ソシャゲが流行り続けている理由がわからない
私が物心ついた頃には、すでに家庭にファミコンとスーファミがあった。いつしかゲームボーイもあり、そして、64、プレステとハードが揃っていった。
ファミコンのゲームソフトは、スターウォーズやワギャンランド、けろけろけろっぴのやつなど、イカれた難易度の多いファミコンソフトに対して、比較的優しいゲームが多かった(それでもスターウォーズのやつは2面で詰んでいた)。
スーファミの方は更にソフトが多く、マリオ系はもちろん、アラジンやカービー、幽遊白書などバラエティに富んでいた。というのも、私の姉が買ってもらっていたやつなので、同世代のキッズよりソフトの数は多いが、ロックマンやドラクエ、FFみたいな、誰しもが通りそうなゲームは避けられ、「これ他にやってるやついるのかな?」的な横スクロールアクションを多くプレイしていた。
64の時代になると、やはりゴールデンアイ(パーフェクトダーク)とゼルダの伝説(時オカ、ムジュラ)は避けられないだろう。これは我々の世代で言うと、「バンプ派かポルノ派か」みたいな問で、私の地域でやったことのないやつはいなかった。FPSとオープンワールドアクションの原体験はここにあるのだろう。
長らくRPGの大王道は避けてきたが、ある時期謎のドラクエモンスターズ2ブームが起き、私も渋々買った。今現在でも、唯一プレイしたドラクエのゲームである。当時私が好きだった女の子の名前がついたダークドレアムを友達から貰った淡い思い出がある。
その女の子は転校生だったが、他の子よりも群を抜いて可愛かった。AKBの中に絶頂期の広末がいるみたいな感じだった。ちなみに私は、その子からめちゃめちゃ嫌われていた。本当に悲しい。
ドラクエモンスターズ2はゲームボーイカラーのゲームだった。ゲームボーイはこれと、ゴエモンの妖怪RPGのとポケモン緑、ピカチュウ、銀をよくやっていた。ツウなのでちゃんとピカチュウ版もやっているのだ。だいたいライチュウに勝てなくてその辺でピカチュウはレギュラー落ちするのが定番である。というか、最初のイシツブテ、イワークに対してクソ雑魚すぎて、なぜアニメのようにスプリンクラーが作動してイワークを感電死させることができないのか大変疑問だった。仕方ないのでポッポの砂かけを連射してハメ殺すしか手段がなかった(プロはバタフリーでヤるらしい)。
プレステ購入当時は、母の知人からソフトを大量借りするという荒業を使ったが、アークザラッド以外にハマったソフトはなかった。しかし、このアークザラッドとの出会いは大きかった。2も借りてやったが、3は誕生日に買ってもらい、たぶん4週か5週はプレイしたと思う。アークファンの間では、2が至高、3はお使いゲーなどと揶揄される。私からすると2は話が暗いし重いし、1をめちゃくちゃやり込むの前提の作りだし、要素が膨大すぎて、素人向けではない。ただ、割りと最後の方に出てくる雑魚ボスの「わしゃ強いぞ!」に対して、主人公の「みんなそう言って死んでいったよ」みたいなやりとりは、本当に面白かった(そしてそいつは本当にザコ)。
その点3は、キャラがめっちゃシコれる。この点で全てのアークシリーズを凌駕している。女性キャラクターが可愛い、好みだといのは、全ての要素をぶった切る絶対の正義である(もちろん筆者はシェリル派である)。とにかく私はあしかけ5,6年ぐらいアーク3を飽きてはやり、飽きてはやりを繰り返していた。
アークシリーズはその後も鳴かず飛ばずだったが、私は精霊の黄昏も、急にアクションゲーになったジェネレーションズもちゃんとやった(面白いかどうかは別)。ワンダースワンのやつもやりたかったが、どこにも売っていなかった。あと、カジノなんちゃらもやっていない。こうやって書くと、古参気取りのクソにわか感が出てしまって悲しい。とりあえず私はアークは3が一番面白かったということを言っておきたい。
