大解剖!一発屋芸人面白さのシステム

今日みんなに集まってもらったのは、いわゆる一発屋芸人と呼ばれる人々が、なぜ一発当てることができたのか、その芸の解説を聞いてもらうためである。

 

 

最初に私の持論として「お笑いとは、システムである」と宣言しておきたい。「ネタ」と呼ばれる芸には、人が必ず笑ってしまうシステムが組み込まれている。そのシステムが破綻している場合、人を笑わせることはできないのだ。

 

しかし、このシステムは、人に伝わって初めて意味を成す。昨今の散見される、独特の世界観を武器にしたコントや、若い女性向けのピン芸はその典型である。ターゲットから外れたり、あまりにもシュールすぎると、そのシステムが理解できず、笑うことができないのだ。

 

このシステムを非常に単純明快にして、誰でも理解できる、つまり、ほとんどの人が一定程度笑えるように作られた芸をしているのが、いわゆる一発屋芸人のみなさんである。

 

先に断っておくと、私は一発屋芸人と呼ばれる人々にあくなき尊敬を抱いている。侮蔑や嘲笑といった気持ちは一切ない。むしろ、なぜ彼らが一夜にして芸人の頂点に上り詰め、一発当てることができたのか、そのシステムの素晴らしさを説きたいのだ。

 

 

では早速その素晴らしい一発屋芸のシステムを解説していきたい。

 

まずは、「第1回 一発屋オールスターズ選抜総選挙 2015」の初代王者であり、私がもっとも好いている芸人、髭男爵である。

 

まず、見た目からして貴族とその執事という分かりやすい設定がある上に、ネタの前に「貴族のお漫才」と説明がある。ネタの大まかな流れとしては、ボケであるひぐち君が喋る、男爵様が振る、ひぐち君ボケる、男爵様「○○やないか~い」とワイングラスで乾杯をしてツッコむ。非常にスタンダードな漫才のシステムだか、やはりこの貴族感というのがよい。ほぼ全てのツッコミが「○○やないか~い」の形を取っているので、笑いどころがハッキリしている。

 

ほとんどの素人は分かっていないのだが、お笑いというのは、ツッコンで初めて成立するものなのだ。どんなにボケがカスでも、ツッコミ1つで笑いの大きさは変わるのだ。

 

髭男爵のそれは「ツッコミ漫才」と言ってよい。100%ツッコむことでネタが成立している。タカアンドトシやオードリーの漫才もこれに近い。更に髭男爵は、男爵様が笑顔で「○○やないか~い」とツッコみ、突っ込まれたひぐち君も(なぜか)笑っているので、更に笑いどころが分かりやすく作られているのだ。たまに、キレながらやるネタや、ほとんとケンカみたいなコントがあるが、あれは子供やお年寄りには全くウケない。ただただ怖い。一方髭男爵は笑顔である。これが非常にウケが良いのだ。

 

また、ひぐち君ネタが展開することを言うと、男爵様が「事情が変わった」と、「はい今話進みましたよ、次の展開行きますよ」と示唆しているのだ。非常に分かりやすい。更にひぐち君には「ひぐちカッター」という、全ての時空を切り裂くここぞというときの一発ギャグを持っている。

 

このように、髭男爵のネタは、とにかく分かりやすくキャッチーなのだ。貴族と執事、ワイングラス、「○○やないか~い」、極端な話、これさえやれば髭男爵の体裁は整う。非常にシンプルだ。老若男女、誰にでも伝わるシステムで、ネタ自体も分かりやすい。髭男爵は全年齢対象なのだ。

 

 

次に説いておきたいのは、クールポコ。である。「な~~~~にぃ!?やっちまったなぁ!!!!」のフレーズで一世を風靡した。

 

餅つきという、日本の伝統的なスタイルをまとっている。既に異常である。そして、もちをこねる係りのせんちゃんが、通常漢(男性)らしくない行動をしている人を揶揄する。すると、持ちをつく係りの小野が「な~~~~にぃ!?やっちまったなぁ!!!!」の後に、本来日本男児が取るべき行動を言う。結びにせんちゃんが一言添えるというシステムである。

 

まず、せんちゃんの言うことは、普通のこと、もしくは、なるほど確かに一昔前の感覚では女性っぽい感じ程度のことである。そこに、通常考えられないレベルの男性的行動を小野が言うわけだが、これがボケになっている。小野の言うことが「いやそんなやついないだろ」っていうぐらい異常であれば異常であるほど、ボケとして際立っていくのだ。

 

これは、お笑いのシステムでもっとも重視されるべき「裏切り」という要素である。地球のほとんどの笑いは、この「裏切り」で作られているといっても過言ではない。

 

せんちゃんの言うことは、つまり「フリ」に当たるわけだが、この時点ではまだ、このあと小野がなんとボケるか全く予想ができない。そして、案の定予想や想定を裏切る、通常の思考回路をぶっちぎったことを言ってくる。これは、どうしても笑ってしまう。

 

もちろん、フリに対して、裏切りボケをするのは普通なのだが、主役がボケというのが、クールポコ。のシステムなのだ。先ほど私は「お笑いというのは、ツッコンで初めて成立するものなのだ」などと言ったが、クールポコ。の場合、小野が喋った時点で成立しているのだ。これは素晴らしいの一言に尽きる。

 

もちろん、小野のボケの後にせんちゃんが一言ツッコミを添えるが、そこまで重要ではない。小野がボケた時点で、既にオチているからである。なぜか。

 

お笑いでもう1つ重要な要素がある。それが「大声」である。実は、世の中のほとんどのことは、大声で言うだけで面白く感じるのだ。なぜなら、普段大声を出すやつなどいないからである。一般社会において、「大声」を出すだけで、既に異常者なのだ。最近であれば、ハリウッドザコシショウサンシャイン池崎がこれである。アホみたいな話だが、人がでかい声で叫んでいるのは、面白いのだ。

 

さてクールポコ。小野は常に大声である。まず、ボケの前の「な~~~~~~にぃ!?」これが面白い。顔芸も入っているので、非常に引き込まれる。そして、その後に大声で、ある意味しょうも無いことを言うのだ。ウソみたいなことを大声で当たり前のことのように叫ぶ。謎の説得力が発生するのだ。「謎の説得力」これがクールポコ。の面白さの核である。

 

見てのとおり、小野は非常に古来の日本男児らしい風貌をしている。スキンヘッドで上裸でねじりハチマキでモモヒキで、顔にもインパクトがある。そんな、明らかなる日本男児が、本来男が黙ってやる行動を大声で提唱している、これには非常に説得力がある。

 

小野のボケはボケでありながら、なぜかボケているようには感じられないのだ。つまり、茶番感、嘘臭さがないのだ。むしろ説得力するらある。だから滑らない、しらけないのだ。ゆえに、それに対する強いツッコミが必要ないのだ。このシステム、クールポコ。にしかない唯一無二のシステムである。

 

 

続いてバンビーノ。言うまでも無く、例の「ダンソン」のリズムネタでお馴染みである。一発屋のほとんどは、リズムネタのシステムを活用している。

 

まず、あの歌「ダンソン フィーザキー トゥーザ ティーサーザ コンサ」(出展:wikipedia)であるが、冷静に考えて意味不明である。後述する8.6秒バズーカもそうだが、意味不明なカタカナの羅列は面白い要素の1つである。この意味不明な歌、そしてあの前後にステップする動き、寄せられる二足歩行の鹿、オチに「ニーブラ!」と謎の言葉を発し、神秘的なBGMが流れるという、全てが意味不明な動作の連続である。

