オタクという生き方からは逃れられない

 父上が鉄ちゃんなので、実家には模型とかムック本みたいのが沢山ある。ということで、筆者は幼少期に鉄道博物館に連れて行ってもらったり、路面電車とかロマンスカー的なやつに乗せてもらったり、プラレールも結構買ってもらったわけである。

 

そんな父上の期待をブルータス並に裏切って中学生ぐらいからミリタリーに傾倒し始めた。

 

父上は鉄道以外にも洋画好きでもあり、特に007シリーズがお気に入りで筆者もよく一緒に観ていた。ただ、基本的に字幕だったし、なぜか毎回ボンドの顔が変わるし、シリーズを通しての話の筋まで理解できていなかったので、映画自体が面白いというより、ドンパチとか秘密兵器が面白いなという程度だった。

 

記憶の限り思い返すと、この原体験が後の銃器への興味の扉を開いたのだと思う。

 

そして、ちょうど小学生中期にN64ゴールデンアイがめちゃめちゃ流行って、もともと007好きで同名の映画も数回観ていたのも相まって、毎日のようにゴールデンアイをやっていたのが、後のFPS、TPS好きに繋がっていくのだと思う。

 

同時期にエアコッキングのエアガンが小学校で流行って、ちょっとワルい友達は上位のR指定電動ガンとかガスガンを使っていて、憧れの対象だった。放課後に公園とか団地で撃ち合いをしていて、中学生の時は筆者もベレッタとかコルトで幅を利かせていた。

 

加えて、中学生時代に映画『マトリックス』が公開された。もちろん家にはマトリックスのDVDが全巻あるし、確か3作目のレボリューションズは父上と映画館まで観に行った気がする。とにかく学校ではマトリックスブームで、みんなあの避け方をやっていた。

 

 

それで、中学生2年生ぐらいまでは全然普通に全くもって一般人だった(当社比)のだが、たまたまヤングマガジンでやっていた『極道つぶし』という作品との出会いが、生き方の路線を決定的に変えるきっかけになるのだ。

 

『極道つぶし』は、幼少期に母親を893に殺された女主人公マブシが、同じ境遇を持つ男主人公ユサと、敵の893を探し復讐するというストーリーなのだが、とにかくこのマブシというキャラが凄い良かった。

 

マブシは女でこそあれ、非常にキレ者で、策を巡らしてバンバン893を5ろしていくのだ。天性のガンマンであるユサとは対照的で、腕ではなく頭で戦うというのがとにかくカッコよかった。もともと女性への憧れというか、尊敬の念が強い少年だったので、夢中になって読んでいたのを覚えている。

 

そんなカッコいいマブシが使っていた銃が気になりだし、ネットで調べてしまったのが、上述した路線変更の瞬間だった。

 

 

「MEDIAGUN DATABASE」というサイトがヒットし、そこで調べた結果、マブシの得物はコルトM1911ソ連版であるトカレフことTT33であることがわかった。

 

いや、まずM1911ってなんやねん。そう思った。

 

なるほど、アメリカの銃をソ連がパクッたわけね。

 

ところでソ連ってなんだ?

※筆者が物心ついた頃は既にソ連は崩壊していた

 

ロシアってソ連だったのか・・・全然知らなかった・・・

 

これがいわゆる無知の知である。

 

ソ連はともかく、このMEDIAGUN DATABASEとの出会いが良くなかった。その直後にwikipediaを知ってしまったのも良くなかった。

 

稀代の帰宅部だったので、狂ったように毎日ネットで銃のことを調べあさり、自分の持っているゲームと比べてよだれを垂らしていた。

 

ヒットマンサイレントアサシンとか、コンフリクト・デルタII 湾岸戦争1991とか、SOCOM II U.S. NAVY SEALsとか、マーシナリーズとか買っていたので、銃器だけでなく、アメリカ軍にも傾倒し始めてしまい、完全にミリタリーにハマってしまったのである。

 

とは言うものの、ミリタリーに傾倒し始めた中学生終盤時期には、「この銃がヤバイ」とか「この特殊部隊がヤバイ」という話ができる友達が1人だけいたので、その友達に教えるために日夜調べていた部分も結構あった。

 

 

それで、中学3年にもなると周りは受験で内申点とか気にし始めるので、エアガンでドンパチしてくれる友達はいなくなり、高校に上がると唯一銃の話ができたその友達とは別れてしまい、ミリタリー調査の日課だけが残ったのである。

 