プレステと言えば、バイオシリーズだろう。あえて敵を倒さないというのは、本当に新鮮だった。2と3を借りて、かなりしゃぶり尽くした。意外と1はやっていないのである(数年後Wiiのリメイク版をやった)。
あとディノクライシスを小さい時に買ったが、本当に難しかった。知っての通り、初期装備が麻酔銃である。殺人猛禽類に対して眠らせるだけというのは、どうかしていると思った。そして速攻で売った。その7年後ぐらいに買い直して、ちゃんとクリアした。小学生であれをクリアできる人はいるのだろうか。買い直したのは、確か高校生とかだった気がする。
ゲームボーイアドバンスは、なによりロックマンエグゼシリーズが大流行していた。正直、スーファミのロックマンは難しかったし、隠し要素も多かった。しかし、エクゼはアクション要素が少なく、むしろ戦闘前のフォルダ管理で勝敗が決していると言っても過言ではなかった。私は2から買いだしたが、3が至高だった。この辺から、私の「シリーズものは3が至高説」が現実味を帯び始めた。
2では、1であった、ファイターソード、ナイトソード、パラディンソード、フォルテ、ファラオマン、ドリームウィルス、ドリームオーラという最強コピペフォルダに規制が入ったため、キッズそれぞれの個性がかなり出るようになった。スタイルチェンジも相まって、戦略的要素が膨れ上がったように感じる。ちなみに私は、めちゃめちゃヤバイ攻略本に載っていた全国大会優勝者のフォルダを丸パクリしていた。
そして3はめっちゃ面白かったのに、4で突然の周回要素が現れクソゲーと化した。周りがレッドサン派が多かったのであえてブルームーンを買った。私はそういう人間である。テキストスキップがない周回は本当に苦痛だったし、ブルームーンのウリであるブルーススタイルが取れたのが3週目だったのも苦痛に拍車をかけた(しかもそんなに強くなかった)。
5ではもう愛想が尽きて買わなかったが、6を借りてやったらヒロインが可愛かったので、非常に使いやすかった。ありがとうカプコン。あとそれなりに面白かった。このあとエクゼシリーズは終わり、流星シリーズになるわけだが、私はゲームは買わないがアニメシリーズは見続けていた。だって委員長かわいいもんね。ありがとうカプコン。
ゲームキューブは、唯一買わなかったハードである。というのも、すでにPS2のゲームを遊びきれていなかったのと、そんなに欲しいゲームがなかったからである。あとは、その当時にめちゃめちゃ通っていた友人宅にゲームキューブがあったので買わなくても遊べてというのが大きい。
そして私はこの友人宅にめちゃめちゃ入り浸ってどうぶつの森+をやっていた。正直、これだけで個人を特定できるレベルでやっていた。今でこそ殺人ゲームばかりやっているが、ぶつ森のような牧歌的でデザインとセンス的なゲームも好きなのである。あと、ピクミン2を協力してやったり、ゼルダの伝説風のタクトをチンクルとしてサポートプレイしたのも楽しかった(ゲームキューブにゲームボーイアドバンスを接続して本編をサポートできる機能があった)。
あとは、大乱闘スマッシュブラザーズDXだろう。64も流行ったが、DXはもっと流行った。理由は、みんながあの頃よりちょっと大人になったからである。実質レバガチャ乱闘だったキッズたちが、飛翔弾をギリギリでバリアで跳ね返したり、Cレバーを駆使したり、溜め攻撃を途中で発射したり、腕前もさることながら、心理戦の要素がかなり大きくなった。そして白熱し過ぎて、逆に無言が支配する険悪なムードになることも増えた。
そういういざこざを無くしたのがPSPのモンスターハンターPである。私はモンハン古参だったので、でかい顔をしていたが、プレイ人口が増えると、当たり前に様に自分より上手い奴や、やり込む奴が現れるのである。ただ、モンハンP2ndGを一番やりこんでいたやつは中学を中退していた。やはり、過ぎたるは及ばざるが如しなのだろう。