 

TBSの『水曜日のダウンタウン』という神番組で、「ダンソン」では実際の鹿は寄ってこないという実験結果を放送していた。常識的に考えて、実験するまでもなく、どう考えてもあの動きと歌では鹿は寄ってこない。しかし、あの鹿はリズムに乗って寄って来てしまうのだ。ありえないことだ。そして、素手で首を折り捕まえるという、非常に原始的な狩猟方法である。現実にはこんなことは起こりえないが、それが起きる、ただ、ちょっとありそう、というのがミソのネタである。

 

なんと言っても、やはりあのダンソンのリズム、あれが秀逸だろう。一度聞けば忘れることは無いだろう。しかもマネしやすいというのもポイントだ。前述の髭男爵とクールポコ。は、真似ようとしても、簡単にはできない。システム自体は単純だが、再現性はやや低い。しかし、ダンソンは、最低でも鹿の被り物さえあればできてしまう。

 

この再現性の高さこそ、一発屋一発屋たらしめる大きな要因なのである。

 

余談だが、つい最近、初めて生でバンビーノのネタを観たが、非常に面白かった。生のダンソンはモニター越しに見るそれとは、迫力が全く違った。ほぼ全ての一発屋芸人に言えることだが、やはり生の迫力というのは、すさまじいものがある。在宅はクソ。

 

 

ダンソンに類似しているのが、8.6秒バズーカである。

 

赤いシャツとズボンに黒いネクタイ、サングラス。分かりやすい見た目である。そしてあの歌、「ラッスンゴレライ」である。上述したとおり、意味不明なカタカナの羅列である。更にこのあと、「ラッスンゴレライ」の説明をしないまま「スパイダーフラッシュローリングサンダー」が登場してくる。先ほどの「ラッスンゴレライ」とは対照的に、すぐに英単語の連続だと理解できる。「蜘蛛、閃光、回転、稲妻」バーズカMIXとでも名づけようか。意味はわかるが理解はできない。

 

「ラッスンゴレライ」のネタのポイントは、一方が「説明して」と言ってくるが、説明できないという点である。説明をするネタなのかと思いきや説明しない。これはレーザーラモンRGのあるあるネタに近いものがある(「早く言いたい」と自分で言っておきながら言わないというネタ)。ただ、RGのネタはオチとしてあるあるを言うわけだが、8.6秒バズーカは最後まで言わないことを貫くわけだ。個人的には、これはマイナスポイントであった。

 

ただ、真似し易いという点においては、良かった。正直、サングラスかけて、これ言ってれば成立するからだ。セリフの量も少ないし、BGMも不要だ。再現性が非常に高い。それなのに、8.6秒バズーカが、8.6秒しか持たなかったのは、「ラッスンゴレライ」が出オチだったからである。「ラッスンゴレライ」って言う、面白い、以上。なのである。言って終わり、後にも先にも、このネタにはこれしかないのだ。だから長続きすることができなかったのだ。

 

 

藤崎マーケットは、リズムネタではあるが、多くのそれとは、若干相違がある。

 

日常にありそうな風景から、突如エクササイズが始まるというコントだが、リズムは常に「ラララライ」である。しかし、毎回そのショートコントにあわせた動き(エクササイズ)をするので、厳密に言うと、これはリズムで笑っているというより、動きで笑っているといった方が正確である。しかも、そもそもが、「そんなところで急にエクササイズするなよ」というボケでもある。ヘアバンドにタンクトップ、そしてスパッツとステレオタイプな分かりやすいエクササイズスタイルではあるが、ネタごとに動きが変わるので、再現性は低いといえる。

 

 

一方、レギュラーは完全なリズムネタである。

 

リズムに乗せて「あるある探検隊」といいながら、あるあるじゃないことを言うというネタである。こうなってくると、ある意味シンプルだ。「あるある」と言いながら「ないない」を言うというのは、一種の「裏切り」に当たる。もちろん、普通にあるあるネタを言う場合もある。リズム部分はわかりやすいが、ネタの本筋はあるある(ないない)を言う方なので、再現性は低い。

 

 

一発屋界でもトップクラスの実力者であるのが、小島よしおである。

 

「でもそんなの関係ねえ」が特徴的なリズムネタであるが、全てが「でもそんなの関係ねえ」に帰結するので非常に分かりやすい。そして、あの拳を突き下げる独特の動きもつければ誰でも真似できる上に、オリジナルのネタでもいけるという点が優れている。

 

基本的には、「正直関係ある」ことを最初に言うのが条件である。ほとんどの場合、不幸なことや自虐的なことを言うことで、「でもそんなの関係ねえ」に繋げることができる。失敗や不運も、これ1つで笑いに昇華(消化)することができる魔法のシステムである。正直なところ「関係ねえ」とは言い難いのに、あえて「関係ねえ」と強がる、無視する、異常者になる、というのが笑いどころである。これは誰でも理解できる論法だろう。これは非常に再現性が高い。ビキニパンツ一丁になれば、さらにそれらしくなる。

 

さらに、ネタの導入である「下手こいた~」もわかりやすい。最初にあえて失敗することで、その後の「でもそんなの関係ねえ」にスムーズに繋げることができるのだ。真似る側も見る側も頭を使う必要がない、非常にシンプルなシステムである。

 

 

 

以上のように、一発屋に必要な要素は2つ。まず、誰にでも笑いのシステムが伝わるシンプルさ。そして、真似のしやすさである。

 

正直なところ、世の中のほとんどの人は、お笑いの仕組み、システムを理解していない。しかし、ここまで単純化され、システムが理解しやすいと、多くの人が笑うことができるのだ。そして、真似し易いと、すぐに飛びついてくるのだ。

 

一般の人々が、一発屋芸人のネタを真似るのは、自分自身では笑いのシステムを使って人を笑わせることができないからである。別に、それが悪いとかどうとか、そういう話ではない。誰もが知っていて、その当時なら確実にウケる手段があるのだから、それを使うのは、妥当なことだ。ただ、そのときに忘れないで欲しいのは、それは他人のフンドシであるということだ。少し前までその芸人が苦難の末に生み出したシステムにタダ乗りしていたくせに、時期を過ぎれば「あいつは一発屋」だ「もう消えた」だ後ろ指差しているわけだ。私はそれが非常に腹立たしい。

 

ほとんどの一発屋は、モニター越しに見るのと、実際に見るのとでは、全く言っていいほど違う。一発あてている人は100%面白いのだ。そして、地球上のほとんどの人は、1発も打ち上げることなくしぼんでいく運命にある。どうか、素晴らしい一発屋芸人たちに尊敬の気持ちを忘れないで欲しいというのが私の願いである。

 

 

ついでなので、今売れている芸人についても書いておきたい。

 

ブルゾンちえみは、リズムネタとあるないネタ、2人の男がいる場合はコントでもあるが、基本は漫談である。男性の数35億とか細胞の数60兆は、誰も想像していなかっためちゃくちゃデカい数字を言うというボケである。また、ほとんどが反語(するだろうか、いやしない)の形をとっている。これが非常に分かりやすい。ネタのベースが「できる女、キャリアウーマン」であるから、女性ウケが良い(童貞やオッサンではあまり笑えない)。個人的にはにしおかすみこに近いものを感じる。同じことを2回言う、ゆっくり言うなど、間の使い方が絶妙である。また、本人にその意識があるかわからないが、ボケたときに顔芸もしているので、この部分が局地的に真似し易いというのが良かったのだろう。