引き続き稀代の帰宅部であったので、平日の放課後はもちろん、休日もPCに歯型が付くぐらい一日中かじりついていた。しかし、1つのことを調べると、そこから無限に派生していくのがミリタリーである。1挺の銃から、その銃のスペック、それを作った会社、それが作られた経緯、実際の配備状況、そしてそれを使っている軍隊のことが気になりだす。

 

もともとアクション映画が好きで、銃を使う人のことも好きだったので、自然な流れだったと思う。

 

銃だけでもネットには莫大な量の情報があるが、軍となると、今までは手付かずだった船や飛行機や自動車など、それ以上に膨大な量の情報が現れることになる。もうPCに顔面がのめり込んで同化するぐらい毎日ネットで情報収集をしていた。兵器のこと、軍隊のこと、過去の戦争のことを調べまくった。

 

また、幸運なことに、早いタイミングで井上孝司氏のことを知り、同氏の基本的な理念に共感し、師と私淑したのでイタい感じのミリオタにはならなかった。

 

高校の中盤になるとミリタリー本も読むようになった。ミリタリー界隈は、結構キナ臭いというか、アレっぽい人が少なからずいる。いや、ミリタリーに限った話ではないが、そういう人を見極めるのには時間がかかるし、教えてくれる人もいなかったのだが、上述の井上氏が基準となって、誰の本を読むべきか、どの本を読むべきなのか知ることができた。それまで全く読書の習慣が無かったのに、ミリタリ本はエロ本並に真剣に読んでいたのだ。

 

ということで、誰に話すわけでもなく、誰の役に立つわけでもなく、毎日気になること、興味のあることを調べて覚えることに幸福と興奮を覚える高校の3年間だった。

 

 

大学に入ると、友達が0人になった(比喩ではない)ので、更に黙々とミリタリに耽るようになった。休み時間や講義がない時間はPCルームで情報を吸収したり、ミリタリ本を読んだりしていた。あと、安全保障的な講義で、最初の1回しか出てないのにテストが全部普通に解けたときに、初めてミリオタが役に立った。ミリオタで良かったと思った最初で最後の瞬間だった。

 

しかし、ここまで順調だったミリタリ吸収に限界が訪れた。

 

早い話、現代のミリタリーを突き詰めると科学の話になってくるのだ。兵器がどんどん自動化、機械化されていき、最新のテクノロジーを理解しきることができなくなってきた。また、物理の自頭もないと理解しきれないことも増えてきた。

 

元々のモチベーションが知らないことを知っていく、理解して覚えるときに得られる多幸感が主成分だったので、理解できないことが増えてくと覚えられないので、どんどん難しさのほうが勝ってしまったのだ。

 

そういうわけで、ミリタリーを追いかけたり調べまくるのは大学2年生ぐらいで止めてしまったのである。

 

7年ぐらいミリオタだったわけだが、今でもその手のことは大好きだし、当時の蓄積は今でも大切な遺産である。特に役には立たないが、その手のゲームや映画の演出を人より楽しみきれてはいるのではないかと思う。

 

 

それで、同じかそれ以前から声優オタクでもあったわけである。

 

小学生の時ぐらいは、おそらく人並みにアニメは観ていた。しかし、高学年になって、深夜にヤバイアニメをやっていることを知ってしまった。『ちょびっツ』とか『グリーングリーン』とか『ニニンがシノブ伝』とか、そういうやつである。明らかに朝や夕方にやっているものとは異なっていて、それを観ている友達は誰もいない。いや、ホントはいたのかもしれないが、筆者と同じで秘密の趣味だったのだろう。当時はまだアニメオタク=ヤバいやつだったので、電熱棒を両鼻に突っ込まれても観てるとは言えなかったのだ。

 

それから、経緯は全く覚えていないが、放送2年目ぐらいからの『堀江由衣の天使のたまご』を聴いていた。その後ぐらいには『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』も聴いていた。深夜アニメと平行していわゆるアニラジをめちゃめちゃ聴き始めたのだ。なにかを察した父上も良さげなラジオを買ってくれた。子の心、親シリーである。

 

決定的にヤバかったのは、やはり小野坂昌也さんと浅野真澄さんと鷲崎健さんだろう。テレビはアニメ以外ほとんど見なくなっていたし、人と話している時間よりも文化放送を聴いている時間の方が長かったように感じる。あと野球とオリンピックがめちゃめちゃ嫌いになった。天たまの100回記念焼肉屋放送がオリンピック中継で放送されなかったことは、未だに根に持っている。

 

声優さんを多く知る最大のきっかけになったのは、ナルトのラジオ『オー!NARUTOニッポン』である。メインMCの竹内順子さんに加え、月替りで主要キャストがゲスト出演していたので、幅広い年代の声優トークを聴くのに慣れたのだろう。とにかく毎月誰がゲストでくるのか楽しみで、毎週ワクワクしながら聴いていた。