さてPS2だが、大変お世話になった。ラチェットアンドクランクシリーズやサルゲッチュシリーズ、スターオーシャン3なんかをやっていたが、何と言っても、大人と同じゲームができるというのが非常に魅力的だった。だから私は心の中で「ゲームキューブはキッズのゲーム、男は黙ってGTAだぜ」と思っていた。
そう、GTA3は衝撃作だった。ラジオでオペラを聞きながらイエローキャブで轢殺を繰り返すというのは、アラジンでリンゴを投げて戦っていた頃から想像もつかない体験だった。そして本格的なオープンワールドやチートコードなど、何もかも新しかった。GTAバイスシティは更にやりこんだが、その次のサンアンドレアスが出る直前でとある凄惨な事件が起き、販売延期(実質中止)、更には大人ゲームはキッズが買えなくなってしまった。まさかボーリング・フォー・コロンバインがマリリンマンソンのせにされる現象が日本でも起こると思わなかった。世論は本当にクソ。あの事件より前にヒットマンサイレントアサシンを買っておいたのは、本当に幸いであった。
このGTAとかヒットマンをやっていたぐらいの頃に、ミリタリーオタクとしての道を歩み始めるのである。銃は人を殺す道具である。しかし、道具である前に銃であるのだと感じたのか、銃そのものへの興味がものすごく沸いていった。ソーコムネイビーシールズとかデルタフォース湾岸戦争とかを楽しめたのは、ゲームそのもの面白さだけでなく、自分の趣味に合ったゲームをやっている感じが心地よかったのだろう。
そして、誰の勧めがあったわけでもなく、突如XBOX360とコールオブデューティー4を買うのである。もう女子供がやるションべ臭いゲームはやらねえ。隣のクラスのやつともなんか張り合わねえ。俺は世界と戦うぜ。こいつとな(MP5SD6+UAVジャマー+デットサイレンス)。
そういうわけで、産まれた時からゲームはあったが、絶妙なカーブで大王道RPGをやらないものの、やや理不尽な古ゲームをプレイし、ゲームプレイそのものよりセクシャルキャラクターにモチベーションを見出したり、対戦プレイに疲れては、協力プレイでも別の疲れを感じ、ミリオタへの覚醒とコンシューマオンラインゲームの隆盛が共鳴し、その結果今日も、レインボーシックスシージの成績で一喜一憂し、負けては「もう二度とやらない」と毎日言いながら続けているのである(筆者のお勧めはアメリカとブラジルとスペインのおじさん)。
別に、FFとかドラクエが嫌いなわけではない。やろうと思えばやれるし、やりたい。しかし、それ以上に好きで得意でやりたいゲームが膨大にあるのでできない、できなかったというだけなのである。
PS3の話は特に面白いことがないので省略したが、今XBOX ONEに腰を据えたのは、当時遊ぶことができた全てのゲームを一通りやってみた結果、自分の苦手なこと、得意なこと、嫌いなこと、好きなことが自覚できたからである。これまでのゲームライフを振り返ると、ときめもはガールズサイドで守村エンドを見たし、逆転裁判も3までやってiOS版でもやった。ファミコンでロックマン2もクリアしたし、デモンズソウルとダークソウルのトロフィーもコンプした。マリオRPGでクリスタラーも倒したし、バイオ2でハンク編もクリアした。そういう色々があって今があるのだ。
それでも、スーファミのぷよぷよはルルーが倒せなかったし、スト2のストーリは何回やってもサガットが倒せなかった。イニシャルDは最初の敵(声が岩田光央さんのやつ)にすら勝てなかったし、ウンジャマラミーは地獄編がクリアできなかった。幼少期にこういうことがあると、明確な苦手意識として刻み込まれるのである。
そのため、未だに格闘ゲームとリズムゲームは本当にダメである。チュートリアルで心が折れる。パズルとレースは、アションゲームで(なぜか)やらされることが多く、本当に苦痛になることもあるが、仕方なくやり続けていることで、苦手意識は減りつつある。特に海外のオープンワールドゲームは実質カーレースゲームと化していることが少なくない。車運転してーならForza Horizo買っとるわボケ。急にキレてしまった、申し訳ない。