 

サンシャイン池崎ハリウッドザコシショウは、前述したが、大声だから、という点に尽きる。正直、この2人のことを真面目に考えるのは、この世で最も滑稽なことだ。あえて言うなら、サンシャイン池崎は、ネタの作り・構成は非常に真面目で筋が通っている。恐らく根は真面目なのだろう。若干滑舌が悪いが大声で誤魔化している。ハリウッドサコシショウは、時代が追いついてきたとしか言いようが無い。

 

永野は、一度も笑ったことがないので、正直何がウケているのか全く分からない。

 

以上である。

総理大臣になって全国民に鼻毛カッターを配布したい

先日、Xbox oneレインボーシックスシージをプレイしていたら、英語圏のプレイヤーにボイスチャットに誘われたので、聞く専で参加してきた。

 

もちろん私は英語はとんと喋れないが、なんとなーくわからなくもない、ぐらいの練度しか持ち合わせていない。

 

正直、ホームとハウスの違いがわからないし、兄と弟がひとまとめにブラザーになる理由もわからない。

 

しかし、いわゆるガイジンの俗世的な会話は好きなので、聴いてる分には楽しい感じがした。

 

そのボイチャでは、3人の英語圏の人がいたのだが、10分に一回ぐらい誰かしらがゲップをしていた。

 

私の知識では、欧米圏でゲップは結構アレな行為だった気がするのだが、気兼ねなくゲップが連射されていた。

 

もちろん、「ゲッップゥ……エクスキューズ」と謝って(?)はいた。

 

私は別に気にならなかったし、気心知れている人相手には、あえてゲップをすることもある。

 

そこで、改めて気づいたことがある。

 

失礼とされる行為、容姿でも、気にしない人は気にしないのだな、ということだ。

 

 

そこで、本題の鼻毛に入りたいと思う。

 

いや、鼻毛は入るものではなく、むしろ出るものであるが、まさにそれが問題である。

 

 

外出先で鼻毛が出てるヤツがマジで信じられない。

 

 

「え、なんで?家に鏡ないの?なんで外出する前に一瞬でも鏡見なかったの?」

 

「ってか、気付いてないの?気にしてないの?どういうこと?」

 

 

という思いが、鼻毛がオーバーランしている人を見てしまうと、心の中をかけめぐる。

 

まず、前者の場合。気づいていないなら、仕方がないことではある。そして、「鼻毛出ていますよ」と指摘できる人間というのは、この世で一握りだ。

 

まず言い出し辛いというのと、そこまで言える間柄なのだろうか、という遠慮が発生する。

 

しかし、「鼻毛が出ていることでその人がかく恥」は、鼻毛が出ている間は、避けることができない。鼻毛不可避である。

 

そして、その鼻毛飛出し人が、接客をするとか、アイドルのお渡し会に参加するとかなら、できるだけ指摘してあげるのが優しさである。

 

 

昔、某コンビニでからあげクンカルボナーラを買って帰ったら、からあげクンが計上されているのに袋に入っておらず、しかもカルボナーラが×2で計上されていることがあった。摩訶不思議とはこのことである。

 

すぐに老村に戻って指摘すると、再会計とからあげクンの取得に成功したのだが、その店員さんが、鼻毛ボーボーだったのだ。

 

私は、基本的には接客業の方には、膝を曲げるようにしている。

 

だから、誤ってノーカラアゲ&カルボナーラダブルアップになっていたことに対しては、別に腹は立たなかった。

 

しかし、その人が鼻毛ボーボーなのには納得がいかなかったし、なんなら前歯がめっちゃ黒々してて、接客業者の顔面のそれではなかった。おそらくタバコだろう。これが非常に不快だった。

 

100歩譲って、歯は仕方ない。しかし、鼻毛はどうとでもできるだろう。

 

そして、なぜ上長は無法地帯と化した鼻毛を指摘しないのだろうか。気にならないのだろうか。

 

 

もう一つ、ショッキングな鼻毛事件を経験したことがある。

 

私がとあるお渡し会に参加したした時のことである。

 

正直、お渡し会に参加する側の人間で、鼻毛が飛出しているのは、どうかしていると思うのだが、まあまあな頻度で、飛出している人を見かけることがある。

 

しかし、この時ばかりは事情が違ったのである。

 

なんと、お渡す側の人の鼻毛が、1本だけ飛出していたのである。

 

鼻から鼻毛が出るというのは、もう0か1かの世界である。というか、◯からlが飛び出すか否かの世界である。たった1本のlが世界を変えてしまうのである。

 

そのお渡し会には、たしか50人以上の人が参加していたから、私以外にも気づいた人はいてもおかしくはなかったと思う。

 

正直私は引いてしまったというか、本当にショックだった。なぜ始まる前に周囲の人は指摘しなかったのだろうか。いや、それとも、お渡しが始まる直前か、その最中に台頭、もとい台毛したのだろうか。真実は鼻の中である。

 

ただ、今思い返すと、あそこで私がさり気なく指摘してあげるのも優しさだったのではないだろうか。お渡しは一時中断するが、壊滅的な被害を及ぼすわけではない。むしろ、はみ出し刑事状態の方が、ヤバみのある状態と言えよう。

 

しかし、仮にも他人に鼻毛の飛出しを指摘するのは、私には絶対無理だ。ましてやお渡し会中にそんなことが言えるほど機転が効かないし、指摘することが、果たしで善なのか偽善なのか悪なのか、未だに判断ができない。

 

 

そもそも、私自身、誰よりも敏感に鼻毛の飛出しに気づくのに、指摘することができないというディレンマを抱えている。

 

船酔いする船長、高所恐怖症のパイロット、下戸のバーテン、家を買うフリーター。

 

人間の特技と特性は必ずしも一致しないのだ。

 

だから、私が故意に見逃してきた鼻毛の違法駐車は数知れない。

 

同じ人物に対して複数回見逃したことも少なくない。

 

その度の私は、勝手に罪悪感を抱くことがある。

 

私が違法鼻毛を見逃したことでその人が恥をかいたら、それは未必の故意である。

 

鼻毛は、子供や猫同様に、突然飛び出すことがあるので、当人が気づかないことがあるのは仕方がない。

 

そうなると、気づいた周囲の人が指摘してあげるというのが、最後のセーフティーネットなのである。

 

 

そうであるのに、「鼻毛出てますよ」の一言は、非常に言い辛い言葉である。

 

おじさんしかいない店内で「ツユダクで」と言う、800倍言い出しづらい。

 

なぜか、指摘する側も恥ずかしいのだ。

 

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という諺があるが、これに非常に近い。

 

言う方も、言われる方も、なんとも言えない申し訳ない気持ちになる。

 

思いやりの玉突き事故である。

 

だがしかし、事故を恐れず指摘をしなければ、その先ではもっと大きな事故に遭遇する可能性があるのだ。

 

もちろん、鼻毛は自己責任性が高い。服についた毛玉や抜け毛とは訳が違うし、床屋や脱毛サロンですら手を出すことのできないサンクチュアリ(聖域)である。

 