 

ちなみにこれは中学生の時の話だが、ナルトでは白が好きで、1回限りのゲストで白役の浅野まゆみさんが出たことがあった。しかし、外出したせいで聞き逃してしまい、かなり後悔したのだが、後日新聞の文化放送の欄に浅野さんが出ているラジオを発見して聞き始めたのがアニスパだった。まゆみさんとますみんは何から何まで別人の声優さんで、浅野違いで聞き始めたアニスパだったが、これが結果的にその後最終回まで聴くことになる、とても思い入れ深い番組との馴れ初めである。

 

 

中学生になると、家庭内の規制も緩くなり、また自分の体力的にも連日深夜まで起きれるようになったので、毎晩深夜アニメとアニラジを嗜んでいた。部活にも入っていたが、土日も朝から必ず練習があり、朝のアニメが見れない上に、顧問とめちゃくちゃ折り合いが悪かったので、半年ぐらいでゴースト/ニューヨークの幻になってしまった。人生における楽しみが、完全にアニメ声優になり始めていた。

 

ほっちゃんゆかりんは本人や歌とか演じるキャラが好きというより、単純にラジオが面白くて好きという程度だった。本人のファンというよりもシンプルアニラジファンだったわけである。

 

そして、とうとう中学生にして初めて好きな声優さんができた。

 

ゾイドは小学生の頃にアニメをやっていて、よく友達の家でゾイドを使って遊んでいた。だから『ゾイドジェネシス』を観るのは必然だったと言えよう。初めてアニメのキャラが好きになった。ちなみにレミィ派だった。3年ぐらいしてから「あれ?俺ってもしかしてロリコンか?」と思った。結果的にはストライクゾーンがめちゃくちゃ広いだけだった。

 

ジェネシスが凄い面白かったのと、キャラが好きだったので、その声優さんも好きになってしまった。こやまきみこさんと伊藤静さんが初めて好きになって声優さんである。この6年後ぐらいだが、こやまさんは、初めて実際に喋った声優さんでもある。テンパりすぎてダメなのを知った上で「握手してください!」と言ってしまいマネージャーさんにめちゃくちゃ止められた。

 

それでも、そういう話をできる友達は皆無で、もちろん家族にも隠していた趣味なので、中学時代のアニメ・声優趣味は、完全に自分の影の部分になりつつあったのである。

 

 

割と最初の転機が訪れた高校時代。あるクラスメイトにうっかりスケルトンぐらい口が滑って、ネギまの声優がどうとか、17歳がオイオイだか、そういうことを口走ってしまったのだ。

 

正直黙っているのが限界だったのだと思う。バレたくないと思う一方で、気づいてくれと思っている筆者がいたのだ。結果、めちゃくちゃバレた。彼もその手の人間、こちら側の人間だったのだ。

 

経緯は忘れたが、毎日学校で会うのに毎日ホットメールで文通するようになった。基本人に話したい、知識ひけらかしたい病なので、凄く痛かったと思うが、フーバーダムが決壊したのかってくらい、今まで溜め込んでいた分、メール文に書きたいことを書きなぐりまくり、その返信を貰いまた返し、初めて人と趣味が共有できる幸福を享受していたと思う。

 

学年が上がって、完全にオタクの友達が複数人になって、人生で初めて純粋に学生生活を謳歌していたと思う。楽しく毎日アニメや声優の話ができたのは、後にも先にもこの時だけだったと思う。

 

上述したとおり、放課後はお急ぎ便で帰宅してPCでかじり虫だったわけだが、ミリタリーを調べながらずっと文化放送の超A&G+を見聞きしていたわけだ。当時はネットラジオ自体が黎明期で、超ラジが始まったばかりで、音泉とかはうたわれのラジオが有名になり始めたぐらいだった気がする。

 

ミリタリー情報のブラウジングネットラジオの相性はすこぶるよく、スミノフとEDMぐらい最高の組み合わせだったので、高校時代のほとんどはこの2つに傾倒しきっていた。

 

「好きな声優」という考え方が産まれた結果、デビューしたての新人声優さんも好きになり始めて、伊藤かな恵さんとか戸松遥さんとかは特にヤバかった。かな恵ちゃんは初めて生でみた声優さんでもある。大学生になってから、講義終わりで浜松町に直行して超ラジの公録の最後の部分だけ見れた。こんなんでも、とても大切な思い出である。

 

 