せっかくの娯楽なのだから、苦手で嫌いなものを克服するより、得意で好きなゲームで無双した方が圧倒的に健康に良い。そいうわけで、おそらく一般の人よりは多くの、そして若干王道から外れたゲームをやってきた結果、FPSとオープンワールドのTPSが好きで、得意だという結論に至ったのである。そして、これまで私がプレイした全てのゲームとそのクリエイターに感謝したい。特にスパイフィクションとバイオハザード4のクリエイターたちには大いに感謝したい。本当にありがとう。
そこでソーシャルゲームである。
食わず嫌いもいけないし、やらずに批判するのも良くない。氏いわく、虎穴に入らずんば虎児を得ずということで、初めてプレイしたのが、アイドルマスターシンデレラガールズであった。これを始めた理由としてはまあまあ長いストーリーがあるのだが、長いので中略したい。もう当時はTLでゲロクソ流行っていた。その時はすでにコンプガチャに規制が入り、トレードも個人間ではなくフリートレード方式になっていた。
色々あってクールPとして始めた結果、かわいいロリータが沢山いてよかった。そして、通常のプレイでは生涯手に入れることができない桁のスタドリで環境最強アイドルが売買されていることを知った。思ったよりハードな現場だと感じた。努力や研究や時間よりも金銭、課金、クレジット、全ての人間の叡智を金が超越する世界だった。でもとりあえず続けてみた結果、智絵里ちゃんと雪ちゃんのかわいいカードをトレードできたので良かった。後には何も残らなかった。
これに遅れて、同時進行でウエポンガールズというのをやっていた。武器とか兵器が擬人化されていて、B-2スピリットとかM61バルカンがめちゃめちゃ強いみたいな、現実の強さに比例したカードゲームだった。モバマスでは無課金プロダクションにしか入れてもらえなかったが、ポンガでは、課金もしている人もいる、全国で200位ぐらいのギルドに入ったのだ。
このゲームにも、同じカードをあわせて進化みたいのがあったのだが、限界の4凸するのに、同じカードが8枚必要だったのだ。ババ抜きの初手の数かよ。ということで、トレードが非常に盛んだった。逆に言えば、上手くトレードを重ねればそれなりに戦えるゲームだったのだ。しかし、途中で最上レアリティが更新され、最強カードはそこそこカードへ、私の主力カードは、突如雑兵と化した。鉄砲隊に初めて出会った武田騎馬隊の気分である。
しかし、辞めた理由はこれが原因ではなかった。ある時、ギルドで人員整理があり、更に、他ギルドと合流合体するという話が出てきたのである。そして、ある上位ギルドに合流したのだが、なんとその後のギルド間の対戦で全国一位になったのだ。ゲームの収益を支えてるレベルのゲロクソ強い課金者がゴロゴロいる他ギルドを抑えての全一。ただ、その対戦では、私は何もしていなかったのだ。小さな弱小ギルドの時は、対戦で一喜一憂したり、時間ギリギギリでの駆け引きがあったり、みんなで協力してボスを倒したりがあったりで、参加している感や、自身の貢献度というのを感じれた。だが、一大勢力として下克上した今、自分の存在価値を失ったのだ。
イベントのボスは、イベント開始1時間以内に死んでいるし、ザコギルドは瞬殺。ギルドランクも最上位で、協力要素では、やることが無くなってしまったのだ。そこで急激に熱が冷めたのだ。もちろん無課金だったので、力量差が雲泥なのは当然ではある。泥と雲どころか、私のスピードがマイマイカブリなら、ギルメンはフェラーリぐらい早かった。いてもいなくても変わらないところにいる意味はないのである。
ちなみに、初めた頃からメッセージをやり取りして仲の良い人もいたりした。こういうネトゲ的な交流は最初で最後だったが、悪くはなかったが、基本0か100な人間だし、割りとコミュ障なので、何も言わずやめてしまったことを悪く思っていたりする。ということで、シズキさん色々ありがとう、楽しかったよ、元気でね。