鼻毛の飛出しというのは、たった1本で多くの人をなんとも言えない気持ちにする凶器なのである。もちろん、シチュエーションによっては「面白い」になる場合もあるが、常套手段には決してならない。無いなら、絶対に無い方がよいのだ。

 

少なくとも、私は他人の飛出しで何度も嫌な気持ちを経験している。

 

そこで、夜な夜な考えていることがある。

 

 

総理大臣になって全国民に鼻毛カッターを配布したい

 

 

もし、それが実現できたとしよう。

 

まず、今まで以上に鼻毛に気を使う人が増えるだろう。

 

更に「切る手段がない」という横着者を一掃できる。

 

そして、もし飛出しを見つけても、「今日カッター持ってる?」とか「カッター貸そうか?」という婉曲表現が可能になるのだ。

 

今思えば「鼻毛出ていますよ」は、あまりにも剥き出しな言い方だったと思う。言葉の暴力だ。

 

そう言えば日本には、「お花を摘んできます(花弁から雫がおつる)」とか「レコーディングしてきます(音入れ=おトイレ)」とか「月が綺麗ですね(好きだ、結婚しよう)」とか「今日でプロレスラーを引退します(まだまだ現役を続けたい)」とか、雅でワビサリズムを感じる暗喩が無数に存在する。

 

遠回り的に「カッター」を持ち出すことで、「(今、私はあなたの鼻毛の飛出しを案じています。どうか鼻毛を切ってください)」という思いやりを表現できるのだ。

 

 

全国民用に1億2000万本以上の鼻毛カッターを発注、配布、管理できるのは、おそらく国家レベルではないと難しいだろう。

 

もちろん、それで鼻毛関連の独立行政法人国営企業ができて、天下り先として悪用されて、鼻毛関連の組織に天下ることを「一筆書き」とか「マッキー(細)」みたいな隠語で表現されるのだろう。

 

それでも私は鼻毛の飛出しを根絶したいのだ。

 

 

さて、当然のことながら、自分の鼻毛にも他人の鼻毛にも関心がない人もいるだろう。気にしていないパターンである。

 

鼻毛が飛び出ている。ただそれだけのことと思う人もいるだろう。

 

ハッキリ言って、絶対モテないと思う。

 

もし、鼻毛が飛び出ているというデバフがかかっていても、自分は戦えると言うのなら、好きにしてくれて構わない。でも、無い方が絶対に良いコンディションだと私は思う。

 

別に私は、「自分に気を遣え無い人間は、他人にも気を遣えない」なんて思ったりはしていない。それは、論点のすり替え、燻製ニシンの虚偽、チューバッカ弁論だと思う。

 

別に、自分に気を使え無くても、他人を気遣える人はいる。逆もまた然りだし、両方に気遣えても、鼻毛が飛び出ている人はいる。前述したとおり、鼻毛の飛出しは、自然災害的に突如起きる場合もある。

 

時に、「あの人は鼻毛が飛び出ているけど、良い人だから」そう思われていることもあるだろう。鼻毛の飛出しぐらい、一度の親切で相殺どころか無かったことにすらできる。

 

だがそれは、翻って、なにか悪いことをすれば「しかもあいつ鼻毛出てるしな」と、相手に攻撃の手数を増やしてしまうことにもなる。

 

恒常的に飛び出している人は、ぐうの音も出ないだろう。鼻毛は出ているのに。

 

だから、自分を守るためにも、鼻毛を処理しておいて欲しいのだ。

 

そう、覚えておいて欲しい。鼻毛処理は、ディフェンスなのだ。

 

 

家を出る前に、もう一度確認して欲しい。遅刻しても良い。なぜか。

 

まず、「遅刻しない」+「鼻毛出てない」はプラス2ポイントだ。

 

次に、「遅刻した」+「鼻毛出てない」はプラマイ0ポイントだ。

 

同じく、「遅刻しない」+「鼻毛出てる」もプラマイ0ポイントだ。

 

そして、「遅刻した」+「鼻毛出てる」はマイナス2ポイントだ。

 

(※この理論は、ピン芸人の「ディフェンスの要潤」さんのネタの発想を拝借したものである)

 

無遅刻無鼻毛と遅刻鼻毛は、実に4ポイントもの差がある。サッカーであれば、ほぼ逆転不可能であろう。

 

しかも、遅刻と鼻毛は、その一日、デバフとして働き続けるのだ。

 

だが、取り返しのつかない時間に対して、鼻毛は処理することができる。遅刻は回避できなくても、鼻毛を回避することはできるのだ。

 

 

だから、どうか私の願いを聴いほしい。頼むから、鼻毛を処理してから来て欲しい。無理なら、私は頑張って総理大臣になって、全国民に鼻毛カッターを配布したいと思う。

来年の恵方巻きはこうしろ

恵方巻きの大量破棄が問題になっている。

 

しかし、本当に問題なのは、恵方巻きという食べ物そのものである。

 

今年、生まれて初めて恵方巻きを正しい所作で食べた。

 

そして、その致命的な問題に気づいてしまったのである。

 

 

1:食べにくい

 

食品としては致命的であるが、言及されることはない。なぜなら、恵方巻きで口が塞がっているからである。

 

これでは、「食べづらい」と言えない。

 

それに、おそらくだが、ほとんどの家庭では、恵方巻きはカットした状態で食卓に並べられているのではないかと思う。

 

4人家族で恵方巻きをきちんと人数分買うというのは、正直少し想像できない。買って2本だろう。なにせ、あの作法は子供老人には不向きだし、最悪命の危険性さえある。

 

恵方巻きは、巻き寿司としては極太なため、1本でお茶碗1杯分のライスを含有している。正直、もうそれだけお腹いっぱいだ。その重量さも食べにくさに一役かっている。

 

 

2:美味しくない

 

食品としては致命的であるが、言及されることはない。なぜなら、恵方巻きにはより重要な要素が含まれるからである。

 

それに、具材を見た感じで、だいたいの味が想像できる。想像済みの食品を無言で、大量に食べなくてはならない。贅沢な拷問である。

 

 

3:まだ2月

 

恵方巻きの効能として、恵方とされる方角を向いて、無言で一気食いすると願いが叶う、というものがあるが、思い出して欲しい。

 

おそらく、日本に在住していれば、1月1日から3日までの間に、神社仏閣へ初詣に行っているはずだ。そしてそこで願ったはずである。

 

そう、あれから一ヶ月しか経っていない。明らかに願いのスパンが短すぎるのだ。願掛けのシャトルランである。

 

それに、年齢によっては、サンタさんへのお願いも含められる。毎月、実際には見たことのない何者かに願掛けをするというのは、いささか他力本願過ぎる気もする。

 

というか、そもそも恵方巻で願いを叶えてくれるのは誰なんだろうか。セブン&アイホールディングスだろうか。

 

 

4:商業臭のキツさ

 

関東では、ここ数年で急にやりだした、という印象が強い。そして、高度に発達したインターネットのおかげで、なぜ普及したのか、理由はすぐにわかる。

 

はっきり言って、下手くそすぎるのではないかと思う。

 

ここで、同時期に行われるバレンタインや土用の丑の日などと比較されることがある。この2つも結構な臭いを放っているが、比較的無臭の恵方巻きと比べると、多くの人が良い匂いだと感じる食品である。

 