高校3年の終わり頃に、ますみんと小野坂さんが始めたという理由で自分も始めたTwitterだったが、しばらく芸能人しかフォローしていなかった。しかし、大学生になったときにMy PCを買ったことと、『ドリームクラブ』界隈とつながり始めたことで、Twitterが本来の自分が存在する世界になり始めた。ちなみに最初のアカウントは色々あって削除してしまった。マジで職場でTwitter見ない方が良いよ。

 

Twitterが主戦場になったのは、高校の時のように共通の趣味の友達を一気に失ったことも大きかったし、自分より詳しい人が山のようにいたからだろう。特にドリクラクラスタはヤバイ人が多かった。過去形なのは、バレーボール並に上がって落ちた人がほとんどだから。それでも当時の衝撃はすごかった。キャラ強いやつ多杉(原文ママ)なわけである。俺も負けてらんねー!ふぁぼ稼ぐぜ!と、当時はいつもそんなことを考えていた。いや、今もか。

 

それから高校以来ガラケーだったが、Twitter見すぎてパケ代が水素爆発したのでスマホに替えたのもTwitter常駐を手伝ったわけである。

 

 

幸か不幸か、自宅と大学の距離が当時の肌感覚で東京-山口間ぐらいあったので、多少の移動距離、移動時間ではびくともしないサイボーグと化した。これが、長年完全在宅オタクだった筆者を変える第2の転機だった。

 

東京に出てくるようになり、通学路に秋葉原があり、Twitterでは毎日のよう最新のアニメ・声優情報が入ってくる、デビューしたての好きな声優さんがいる。となると、そうだイベントいこうとなるのだ。

 

PC購入と同時に初代ブログを更新し始めていて、最初期はラジオやアニメの話がメインだったのだが、徐々にライブやイベントの感想レポに比重を置くようになっていった。

 

今回は割愛したが、ミリタリー+深夜アニメ=『BLACK LAGOON』にハマり、後にMELL様のファンになるわけだが、大学生の時に行ったMELL様の2ndワンマンの人生初ライブで、そこでレポを書く喜びを知ってしまったのである。

 

イベントのレポが微量ながら他のブログ様で紹介されたのと、Twitterの相互フォローをきっかけにして、ネットで知り合った人と実際に会うという経験を初めてした。この後、めちゃくちゃすることになる。初めて会った人がめちゃくちゃいい人で、本当に幸運だったと思う。未だに交流があって、あっという間に7年来の友人になった。

 

同時にドリクラクラスタと箱○クラスタとも知り合うようになるのだが、趣味は共通しているのだが、正直、「人としてどうか」みたいな人が少なくなかったが、オタク《友達》ができたことにテンションが上がりきってしまい、かなり人選眼が狂っていたと思わざるを得ない。マジで色々あった。結果として、圧倒的に良い思い出の方が少ない。

 

話がずれてしまったが、とにかく、全くトゲのない完全在宅オタクだった筆者は、大学進学後はネットで友達を作り、イベントに行き、感想をネットに書き、また友達を増やすということをやっていたのである。オフ会も積極的に参加していた気がする。

 

大学で友達を作らなかったのと、ミリオタを辞めたのはこれが理由である。他に楽しいことができた、これが本音。

 

中略

 

大学卒業間近に他界を経験したのと、その後趣味を仕事にしてしまったことで、第3期が始まる。

 

好きな声優さんに普通に会えるようになったり、情報戦において他のオタクよりも圧倒的有利な立場になったり、推しがドル売りされてしまい、CDやブルーレイを積んで参加券応募券をかき集めるのが常態化し、週末は地方に遠征というのが日常になってしまった。冗談で言っていた海外遠征もするハメになった。積んだCDを売って、その金でまたCDを積んでいるときは深いことは考えないようにしていたが、やっぱ変だったのだろうか。

 

代償として、まずアニメが全く見れなくなってしまった。仕事の関係上、ブログで書けないことが増えた上に、そもそも書く余裕も全く無くなり放置気味になってしまった。ラジオも聴けないし、子供の頃から大好きだったお笑い番組も全く見れなくなってきた。そして、だましだましやっていたが、なんと言ってもお金が無くなってきた。イベントや遠征のために休みがちでもあったので、ダブルパンチだった。

 

他にもネットに書けないことが色々あり、限界を迎え、超えてしまい、一度全部やめることにしたのである。

 

 

小中学生の頃は、密かなる自分だけの世界、自分だけの楽しみだった。高校生の頃は初めてそれを人と共有する喜びを知った。大学生の時はライブやイベントを一緒に体験して、それを発信して評価される面白さを知った。その後は、自分が楽しんでいたフィールドの内側にめり込んで、楽しませる側、提供する側になった。

 

