチマキでモモヒキで、顔にもインパクトがある。そんな、明らかなる日本男児が、本来男が黙ってやる行動を大声で提唱している、これには非常に説得力がある。

 

小野のボケはボケでありながら、なぜかボケているようには感じられないのだ。つまり、茶番感、嘘臭さがないのだ。むしろ説得力するらある。だから滑らない、しらけないのだ。ゆえに、それに対する強いツッコミが必要ないのだ。このシステム、クールポコ。にしかない唯一無二のシステムである。

 

 

続いてバンビーノ。言うまでも無く、例の「ダンソン」のリズムネタでお馴染みである。一発屋のほとんどは、リズムネタのシステムを活用している。

 

まず、あの歌「ダンソン フィーザキー トゥーザ ティーサーザ コンサ」(出展:wikipedia)であるが、冷静に考えて意味不明である。後述する8.6秒バズーカもそうだが、意味不明なカタカナの羅列は面白い要素の1つである。この意味不明な歌、そしてあの前後にステップする動き、寄せられる二足歩行の鹿、オチに「ニーブラ!」と謎の言葉を発し、神秘的なBGMが流れるという、全てが意味不明な動作の連続である。

 

TBSの『水曜日のダウンタウン』という神番組で、「ダンソン」では実際の鹿は寄ってこないという実験結果を放送していた。常識的に考えて、実験するまでもなく、どう考えてもあの動きと歌では鹿は寄ってこない。しかし、あの鹿はリズムに乗って寄って来てしまうのだ。ありえないことだ。そして、素手で首を折り捕まえるという、非常に原始的な狩猟方法である。現実にはこんなことは起こりえないが、それが起きる、ただ、ちょっとありそう、というのがミソのネタである。

 

なんと言っても、やはりあのダンソンのリズム、あれが秀逸だろう。一度聞けば忘れることは無いだろう。しかもマネしやすいというのもポイントだ。前述の髭男爵とクールポコ。は、真似ようとしても、簡単にはできない。システム自体は単純だが、再現性はやや低い。しかし、ダンソンは、最低でも鹿の被り物さえあればできてしまう。

 

この再現性の高さこそ、一発屋一発屋たらしめる大きな要因なのである。

 

余談だが、つい最近、初めて生でバンビーノのネタを観たが、非常に面白かった。生のダンソンはモニター越しに見るそれとは、迫力が全く違った。ほぼ全ての一発屋芸人に言えることだが、やはり生の迫力というのは、すさまじいものがある。在宅はクソ。

 

 

ダンソンに類似しているのが、8.6秒バズーカである。

 

赤いシャツとズボンに黒いネクタイ、サングラス。分かりやすい見た目である。そしてあの歌、「ラッスンゴレライ」である。上述したとおり、意味不明なカタカナの羅列である。更にこのあと、「ラッスンゴレライ」の説明をしないまま「スパイダーフラッシュローリングサンダー」が登場してくる。先ほどの「ラッスンゴレライ」とは対照的に、すぐに英単語の連続だと理解できる。「蜘蛛、閃光、回転、稲妻」バーズカMIXとでも名づけようか。意味はわかるが理解はできない。

 

「ラッスンゴレライ」のネタのポイントは、一方が「説明して」と言ってくるが、説明できないという点である。説明をするネタなのかと思いきや説明しない。これはレーザーラモンRGのあるあるネタに近いものがある(「早く言いたい」と自分で言っておきながら言わないというネタ)。ただ、RGのネタはオチとしてあるあるを言うわけだが、8.6秒バズーカは最後まで言わないことを貫くわけだ。個人的には、これはマイナスポイントであった。

 

ただ、真似し易いという点においては、良かった。正直、サングラスかけて、これ言ってれば成立するからだ。セリフの量も少ないし、BGMも不要だ。再現性が非常に高い。それなのに、8.6秒バズーカが、8.6秒しか持たなかったのは、「ラッスンゴレライ」が出オチだったからである。「ラッスンゴレライ」って言う、面白い、以上。なのである。言って終わり、後にも先にも、このネタにはこれしかないのだ。だから長続きすることができなかったのだ。

 

 

藤崎マーケットは、リズムネタではあるが、多くのそれとは、若干相違がある。

 

日常にありそうな風景から、突如エクササイズが始まるというコントだが、リズムは常に「ラララライ」である。しかし、毎回そのショートコントにあわせた動き(エクササイズ)をするので、厳密に言うと、これはリズムで笑っているというより、動きで笑っているといった方が正確である。しかも、そもそもが、「そんなところで急にエクササイズするなよ」というボケでもある。ヘアバンドにタンクトップ、そしてスパッツとステレオタイプな分かりやすいエクササイズスタイルではあるが、ネタごとに動きが変わるので、再現性は低いといえる。

