死ぬまでこの頭痛と共に生きる

「頭痛で頭が痛い」という様に、二重表現の代表格(他には「右に右折」や「殿さまキングス」等がある)である頭痛。そして、日々この鬱陶しい頭痛に悩まされている人も少なくないだろう。他ならぬ筆者もその一人である。

 

 

筆者は子供の頃から喉が弱く、風邪をひくと必ずと言っていいほど扁桃腺が腫れたもので、未だに「あなたの風邪はどこから?」「私は喉から」状態なのだ。もしくは喉に近い鼻風邪が酷いパターンもあり、鼻から突きたてのところてん並に鼻水が出たものだ(お食事中の方、ところてん業に従事の方、大変失礼致しました)。

 

というわけで、大人になるまで頭痛に悩まされたことはなかったのである。

 

 

何かおかしいなと思ったのは、働き始めてから2年目の夏、心身共にかなり疲弊し始めた頃で、月に数回頭が痛い日があったのである。

 

明らかにおかしいなと思ったのはその秋で、毎週のように頭の痛い日があった。一見ランダムの様に発症するので、普段使いのカバンにバファリンを常備するようになり、未だに松屋はなまるうどんのコップを見るとあの日々を思い出すものである。

 

流石に連日のように頭が痛いのでネットでめちゃめちゃ調べたり(筆者は気になることがあるとめちゃめちゃネットで調べる)、自身で発症したときの状況や傾向を覚えるようにしてみると、なんとなく天候が関係しているのではないかと思ったのである。

 

正直な話、気圧で頭や関節が痛くなったり、古傷が傷んだり倦怠感に襲われる人のことを「ダセぇw」と思っていたのだが、まさか自分がその立場になるとは思わなかったので、めちゃくちゃ反省した。今ならその気持ちわかるよ、うん。

 

大抵は雨が降りそうになると症状が出るというのは知っていたが、筆者の場合は雨が止むと頭痛が起こることが多かった。自分自身ですげぇと思ったのは、雨が降っているときに地下鉄に乗ると途中で頭が痛くなり始めた。「これはもしや?」と思いつつ地下鉄が地上の線路に出ると雨が止んでいたのだ。まさに人間アメダスである。

 

賢明な読者の皆様は既にお気づきのとおり、これはただのレアケースである。しかし、当時の自分にとっては十分すぎる統計、強い相関性を持った因果関係であり、雨の日やにわか雨が本当に嫌いになったものである。

 

仕事を辞めて人的ストレスから開放されても症状が終わることはなかった。いや、むしろあの時より強い症状を発することの方が増えた。望みが叶うことも、祈りが届くこともないのだ。

 

ちょっとでも痛くなるとすぐにバファリンを飲んでいたので、徐々に効き目が弱くなっている、効かなくなっているように思い始めた。途中からバファリンジェネリック薬であるバッサニンに変えたのも何か原因があったのかもしれない。

 

もちろん、その薬効を全くもって否定するわけではないが、「ヤバイもう薬効かない」という不安がどんどん大きくなっていったのだ。また、空腹時に服用してしまったせいか、吐き気を催すことが少なくなかったので、薬を飲むこと自体にも嫌悪感や恐怖感を覚えるようになり、今でも薬を飲むことはほとんど無くなってしまったのである。

 

 

一度頭痛が始まると徐々に痛みが増していき、文字通り1mmも動けない、動きたくないほどに頭が痛くなることがある。酷いときは朝から夜までずっと痛みが続くのだ。12時間~15時間続く拷問である。頭のなかで小人が脳壁にイガグリかウニでスカッシュをしてるんかってぐらい強烈な痛みである。具体的にどの辺が痛いのか、なぜ痛いのか、全く考えられなくなる。砂嵐や吹雪の中をテントで過ごす様に、一瞬でも早くこの暴力が終わることを祈るしかないのだ。

 

 

流石に一年以上同じような現象に悩まされるようになると、前よりもはっきりとした因果関係があることに気づいたのだ。頭は痛いが人間は賢い。

 

まず、なんと言っても「ストレス」これである。諸悪の根源、悪の枢軸、闇の大元凶、世界の暗黒卿、どんな渾名でもその悪徳を称えることはできない。腰が痛くなったり体中痒くなったり、ストレスが身体的異常として現実化(マテリアライズ)する人も少なくないだろう。筆者の場合はそれが頭痛だった。

 