しかも、チョコはバリエーション豊かで、うなぎは高級食品だ。それに対して、恵方巻きは地味だ。地味なのに、めっちゃゴリ押しされているというのが、商業臭クサさを加速させているのではないかと思う。例えば、新人の女優がCMとかドラマとか映画の吹き替えとかに出まくる、あの感覚である(私は『未来日記』の大ファンなので、テレビドラマ版の出来には、非常に落胆した)。

 

 

では、来年も恵方巻きが大量に破棄されないためには、この逆を行けば良いのではないかと考えた。

 

 

1:カット売りする

 

最初から4枚の切り身とかにしておけばいいのだ。だが、それでも一口で食べるのは困難なので、直径も半分ぐらいにした方が良いだろう。そうすれば、老若男女が参加できるようになるだろう。

 

 

2:好きなものを入れて良いみたいな感じにする

 

海苔で巻いている以上、見た目は中々変えられない。だからと言って海苔で巻かないというのは、やり過ぎだ。

 

ならば、中身は自由ということにすればいい。つまり、恵方巻きのサイズにピッタリの海苔とご飯だけ販売すればいいのだ。これなら、フルサイズの恵方巻きよりも、廃棄時の量は少なくて済む。

 

そして、中身は別売りで、カスタマイズ可能にしてしまう。これでお祭り感が出るのではないだろうか。

 

 

3:6月ぐらいにやる

 

昨年から8月に山の日が制定され、一年間で祝日がないの月が6月だけになった。しかも、6月は、特にイベント事がない。いわば穴場である。梅雨ではなるが、恵方巻きは屋内でも敢行できるので問題がない。

 

 

4:開き直ってブランド化する

 

もはや商業臭は消しようがない。ならいっそ、看板メニューにしたら良いのではないか。いわゆる起源主張までいって、軽く揉めて欲しい。元祖恵方巻きとか言い出して、喧嘩して欲しい。切り餅やひよこ型菓子のように争えば、何もしなくて宣伝効果が生まれるだろう。

 

 

想像以上に論理的で、自分でも驚いている。

 

これ、確実に儲けられるのでは?

 

バイな、今すぐ会社起こして起源主張しなくちゃ。

 

 

平沢進と行く21世紀音楽の旅

通称「ヤマハのコピペ」と言われるものがある。

 

普通に考えて、バイクとピアノを作っている会社というのは、合点がいかない、整合性がない。

 

その実、ヤマハ発動機YAMAHAは若干違うらしいのだが、コピペは大体真実らしい。

 

つまり何が言いたいか。

 

一見繋がりがないように見えたのに、後々繋がっていく。点と点が線になる。ムダなものはなかった。そいういことである。

 

それじゃあ、素晴らしい音楽の旅に僕達も出るとしようか。

 

 

旅の始まりは、2012年6月16日 土曜日にNHK-FMで放送された、第103回「今日は一日“アニソン”三昧 Z(ゼット)」である。(出典:wikipedia

 

お察しの通り、水木一郎さんである。

 

というのは冗談である。

 

タイトル通り、様々なアニソンを流す放送であった。その中で非常に印象的、衝撃的だった曲が、1曲だけあった。165曲中、1曲だけである。

 

アニメ『妄想代理人』のオープニングソング『夢の島思念公園』である。

 

あまりにも突然すぎる、平沢進との出会いであった。(以下敬称略)

 

虜になった。ヒラサワという鳥の子になった。親を見つけたのだ。これから長く続く音楽の旅を見守り、教え導き、照らし出す、親鳥である。

 

流れるような美しいメロディ、特徴的で不思議な歌詞、そして独特な高い歌声。

 

意味のない言葉に意思を見出し、意味の分からない言葉に意義を見出す。

 

そんな旅の始まりだった。

 

 

しかし、人は一度あったことを、偶然や気まぐれで片付けがちだ。2度、3度ありやっとそうだと確信に至る。そうでないと、全てを信じ、全てを疑わなくてはならない。逆転裁判の1の最後の方でも、「偶然は3回重ならない」的なサイバンチョの名言があるぐらいだ。

 

つまり、その時はまだ、無数にあるお気に入りの曲に仲間入りしたに過ぎなかったのだ。

 

というか、聴いていたらたまたま流れたわけで、誰のどの曲とか、あまり気にならなかった。名前とか知らない人だったし、そのアニメも見てないし。単純に、いい曲だなって、それだけ。

 

それからときは流れて、TOKYO MXで『5時に夢中!サタデー』という破天荒な番組が2011年から、約3年間放送されていた。

 

主な出演者は、たまちゃんこと、浅草キッド玉袋筋太郎さんと、RHYMESTER宇多丸さんである。

 

同番組の中で「タマさん、ウタさんのこもりのおじちゃま」というコーナが2011年5月28日から2012年12月22日までの間に放送されていた。(出典:wikipedia

 

お察しの通り、小森和子である。

 

簡単に言うと、宇多丸さんが映画を紹介したり、酒のつまみを食ったりする楽しいコーナーなのだ。

 

その中でも特に印象的だった、2013年8月24日に紹介された映画が何を隠そう、今敏監督作品の『パプリカ』と『パーフェクトブルー』である。(8月24日は今敏監督の命日でもある)

 

宇多丸さんが『パプリカ』の紹介中、BGMとして、同映画の主題歌である『白虎野の娘』が流れていたのだが、私は雷に撃たれたような衝撃を受けた。

 

雷には撃たれたことはないが、たぶんこんな感じなんだと思う。

 

"5時サタ”は毎週視聴+録画していたので、放送終了後、すぐにそのBGMがかかっているところだけ再生した。

 

流れるような美しいメロディ、特徴的で不思議な歌詞、そして独特な高い歌声。

 

 

あの時と同じだ。

 

 

お察しの通り、平沢進である。

 

 

尾崎紀世彦さんも驚きの再会である。

 

そこで初めて私はこの「平沢進」なる人物を調べることにした。なにせ、ヒラサワはテレビに全く出なくなった者。ステルスメジャーである。小僧の私が知るはずもない。

 

わかったのは、やはり『夢の島思念公園』と同じ人だと言うこと。そして、バンドを組んで活動していたことがあること。

 

それが、P-MODELである。

 

P-MODELが、メンバーの入れ替わりが激しいバンドであったことは、一目瞭然だったが、一点気になることがあった。私はP-MODELを知らなかったが、そのメンバーの名前に既視感があったのだ。

 

平沢、秋山、田井中、ことぶき、中野。

 

お察しの通り、『けいおん!』である。

 

私は『けいおん!』が好きだ。リアルタイム世代であるし、ちょうどその頃声優に傾倒していたので、わりかし思い入れの深い作品である。我が家に唯一ある美少女フィギュアでもある『けいおん!』である。アニメショップでCDも買った。劇場版は泣いた。ちなみに、『けいおん!』での一推しは澪で、二推しは梓だが、P-MODELでの一推しは平沢で、二推しはことぶきである。

 

そう、『けいおん!』のキャラクターの名前は、P-MODELのオマージュであったのだ。全然知らなかった。

 

 

ヒラサワは、自身の楽曲が動画配信サイトにアップロードされていることを、半ば黙認している。この理由は色々あるのだが、まあ、とにかくこのスタンスが非常にありがたかった。

 

動画サイトには、平沢ソロの曲やP-MODELの曲はもちろんのこと、同バンドの前身であるマンドレイクの曲まであった。

 

そして私は、彼の音楽の独創性と多様性に圧倒された。

 