 

 

一方、レギュラーは完全なリズムネタである。

 

リズムに乗せて「あるある探検隊」といいながら、あるあるじゃないことを言うというネタである。こうなってくると、ある意味シンプルだ。「あるある」と言いながら「ないない」を言うというのは、一種の「裏切り」に当たる。もちろん、普通にあるあるネタを言う場合もある。リズム部分はわかりやすいが、ネタの本筋はあるある(ないない)を言う方なので、再現性は低い。

 

 

一発屋界でもトップクラスの実力者であるのが、小島よしおである。

 

「でもそんなの関係ねえ」が特徴的なリズムネタであるが、全てが「でもそんなの関係ねえ」に帰結するので非常に分かりやすい。そして、あの拳を突き下げる独特の動きもつければ誰でも真似できる上に、オリジナルのネタでもいけるという点が優れている。

 

基本的には、「正直関係ある」ことを最初に言うのが条件である。ほとんどの場合、不幸なことや自虐的なことを言うことで、「でもそんなの関係ねえ」に繋げることができる。失敗や不運も、これ1つで笑いに昇華(消化)することができる魔法のシステムである。正直なところ「関係ねえ」とは言い難いのに、あえて「関係ねえ」と強がる、無視する、異常者になる、というのが笑いどころである。これは誰でも理解できる論法だろう。これは非常に再現性が高い。ビキニパンツ一丁になれば、さらにそれらしくなる。

 

さらに、ネタの導入である「下手こいた~」もわかりやすい。最初にあえて失敗することで、その後の「でもそんなの関係ねえ」にスムーズに繋げることができるのだ。真似る側も見る側も頭を使う必要がない、非常にシンプルなシステムである。

 

 

 

以上のように、一発屋に必要な要素は2つ。まず、誰にでも笑いのシステムが伝わるシンプルさ。そして、真似のしやすさである。

 

正直なところ、世の中のほとんどの人は、お笑いの仕組み、システムを理解していない。しかし、ここまで単純化され、システムが理解しやすいと、多くの人が笑うことができるのだ。そして、真似し易いと、すぐに飛びついてくるのだ。

 

一般の人々が、一発屋芸人のネタを真似るのは、自分自身では笑いのシステムを使って人を笑わせることができないからである。別に、それが悪いとかどうとか、そういう話ではない。誰もが知っていて、その当時なら確実にウケる手段があるのだから、それを使うのは、妥当なことだ。ただ、そのときに忘れないで欲しいのは、それは他人のフンドシであるということだ。少し前までその芸人が苦難の末に生み出したシステムにタダ乗りしていたくせに、時期を過ぎれば「あいつは一発屋」だ「もう消えた」だ後ろ指差しているわけだ。私はそれが非常に腹立たしい。

 

ほとんどの一発屋は、モニター越しに見るのと、実際に見るのとでは、全く言っていいほど違う。一発あてている人は100%面白いのだ。そして、地球上のほとんどの人は、1発も打ち上げることなくしぼんでいく運命にある。どうか、素晴らしい一発屋芸人たちに尊敬の気持ちを忘れないで欲しいというのが私の願いである。

 

 

ついでなので、今売れている芸人についても書いておきたい。

 

ブルゾンちえみは、リズムネタとあるないネタ、2人の男がいる場合はコントでもあるが、基本は漫談である。男性の数35億とか細胞の数60兆は、誰も想像していなかっためちゃくちゃデカい数字を言うというボケである。また、ほとんどが反語(するだろうか、いやしない)の形をとっている。これが非常に分かりやすい。ネタのベースが「できる女、キャリアウーマン」であるから、女性ウケが良い(童貞やオッサンではあまり笑えない)。個人的にはにしおかすみこに近いものを感じる。同じことを2回言う、ゆっくり言うなど、間の使い方が絶妙である。また、本人にその意識があるかわからないが、ボケたときに顔芸もしているので、この部分が局地的に真似し易いというのが良かったのだろう。

 

サンシャイン池崎ハリウッドザコシショウは、前述したが、大声だから、という点に尽きる。正直、この2人のことを真面目に考えるのは、この世で最も滑稽なことだ。あえて言うなら、サンシャイン池崎は、ネタの作り・構成は非常に真面目で筋が通っている。恐らく根は真面目なのだろう。若干滑舌が悪いが大声で誤魔化している。ハリウッドサコシショウは、時代が追いついてきたとしか言いようが無い。

 

永野は、一度も笑ったことがないので、正直何がウケているのか全く分からない。

 

以上である。