昔からお腹が空くと機嫌が悪くなる(というか、それ以外で悪くなることの方が稀)ので、空腹が続くとストレスが増していき頭痛が始まるパターンが散見された。「じゃあ食えよ」という話だろう、うん、分かるよ、そのとおりだね。しかし、筆者にはそうもいかない諸事情があったので、多くの場合空腹と頭痛はセットであった。

 

また、空腹ではなくても、精神のバイオリズムとして「下げ気味~(IKKOさんで)」な日は、一見無条件に頭痛が始まるので本当に苦痛だった。

 

 

そしてもう一つ発見したのが特定の姿勢を起源とするパターンである。筆者は布団の上にうつ伏せになりながらスマートフォンを操作することが非常に多かった。より具体的に表すと、うつ伏せだが両肘は立てていてチェスト(胸板)から上は反り上がった状態である。動物で例えると、陸上にいる時のアシカの基本姿勢である。

 

どうやら、このポーズが非常に良くないらしい。「うつ伏せ スマホ」で検索するとめちゃくちゃ悪い結果が出てくる。腰も痛くなるし、画面が近いので目にも悪いし、肘に大きな負担がかかるし、人体で最も重いとも言われる頭部を支える首にはそれ以上の負担がかかるようだ。

 

その日の調子にもよるし、複合的なパターンもあったと思うが、筆者の場合このアシカポーズを1時間ほど維持していると例のアレが始まることが少なくなかったのである。

 

そういう訳で、とにかく空腹とアシカポーズを避ける、できるだけストレスを分散させることで、そもそも頭痛を起こさないよう気をつけることが高い優先度を得たのである。

 

 

そんな筆者をあざ笑うかのように頭痛は突然始まるのだ。

 

実のところ、コレを書いている今も頭痛の真っ最中である。今日の頭痛は、なんと、ウ○コを出した瞬間に始まったのだ。いや、もう意味わからんわこれ。もちろん、ウ○コと頭痛には全く相関性はないかもしれないが、実はあるかもしれない。排泄時におじさんがいきむとケツ圧(血圧)が急上昇して心臓に大きな負荷がかかるという話も聴いたことがある。筆者は頭痛の時に急に立ち上がると血圧が急上昇して急激に痛みが増すこともあるので、ケツ圧が何らかの理由で頭痛を引き起こしている可能性を否定することができない。

 

しかし、筆者にとって「関係があるかもしれないし、ないかもしれない」というのはとても不安だが、その一方で今後の安心にも繋がることでもあるのだ。

 

既述のとおり、慢性的な頭痛の恐ろしさの1つは「なぜ起こるのか?」理由がハッキリしないところである。しかしながら、突然の頭痛に際しても、これまでの発症経験と照らし合わせることができるようになると、不安の1つは取り除かれるのだ。突発的な苦痛はとても恐ろしく不安で堪らなくなるが、「起きた理由」が自分でわかるだけで、少量の安心を得ることができるのだ。

 

そうであるから、本日の「ウ○コを起点としている疑いのある頭痛」も次回以降の精神安定剤となる日が来るかもしれないので、決して無視することのできない貴重な経験の積み重ねの1つなのである。

 

※ここまで事前の注釈なくウ○コをレ○コしてしまい誠に申し訳ございませんでした。

 

 

 それでも起きる頭痛。服薬拒否の筆者に射した一筋の光が、「コーヒー」である。

 

「頭痛にコーヒーが効くなんてホンマかいな」と、半信半疑どころか一信九疑だったのだが、コーヒーを一杯飲んで数分後、あの憎痛がウソのように消えてしまったのだ。十信零疑になった瞬間である(創作熟語の読みは各自で考慮されたい)。

 

誰も知らないと思うが、筆者は根っからの紅茶党である。いや、正直そこまで紅茶もよく知らないのだが、これまで人生において飲んだコーヒーの総量は、力士の優勝盃を満たすこともできないのではないだろうか。

 

そもそも苦いものが苦手なので(※ピーマンは食べられます(怒))、コーヒーなど以ての外であった。だから、自分から最も縁遠い水溶液が特効薬だったとは夢にも思わなかったのだ。これまで侮ってきた全てのコーヒーとそれを作る人とそれを愛好している人々に謝りたい。コーヒーは本当にすごい。

 