「もうクソカードゲーはやらねえ」と思って、アクション要素が強めな『ウチの姫さまがいちばんカワイイ』というラノベみたいなタイトルのゲームに手を出した。早い話、パチンコである。形式は(やったことないけど)モンストに近い気がする。カエルを引っ張って、壁に反射させて敵を殺す、かわいいお姫様がそれをサポートするみたいな感じである。
このゲーム、途中までは業績が悪かったのだが、「お尻がかわいいガチャ」とか「おっぱいたわわガチャ」みたいなピックアップ方法を取った瞬間、めっちゃ業績が上がり、なんとキャラにボイスまで付いたのだ。人間の性欲は本当に純粋で愚かだなと思ったが、看板ヒロインの声が推しだったので許した。後に、別の推しも声優として参加し、無銭月のカケラで回したガチャでそのキャラが出て、その話を接近で言えたので、ある意味一番有意義なゲームではあった。
わりかしサービス開始初期からやっていたが、エンドコンテンツが追加される度に高難易度化していき(そもそもエンドコンテンツが追加される事自体意味がわからん)、それに合わせてプレイヤー側のスキルやパラメーターの追加、最上レアリティの更新やメインクエストのリセット(これが一番謎だった)があり、結局のところ、どんなに強いフレンドがいても、無課金王子では最高難易度クエストがクリア不可能になったのでやめたのだ。
しかし、これよりも割りと萎えたのが、謎のコラボ企画である。正直、ウチ姫のキャラは可愛いのが多い。オリジナルで十分戦えていたと思うし、途中からボイスも付いた。それなのに、とあるのレールガンとかまどマギとかボーカロイドとかハッカドールとかおそ松さんとか、繋がりが不明で、世界観ぶっ壊しのコラボの大洪水だった。マジでどういう層にウケているのか私にはわからなかった。こういう有名所とのコラボは結構萎える派である。しかも、コラボキャラのくせにやたら強くて、お助けフレンド欄がそれで埋まったりするのだ。俺はヴァイスシュヴァルツがやりてえんじゃねえよボケ。急にキレてしまった、申し訳ない。そういうわけで、ゲームの複雑化とコラボ過剰摂取でやめてしまった。
私が一番やたったソシャゲは、ガールフレンド(仮)だろう。ある時期の年末年始、テレビでCMが鬼のようにやっていた影響で始めた。厳密に言うと、いつもの仲良し4人組でSkype中にその話題が出て、その場で4人で初めたのに、一番渋々初めた私しか継続してやらなかった。ねえどういうこと?とりあえず推し声優が多そうなピンク色男子で初めた。3年ぐらいやって最終的に春宮つぐみちゃんが最高という結論に至った。
ガルフレは、モチベの全てが「キャラカワイイ」に特化していた気がする。いや、カワイイというか、セクシャルといったほうが適切だろう。Appleの猥褻アプリ規制が厳しくなった時なんかは、多くのカードが顔のどアップだけになった。つまり、体つきや服装が猥褻なので顔しか表示できないということである。一昔前の脱衣麻雀のようだった。ガルフレは3凸だったが、エグいぐらい課金しても2枚目3枚目出ないゲーである(無課金なりの感想)。しかも他の彼氏(仮)とのトレードがないので、期間限定猥褻絵札は、翌年の同じようなイベントまで引くことができない。救済措置的に、収集物との交換はあったので、後一枚みたいな時はありがたく交換した(そしてシコった)。
ガルフレは集金率が良かったのか、その後アニメ化した。5話ぐらいまで見た。アプリ版では自分の考えた速度でセリフを言っているが、アニメでは他のキャラとの掛け合いなので、喋るスピードを変えているみたいなことを内田真礼さんが言っていて、なるほどと思った。
そして謎のリズムゲーがサービス開始したのだが、ソシャゲ史に残るレベルのメンテ。メンテというか、雨季と乾季みたいな感じだった。もうずっと乾季。そして、プレイできたところで、私はリズムゲーが死ぬほど苦手なので、少しやってやめてしまった。