何より凄いと思ったのは、過去の楽曲をリアレンジすると、更に素晴らしい曲に昇華していることだ。いくつ歳を取っても、音楽的センスや洗練性は増すばかりで、聴いている間の陶酔感、多幸感が、より大きくなっているのだ。 

 

正直なところ、本当は何を歌っているのかは、良くわからない。ヒラサワの音楽と向き合うときの、一番の課題だ。

 

しかし、しばしばそんなことはどうでも良くなる。なぜなら、彼の音楽は酔いやすいのだ。酔っぱらいに、まともな思考は期待できない。

 

 

さて、平沢は他のアーティストにも楽曲を提供していることがわかった。

 

タイの挨拶「サワディーカー」で歌い始める『Ruktun or Die』という曲だが、歌っているのが、宮村優子さんなのである。

 

お察しの通り、惣流・アスカ・ラングレーである。

 

宮村さんは、正直なところ、一般的に言われる、芝居や歌が上手いわけではない。しかし、アスカはもちろんのこと、他のどの役も、彼女以外では演じることはできないのではないか、という、唯一性がある。技術的な上手さは、ある意味、誰にでも取得できることだが、生まれ持った質感や感性は、真似出来ないものだ。彼女の声は、世界でたった一つの際立た至宝なのだ。

 

お気付きの通り、私はアスカ派である。

 

なぜヒラサワが宮村さんに楽曲提供したのかわからないが、あまりにも意外な組み合わせだった。

 

 

テクノというジャンルがある。ヒラサワの作る曲はテクノだ。もはや、テクノとはヒラサワと言っても良い。ココアと言ったら森永なのと同じだ。

 

ただ、ヒラサワの音楽があまりにも多様であるため、私はしばしば「テクノってなんだ?」という疑問にかられた。そこで、ネットでテクノに付いて調べたのだ。

 

そして、海外には、テクノの始祖となるグループがいることを知った。

 

お察しの通り、クラフトワークである。

 

ここで先に断っておきたい。正直どうでもいいことを。テクノの定義がどうで、その始まりがどこの誰で、どういう経緯で、どういう影響を受けていて、など、正直どうでもいい。

 

大事なのは、それがテクノと思うかどうか。そして、心から良いと思えるか。その2つだ。

 

物事を定義付け、確定させるのは、重要なことだ。しかし、それだけに囚われるのは、愚かなことだ。こと音楽に関してはそうだと思う。特に理由はない。かっこよさそうだから、そう言い切ってみた。

 

話を戻すと、クラフトワークがめっちゃ良かった、ということだ。ポルノグラフィティ東京事変とアニソンばっかり聴いてた小僧が、ドイツのサイエントロジー集団の電卓の音を子守唄にする日が来ると想像できただろうか、いやできない(反語)。

 

ちなみに、クラフトワークも、中心人物のラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダー以外のメンバーの入れ替わりは激しい。

 

 

日本には、テクノの名前を関したテクノバンドがある。

 

お察しの通り、TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDである。

 

この、通称テクノボーイズは、私が知る限り、素晴らしいアニソンを提供していることで知られる。

 

その中でも、私が特に好んでいるのが、アニメ『ウィッチクラフトワークス』のエンディングテーマのカップリングの曲でKMM団が歌う『Saturday Night Witches』である。是非一度聴いてみて欲しい。さて、もうお気づきだろうか。

 

お察しの通り、『電卓』である。

 

『電卓』は、先程登場したドイツの音楽グループ、クラフトワークの代表曲である。この『Saturday Night Witches』には、『電卓』で使われているメロディーが使われている。どちらの曲も、一度聴いたら忘れられない強烈な曲である。

 

もう一つある。SNWを歌っているKMM団は、同アニメに登場するキャラクター4人なのだが、その内1人の声を担当している声優で、夏川椎菜さんという方がいる。そう、ナンスである。

 

夏川さんは、Trysailという3人組の声優ユニットのメンバーであるが、私の推しでもある。私は元々、雨宮天さん推しだったのだが、とあるイベントで夏川さんが『星屑のインターリュード』という曲を歌ったのだが、それが素晴らしかった。胸を打つとはあのことだろう。滅多にないことだが、感動で自然と涙が流れた。そりゃ推し変するわ。

 

この『星屑のインターリュード』は、夏川さんが主人公を演じたアニメ『天体のメソッド』のオープニングであり、本来はfhánaというバンドの曲である。そして、この fhánaは、先程登場したアニメ『ウィッチクラフトワークス』のオープニングを歌っていることでも知られる。

 

無理やり繋げてみた。完全に蛇足だった。人生は蛇足の上に経っているのである。

 

ちょっと戻って、テクノボーイズだが、アニソンだけでなく、アーティストにも楽曲を提供している。そのうちの1人が声優の上坂すみれさんである。そう、すみぺである。

 

私は、上坂すみれが好きである。2011年11月12日に行われた、彼女が声優としてデビューする直前のお渡し会に行ったことがある。いわゆる接近戦である。彼女がソビエトロシアに傾倒していことは事前に下調べしておいたし、奇しくも、私の大学での第二外国語もロシア語だったのだ。

 

軽くロシア語で挨拶したら、よくわからいことを言い返された。Aラン大学とEラン大学ではこうも違うものかと驚嘆したものだ。もちろん、あちらは専攻、こちらは二外だ。土俵が違う。把瑠都だけにな!

 

もう一つ、上坂さんはミリタリーもお好きと聞く。私も好きだが、当方アメリカ合衆国がメインである。上坂さんのソビエトロシアとは、相反する存在だ。しかし好感が持てる。

 

前述の通り、上坂さんはアーティストでもある。テクノボーイズが提供したのが、上坂さんの6thシングル『恋する図形(cubic futurismo)』である。2秒でテクノボーイズとわかる。素晴らしい。

 

しかし、近年の上坂さんといえば、やはり5thシングルの『Inner Urge』をおいて他にはないだろう。この曲は、ご本人も声優として出演しているアニメ『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』のエンディングであったのは、思い出すまでもないだろう。

 

察しの良い方はもうお気づきだろうが、先程の『ウィッチクラフトワークス』と『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』は、主人公の声優が同一人物であり、それが小林裕介さんである。そう、ゆっけである。

 

この小林さん、顔が私に非常に似ていると、私の周りで知られる。そこで、本人に直接聞くために、お渡し会に行ったことがある。本人評価、70点だそうだ。私が言うのだから間違いない採点だろう。私もそれぐらいだと思っていたところだ。周りがほぼ女性しかいなかったので、非常に緊張したが、端的に言って、神対応だった。「絶対に忘れないと思う」と言われたことを、昨日のことの様に覚えているが、もう1年以上会えていないので、そろそろ会いたいところである。

 

 

話がマジで関係ないところにまで飛び火してしまった。話題の放火魔である。

 

 

話を元に戻すと。上坂さんは、平沢進を敬愛しているそうだ。

 

両者がラジオ対談した際に、上坂さんがそう言っていたので、そうなのだろう。

 

また、平沢も、上坂さんが作詞した曲を褒めていた。 

 

上坂ファンの間では、ヒラサワからの楽曲提供を望む声は多いようだ。私もいつか聴いてみたいと願っている。

 

実際、ミヤムラへの提供はしたわけだから、あとは、ウエサカサイドのレコード会社がヒラサワの条件に「うん」というだけだろう。

 

それが一番難しいのだが。

 

 