筆者のコーヒーに対する信頼と依存性は凄まじく、夜遅くに発症した頭痛を鎮めるために、深夜まで営業している近所のスーパーに駆け込み、1Lパックのアイスコーヒーだけを取り、会計を済ませ、片手にアイスコーヒーのパックをガッチリわしづんだまま(レジ袋を拒否すると2円引きされるため)帰宅し、即アイスコーヒーを摂取すると、あら不思議、さっきまでの頭痛はアイスコーヒーの茶黒に溶けて消えていったのである。コーヒーは本当にすごい。

 

しかしながら、本日は既にドリップコーヒーを3杯(同じパックで三番煎じまでいきました)飲んでいるが、特に頭痛が収まる気配は一向にない。そういうパターンもあるのだ。

 

 

この世で最も信頼性の低いソーシャルメディアことTwitterでは(ここではTwitterソーシャルメディアかそうでないかの議論は避けたい)、日々ウソみたいなホントの話やホントみたいなウソの話や、無価値なソーシャルゲームスクリーンショット(※筆者の悪意ある表現に注意されたし)が投稿されているが、頭痛に関するものもときたま見かけることがある。

 

ここに書いてあることが全て医学的根拠を著しく欠いていることと同じように、そういった投稿にも根拠は示されていないことがほとんどである。それでも、他人の経験則や知識は時に役立つことがあるものまた事実である。

 

その、うる覚えの投稿によると、頭痛のタイプでロキソニンバファリンを使い分ける必要があったり、首周りのマッサージが効くパターンがあったり、目や首のまわりを温めたり冷やしたりするのが効くパターンがあるそうなのだ。

 

なるほど確かにコーヒーを用いたセルフ治験でも効くパターンと効かないパターンがある。バファリンらが効かなくなったのは、効かないパターンがあったからなのかもしれない。一見同じ頭痛でも、発症の原因や痛み方、痛み箇所や痛みの強さに特定の傾向があるのは確かだ。症状によって適切な薬を処方するのが医療であるが、正直、めちゃくちゃ頭痛の時、マジでそんなこと考えてらんないのもまた事実である。

 

 

それで、やっと本格的な話をすると、頭痛にはストレス等を起因とするいわゆる「偏頭痛」と、身体(筋肉)の著しい緊張を起因とする「緊張型頭痛」と、未だに原因が解明されていない一番ヤバい頭痛こと「群発頭痛」の3つに大別されるそうだ。

 

筆者は医学的知識に乏しいし、ましていかがわしいいかさま師によるキュレーションサイトでもないので、それぞれについての詳しい言及は避けたい。

 

また、「頭痛」「死にそう」「ヤバい」等の単語で検索されて来た同士諸君についても、必ず医師の診断を受けるか、それぞれの頭痛の特徴と対処法について見識を深めるよう努力されたい。

 

ちなみに、気候や気圧を起因として頭痛や関節痛は発生しないらしい。「天気が悪くなると身体が痛くなるな」という自己暗示によるところが大きいそうなのだ。正直筆者自身も「ホンマでっか」と言いたくなるが、確かに天候を理由としない頭痛の方が圧倒的に多いのも事実である。これについても、各員自身の判断に委ねたいところである。

 

 

さて、筆者自身の頭痛経験と3種の頭痛を照合すると、悲しいかな「全部あるな」というのが自己診断の結果である。誰も頼まないであろう頭痛の3種盛りが常にテーブルに置いてあるのは、正に頭痛の種以外の何物でもない。

 

映画『亡国のイージス』で、平和というのは戦争と戦争の間に生まれるみたいな台詞があったが、筆者にとっては、頭痛と頭痛の間にあるのが平穏である。しかし、頭痛からは逃れることができないし、どんなに気を使っていても気まぐれに頭痛は起きる。頭痛が酷くなる度に平穏な時間がとてつもなく恋しくなる。BUMP OF CHICKENではないが、頭が痛くなると気づくんだ、それまで頭が痛くなかったってこと、みたいな感じである。ただ、頭痛の時は音楽を聴く気ににもならないのが辛いところである。

 

酷い頭痛が起きて横たわると、自分の脳みそを自作PCのHDDみたいに取り出して、新しいSSDに換装したいと思うものだ。そうすれば、もうあの時たま聞こえるカリカリとした音に悩まされることはない。しかし、筆者は自作PCではない。この頭痛と共に生きていくしかないのだ。

 

この世の中で今日も頭痛で苦しむ同志諸君の一助になれば幸いである。