この頃から、リズムゲーから登場した別の学校の女子生徒が本編にも出るようになった。気づいたら知らん女が沢山いた。そういう子がイベントの報酬になっても、モチベが全くわかないのだ。いいからつぐみを出せ、そして揺らせ。できないなら去る。そして去った。
ガルフレは、びっくりするぐらいイベントのシステムが同じものしかやらないのだ。更新するのは新規カードだけ。でもイベントでやることは一緒。モバマスは薄目でみると同じだが、表面上は多少工夫を加えましたみたいな感じだった。ガルフレにはそれすらない。イベントはひたすら同じ作業。ゲーム性としての新鮮さが0だった。乾物である。結局、新しいつぐみが見たいなら別にwikiみりゃいいなとなり、やめた。
上記4つとも完全無課金を貫き、2年以上継続してプレイしたが、やはりやめてしまった。これら以外にやったソシャゲとしては、FGO、ルナプリ、グラブル、ナナシス、ステ天、スクスト、バトガ、リトルノア、ドミネーションズ、はらぺこ勇者、あとアンドロイド携帯の時にやってたのは覚えていない。
ここで、「それはソシャゲじゃないんじゃないか」みたいな定義を争いたくない。とりあえず、「スマートフォンでやる」+「アプリの更新で終わりがない」+「集金できないと終了」するゲームはソシャゲだと思っている。母親が全てのハードをファミコンと言っていたのと同じである。薄目でみると、全部一緒なのだ。
モバマスを前にして「とりあえず実際にやってみよう」から6年ほど経った。自分なりの答えとしては、やはりソシャゲは自分には合わないということが分かった。
まず、終わりが無いというのは、本当に困る。XBOX ONEのゲームなら、実績を全部取るか、自分で諦めをつけてやれるところまでやれば終わり、ソフトを売ることもできる。他にもやりたいゲームは沢山ある。しかし、ソシャゲにはそれがないので、他のを始めるには、現行のものをやめるしかない。どう頑張っても、2つが限界で、3つ目以上になると全てがおざなりになってしまうのだ。
致命的なのはゲーム性のなさである。あったとしても、それはスーファミレベルのゲーム性である。そして、私は王道RPGをやってきていないので、コマンド方式の戦闘に悦びや戦略性を見出すことができないのだ。ガンガンいこうぜと指示するのではなく、自分で操作して殺しに行きたいのだ。レベルの低さ、装備の悪さは、自身のプレイヤースキルでカバーしたいし、実際にできるのだ。リオレウスぐらいなら、防具ナシでも殺せるぐらいには当時やりこんだ。しかし、ソシャゲではそうはいかない。プレイヤースキルはほとんど必要ない。強ければ強いほど必要無くなる。セオリーと必要最低限の数値だけあればいい。
そして、ゲーム自体が肥大化し、全容が把握できない。できたとしてもそこまで到達できないという点だ。追加に追加を重ねるエンドコンテンツは、一番やりこんでいる人たちが苦戦するようにできている。無課金では到底太刀打ちできないので、協力プレイでは邪魔者だし、対戦相手では赤子以下でゲームとして成立し得ない作りになっている。自分が遊べない、楽しめないコンテンツばかり増えていくのだ。
もちろん、マジモン本気ウルトラガチの世界の戦いがどうなのかは知らない。もしかしたら、私が想像しているよりももっとハードで、緻密な駆け引きがあって、プレイヤースキルが必要なのかもしれない。雲の上に行ったことがないので、神の姿も、そこで何をしているかもわからない。
それで、別にそこに文句が言いたいとか、そういうわけではない。無課金じゃ遊びきれないのは最初からわかっている。そもそも、お客さんにすらなっていない。アイドル現場の無銭がっつきと同じだ。無銭がっつきはゴミ。ほぼ全てのソシャゲが同じようなシステムで成り立っているのは分かっている。
それでも自分でプレイしたのは、なんで流行っているかわからないからだ。もしかしたら、課金以外に面白いところがあるのかもしれない。そうじゃないと、こんだけ課金して永遠とやっているはずがない。そう思ったので、とりあえず色々やってみたのだが、結局のところ、よくわからなかった。