毎年のように、去年こうはなりたくないと思っていた人物像に、自分がなっている気がした。最初は、その瞬間が一番楽しいから別に良いかなと思っていたし、良い思い出は物凄く沢山あった。それでも、毎回どこかで自分を曲げていた部分があったし、いろんなことが積み重なって、曲がった状態ではその重みに耐えきれなくなってしまったのだと思う。

 

ずっとロンリーウルフでやってきたけど、やっぱりどこかで羊の群れに憧れがあって、それこそ羊の皮を被ってみたものの、やっぱりちげーなとなってしまったのだ。

 

 

在宅どころか、オタクですら無くなったので、とりあえず自分が好きなようにすることにした。

 

お笑い番組を観まくって、映画や海外ドラマを観まくって、ゲームをやりまくって、組長の影響でもがたんぺにハマって、そして日本語ラップにハマった。

 

前出のディアステ繋がりということもあり、更に組長という強力な後ろ盾もあったので、でんぱ組.incのライブに行こうかしら・・・と思っていたらもがちゃんの脱退。これはまだ現場には行くなという何かからの啓示だと素直に受け止めることにした。

 

それでも、もがちゃんには知らず知らずのうちに、相当励まされ、助けられたと思う。ありがとうもがちゃん。

 

 

お笑いはオンバト世代なので、その後のお笑いブームとネタ見せ番組の質の低下というか、自分とは合わないなと思うことの方が増えたので見なくなっていたのだが、たまたま千鳥の番組を観て死ぬほど笑ったことと、三四郎の台頭により、かつてないほどにお笑い熱が急上昇しはじめた。

 

元々千鳥は凄く嫌いだったのだが、キングちゃんを観て自分が間違っていたのだと猛省した。今ではネタを暗唱できるぐらいには好きになった。間違いなく一番好きなコンビである。

 

三四郎はネタが凄い面白くてすぐハマってしまった。あれだけ番組出ていてもネタを頑張っていて、番組で得た力をネタで発揮していて本当に凄いと思う。平場も面白いし、ラジオも面白いのでとても愛している。

 

 

日本語ラップは、元々ドリクラ界隈から微かに聞こえてきた『フリースタイルダンジョン』から入った口である。もっと厳密に言うと、DOTAMA vs ACEが面白くてハマり始めた。

 

元々アニソンばっかり聴いていたが、そういうのが聴けない身体になっていたので、全く知らないHIP HOPというジャンルは新鮮で、隙間を埋める以上の影響を与えてくれた。

 

バトルも好きだが、音源も素晴らしいものが沢山ある。音源の知識が増えると、バトルで新たな発見があり、そこからまた新しい音源やサンプリング元を知り、更にバトルが面白くなるという、相乗効果によるニヤつきが止まらない分野なので感動している。

 

般若や呂布カルマなどお気に入りのラッパーが見つかると、そこを重点的にディグるようになり、彼らのリリックやバトルでのラインやビートからまた新しい興味や知識を得ることで、更に素晴らしいものとの出会うことができるようになっていく。

 

そうすると、徐々に生でバトルやライブを観てみたいという欲が産まれてくるのだ。

 

 

ん?ちょっマテよ?

 

 

物凄い既視感だった。

 

 

むさぼるようにラッパーの名前や出自や音源、バトルでの戦績を調べ覚え、点と点の繋がりを発見していく。去年までは皆無と言ってよかった日本語ラップの知識を、死んでいたはずの脳みそがダイソン並に爆音をたてて吸い込んでいくのを感じている。この掃除機はコードレスゆえに、充電が切れるまでまだまだ情報と知識を吸い込んでいくのだろう。

 

 

元々は、銃のことも声優のことも何も知らなかった。HIP HOPのことに至っては、何を知らないのかすらも知らなかった。

 

今は、3分野とも耳かき小さじぐらいは知ってることがある。色々失うものもあっても、最後には知識だけ残るのだとようやく理解した。ただ単純に、沢山知りたいだけなのだ。

 

いつか何かのキッカケで、HIP HOPからも距離を置くかもしれないし、替わりに何かのことをもっと知りたくなっているかもしれない。

 

どこを目指してるとか、目標はどうどかではなく、人より沢山知りたいだけ。知ってることなら何でも知ってるようになりたいのだろうか。

 

どの時代も現実的な部分で自分が見いだせず、趣味に没頭することでしか生きてこれなかった。今は日本語ラップに生かされているんだと思う。だからすべての分野、文化に感謝している。

 

イカした文化のおかげて今日も生かされます。

 

すべてのクリエイター、表現者に感謝。

 

ありがとう、オリゴ糖

 

スッキリした。