ヒラサワとは別で、私が心から敬愛するシンガーにMELL(メル)という女性がいる。ありていに言うと、MELL様は私にとって神だ。

 

そして、MELL様のライブサポートのバンドメンバーには、非常に奇抜なダンサー兼シンセサイザーがいた。

 

お察しの通り、森岡賢である。

 

 自分では実際には行かなかった、MELL様の1stライブのDVDに彼はいた。そのインパクトは、あまりにも強烈だった。

 

それから約1年後、私が生まれて初めてライブを観に行った時の話をしたい。

 

時は2010年11月13日。たまたま誕生日の前日だったので、非常に特別な思いをしたのを、いまでも覚えている。

 

また、通常、インターネットでむやみに実身の生年月日を明らかにするのは、自殺行為、とまでは言わないが、リストカットぐらいの危険性はあるので、いままで非常にはばかれる行為だったが、ついに言ってしまった。

 

 場所は、今はなきSHIBUYA-AX(渋谷アックス)である。渋谷と言いながら、原宿から行った方が近いことでお馴染みである。

 

 現在はもう駐車場になっているので、近くを通ると悲しい気持ちになる。

 

生まれて初めてのライブというのはもちろん、MELL様の2ndワンマンライブだった。 

 

MELL様のライブは、DVDで何度も予習していたので、生でMELL様の歌を聴くことはもちろん、生モリケンのダンスも非常に楽しみであった。

 

森岡さんは、後半戦からの参加になっていたが、それでも十分すぎるほど、圧巻のステージパフォーマンスだった。男性を見て、美しいと思うことは、そうない。

 

もちろん、MELL様のライブは世界一、宇宙一、現世一だった。初めてのライブなのにそう思ってしまう不思議。初恋を超える恋はない、そんな感じであった。最高のライブだった。

 

 

MELL様の楽曲の中に『The first finale in me』という曲がある。2ndライブでは演奏されなかったが、1stのDVDで、何度も繰り返し見た曲である。

 

ピアノとMELL様の二重奏と言っても良いこの曲、そのピアノを弾いていたのが森岡さんだった。

 

ステージ上での阿修羅的なパフォーマンスも去ることながら、演奏は非常に繊細で、優しさや温もりを感じる。そんなギャップも彼の魅力の一つだったように感じる。

 

さて、この異色家が何者なのか、非常に気になった私は、例に違わず、wikipediaで調べることにした。

 

どうやら彼は、昔SOFT BALLETソフトバレエ)というバンドを組んでいたことが分かった。当時はアイドル的、カリスマ的人気を誇っていたようだ。

 

YouTubeで見てみた。

 

そしてアルバムを2枚買った。

 

特に『PASSING MOUNTAIN』という曲好きだ。それから、『WHITE SHAMAN』、『WITH YOU』、『Body To Boty』、「VIRTUAL WAR」なども好きだ。

 

森岡さんが作る曲もちろん、純粋にソフバ自体が好きになった。

 

 

そして、この後、思いがけない展開が訪れる。

 

 

初ライブの翌年、初めて声優さんが出るライブに行くことになった。2011年7月24日である。

 

品川ステラボールで行われた、ゲーム『ドリームクラブ』のライブ『DREAM C LIVE 2011』である。オタクイベントデビューは済ませていたが、本格的なライブは、人生2回目であった。

 

Twitterでよく見る人(フォロワーではない)が沢山いて(自分だけ)面白かった。

 

後から知ったのだか、その人達だけで前日にオフ会があり、ライブ前後にも交流していたらしい。私は誘われていない。6年越しでこんなことを言っているのだから、相当悔しかったのだろう。この悔しさが、後々生きてくることになる(本編には関係はない)。

 

 ちなみに、ドリクラは、いわゆる「ギャルゲー」なのだが、一般的に言う「キャバクラ」に業務形態が酷似している。しかし、「クラブ」と「キャバレー」は異なることから、ドリクラのことを「キャバクラゲー」と呼ぶことは、タブー視されている。

 

秋葉原の準メイド喫茶で準メイドさんに「あっ、それってキャバクラのゲームですよね?」って言われたのは、本当に面白かった。

 

さて、当時は後藤邑子さんのファンであったが、ドリームクラブ自体も非常に好きだったし、その楽曲も出来が素晴らしく、ファン待望のライブといった様相をていしていた。

 

しかし、私はそのライブで、とんでもない怪物に出会うことになる。

 

お察しの通り、椎名へきるである。

 

椎名さんは、林原めぐみさんや國府田マリ子さんなどと、90時代の声優ブームの中心にいた人物で、声優としては初めて武道館でライブをした人物である。

 

それからなんやかんやあって、ドリクラに声優として参加していた。

 

実は、私はまだ椎名さんのキャラを攻略していなかったので、かろうじて曲は知っている程度であったし、まだCDが発売されていなかったので、フルバージョンも聴いたことがなかった。

 

椎名さんのステージは衝撃的だった。

 

ゲーム中のキャラクターの振り付けと全く同じで、歌がめちゃくちゃ上手い。圧倒的なパフォーマンスだった。キャラの性質上、椎名さんにだけ専属のバックダンサーが付いていたのだが、それも相まって、シンクロ率100%といっても過言ではなかった。

 

何故か私は泣いていた。感涙とはこのことを言うのだろう。完全に感化されてしまった。ゲームの中で語られるキャラクターの感情が全力でぶつかってきたのだ。心の交通事故である。

 

そして、後日CDを買ってみて知ったのだが、椎名さんが歌った『JEWEL』と『Happy&Pride』は、編曲が森岡さんだというのだ。

 

なんということでしょう。

 

つまり、当時は、2分の2で、100%の割合でモリケンに圧倒され続けたライブだった、ということになる。

 

そして、これは私がヒラサワを知る前の話なので、ヒラサワとモリケンが一緒にテレビに映っていたをの知ったのは、つい最近のことである。

 

ヒラサワを前にしてモジモジするモリケン、非常にかわいい。

 

 

本当に素晴らしい才能の持ち主だったと思う。

 

ブログを書かなくなってかなり久しかったが、彼との思い出を回顧せずにはいられなかった。森岡さんのお陰で、素晴らしい音楽と時を過ごすことができた。

 

布袋寅泰さんと巡ったツアーの映像も少し見たが、非常に良かった。鍵盤ハーモニカをあんなにも心地よく聴かせてくれる人は、他にはいないだろう。

 

彼の訃報に流した涙を、彼の関わった楽曲に捧げたい。

 

MELL様の楽曲の中で、唯一MELL様の作詞から初めて、その歌詞に作曲してくれたのも森岡さんだった。

 

新たに組んだユニット、(-)マイナスでの彼の演舞と演奏も素晴らしかった。

 

かけがえのない、フェイバリットアーティストの1人である。

 

私の青春時代というキャンバスに、音色を色濃く描いていったモリケンが、ヒラサワとライブを共にしていたと知った時、とても嬉しかった。不思議な感覚だが、好きなアーティスト同士が関わり合いがあるというのは、とても良いことだと思う。どっちも好きな私は、非常にお得だと思った。

 

 

さて、ヒラサワがかつてテレビ出演していた映像や、過去のライブというのが行われていた時、私はまだ産まれていない。

 

そういった映像が動画配信サイトにあるというのは、私としては非常にありがたい。どの時代のP-MODELもヒラサワも、常に素晴らしいからだ。

 