強いて言うなら、やはり「ネトゲの面白さ」なのだろうか。数あるゲームの中でも、ネトゲだけは通って来なかったので、理解できなかったのかもしれない。ネトゲとソシャゲの違いといえば、プラットフォームがPCからスマホになったことと、10本の指では足りないほど膨大なゲーム性を超簡略化してほぼタップのみで遊べるようにして、チャット要素が希薄になったぐらいだろうか。ネトゲをちゃんとやったことがないので、マジでわからない。
でも、日本でこれだけTwitterが流行らなければ、ソシャゲの隆盛も無かったような気がする。やはり知ってる人が回して引いているのを見ると、ちゃんと排出されるんだなというリアリティが違う。艦これの建造ブームの時は本当にウザかった。匿名のカキコミよりも、特定のツイートの方が説得力があるのだろう。
ゲームの一番良いところはゲーム性があるところである。そして、それは一番悪いところでもある。マップと敵とアイテムの配置を覚える、正確に操作する、相手の行動を先読みする、技の効果や装備の能力を比較検討する、それらが全てゲームで異なる。それが面白いのだが、普通の人々にとっては、ものすごく高いハードルなのだろう。
昔のゲームは単純だけど、とにかく難しかった。今のゲームは、難しくはないけど、理解しないといけないことが沢山ある。でもソシャゲは、とりあえず回して強いのが出れば最初はサクサク遊べる。いや、回したことがないので、実際は違うのかもしれないが、そういうイメージだ。
そして、寂しく思うのが、いまハードを買ってゲームをしているのが、ちょっと特殊みたいになっていることだ。付き合う人を選ばないとゲームの話ができなくなってしまった。その点Twitterは良いツールだが、正直めんどくさい人と遭うことも少なくない。やはり理想は、気の合う人と、共通のお題目の盛り上がることだ。お題目は共有できるが気の合わない人は有害でしかない。できるだけ視界から遠のけたいだろう(私はもう遠のけました)。
箱○クラスタなんて言っていたころは、学生時代に戻ったかの様に、一緒にゲームで遊べる人が沢山いた。しかし、ハードが更新して4年かそれ以上の月日が立つと、様々な理由から、もう二度と遊べないだろうという人も増えてくる。しかも、それとは関係なしに、自分の人間性に問題があってそうなってしまうこともあるので、本当に反省している。
だから、今でも遊んでくれる人には、本当に感謝しなくてはいけないのだろう。自分にとって、人とゲームをするというのは、かけがえのない意思疎通であるし、呼吸や日光浴と同じぐらい健康と生命維持に関わってくる要素だと感じる。この先あと何回ハードが更新して、自分の人間性ゆえに友人を無くすか分からないが、これからゲームと共に強く生きていきたいと思った。
どんなクソゲーであっても、良い、楽しい、面白いと思える瞬間は多少なりともある。そして結果として、良い思い出として残る。私はできるだけ、クソだった事柄よりも、良かった事柄で、それを共有できる人と交流したいと願っている。しかし、ソシャゲではそれをやることができなかった。断続的に小さな達成感を得ることはできたが、満足感を得るまでには至らなかった。満たされないタップを続けるなら、私はその人差し指でRトリガーを引いて1キルを取りたいと思う。
繰り返すようだが、生涯無課金の自分が、作り手側が想定するプレイヤーでないことは分かっていた。だからそこには全く文句はない。女児アニメのシナリオにイチャモンをつけるのと同レベルである。
しかし、それでもその良さ、面白さがついにわからなかった。女児アニメを見て感動して泣いたりはできても(例:ジュエルペットてぃんくる☆)、ソシャゲでは心は動かなかったのだ。
なぜ若者はソーシャルゲームにハマるのかこれからも考えていきたい。