そういうわけで、頻繁にそういった動画を見ていたら、ヒラサワなんだけど、ヒラサワじゃない、でもヒラサワらしい楽曲に出会った。

 

お察しの通り、PEVOである。

 

これもまた衝撃だった。

 

まず、PEVOとは、宇宙人である。あと、テキーラはやめておけ、ということが言える。私の理解度で言えることは以上である。とにかく、この集団の音楽は素晴らしい。

 

運良くネットでもPEVOの円盤が買えるようになったので、買った。

 

しかし、せっかくなので、中野ブロードウェイの「ショップメカノ」まで足を運び、もう1枚買った。非常に貴重な経験だった。店内では、前述したクラフトワークが宙を浮いていて面白かった。

 

 

さて、この6年ほどのことを凝縮してみた。もちろん、ヒラサワ以外にも、BOOWYLady Gagaにも非常に傾倒した時代でもある。前述の、布袋さんのライブ映像を見たのも、そのせいだ。そこで森岡さんを発見したとき、私は異常な笑顔になった。

 

 

ヒラサワがいなければ、テクノに興味を持たなかったし、音楽の幅も狭いままだったのも容易に想像がつく(テクノの話は一切していないが)。

 

先日、『パプリカ』がお台場の映画館で放映されたので鑑賞しにいったが、スクリーンで味わうヒラサワは、極上だった。音楽の贅沢、ここに極まれりといった様相だ。『パプリカ』自体、好きな映画ではあるが、そうなったのもヒラサワがきっかけであるし、映画館に行ったのも、映画館のスピーカーでヒラサワが聞きたかったからだ。

 

これは、非常に直接的な原因としてのヒラサワだった。

 

自分の行動を決められれない時の、あとひと押し、興味をそそるスパイス、それがヒラサワという存在なのだ。

 

 

関係ないようで、どこかで関係している。音符の影にヒラサワありなのだ。

 

あっ、そう言えば、旅という設定、途中で忘れてしまった。

 

スマンなw

ここが今日の大爆笑動画配信サービス決定戦会場だ!

HuluとアマゾンプライムとNetflixに加入した者だけが石を投げなさい。

 

ソビエトロシアでは、石があなたを投げる。

 

 

Huluで一番面白い番組と言えば、そう、『鬼三村 ~ダメ後輩達よ、面白くあれ!!~』である。Hulu限定配信なので、ここでしか見れない。

 

三村とはもちろん、元バカルディ、現さまぁ~ずの三村マサカズさんである。さまぁ~ずは、ホリプロに所属している。知らなかったかもしれないが、ホリプロ(と子会社のホリプロコム)にもお笑い部門があるのだ。ちなみに僕は知らなかった。

 

『鬼三村』は、さまぁ~ず、バナナマン以外に、同社からスター芸人が出てこないことを憂いた三村さんが、お笑いの鬼となって、後輩たちに様々な試練を課す番組である。

 

そのため、残念ながら、テレビで見るレベルの芸人は、あまり出てこない。非常に玄人向けの番組と言える。

 

主な試練は大喜利なのだが、採点方法が減点方式である。面白いのは当たり前。だから、面白くない場合は「1つまんない」が加算される。つまり、面白くない回答もオンエアーしているのだ。ここがこの番組のミソである。地上波で放送される番組が、いかに作られたものなのか、わかる。良くも悪くも。

 

ちなみに、同番組では、一度だけネタ見せ回があるのだが、そこに出てくるザ・たっちのバットマンのネタが死ぬほど面白かった。去年のお笑いランキングで2位を取るほどの面白さだった。(ちなみに1位はチョコレートプラネットのヒムロクリニックのネタである)

 

そして、この番組は、お笑いというのは、何よりも「笑わせたい、笑いを取りに行かずにいられない」という姿勢から成っているのだということを教えてくれる。

 

鳴かない鶏は、ただのチキンなのだ。

 

 

アマゾンプライムにも、特別な番組がある。『ドキュメンタル』である。

 

ダウンタウン松本人志さんが企画、主催するこの番組。わかりやすく言うと、お笑いバトルロワイヤルである。

 

分かりづらかったね。

 

毎年大晦日に日テレ系列で放送している、『笑ってはいけない24時』シリーズで必ずある、「控室で待たされている間に、いつのまにかお互いを笑わせあってる」くだりがあるが、つまりあれである。

 

あれを、10人の精鋭芸人たちが一室に籠もり、お互いを笑わせ合い、最後に残ったものに賞金1000万円というのが、建前の番組である。

 

どうやらアマゾンは、吉本興業と、何かしらの契約があるようだ。アマゾンプライマーだと、吉本の芸人さんのネタ見せDVDが50本以上見放題なのだ。(ちなみに一番面白いのは千鳥の『千鳥の白いピアノを山の頂上に運ぶDVD』である)

 

そのためか、集まった10人は、全員吉本の芸人なのだ。

 

第一の問題点である。

 

 

笑ってはいけないのだが、2回までは笑っても良い。3回目は失格となり退場する。徐々に人が減っていき、バトルロワイヤル感が増していく。はずだったのだろう。

 

この企画、「笑ってはいけない」というのが唯一のルールで、別に笑わせにいく必要はない。結局、笑わせにいかなかった者が残る。

 

第二の問題点である。

 

 

そして、一番基本的なことだが、お笑いとは、裏切りである。ボケとはツッコンで初めてボケと成すのだ。個人戦だと、どうしてもそれが少ないのだ。

 

早い話、そんなに面白くない。いや、厳密に言うなら、好きな笑いではないのである。

 

もちろん、面白いシーンも沢山あった。爆笑もした。ただ、見ている時間に対して、笑いは少ない。お笑いの費用対効果が悪いのだ。特に、終盤の20分ぐらいはずっと真顔だった。逆お笑い地獄。

 

とは言ってもこの番組。まだ発展途上と言えよう。松本さんも言っているとおり、到底地上波で放送できない。非常に実験的な要素が多い。

 

企画自体は悪くないので、諸々改善して、シーズン2に期待したい。事務所の垣根を超えるとか、コンビで参戦するとか、加点方式も取り入れるとか、いくらでもテコの入れようはあると思った。

 

 

そしてNetflixだが、この手の番組はない。というか、バラエティ番組がない。

 

フルハウス』や『水曜どうでしょう』、『勇者ヨシヒコ』シリーズなどがあるので、それを見れば良いと思う。非常に面白い。

 

あとなんかペンタトニックスのドキュメンタリー番組が良かった。

 

あと月額料金が安い。

 

 

以上、動画配信を選ぶ際の一助になれば幸いである。

三度目の正直くらい大目に見ろよ

ブログ開設するのはこれで3回目で、うち1個は実は誰にも言ってないので、墓場まで持っていこうと思う。

 

とりあえずFC2ブログはクソ。

 

放置するとどこからともなく広告が沸いて出て来る。そりゃ、無料でやらせてもらってるから広告ぐらい良いけど、上下から出てきて、あらゆる方法で閲覧を阻害してやろうっていう感じがして嫌。

 

とは言っても、FC2ライブにはお世話になることがあるから強く出れない。出せても強パンチぐらい。しゃがみで。

 

 

グーグルのブログは割りと良かった。セカオワの一番人気の曲ぐらい良かった。

 

ドラゲナイ←→ドラゲル

 

ただ、ブログタイトルで書くことを限定しちゃったのが良くなかった。だって、誰かに話したこと、もう一回書くのめんどいもん。

 

結局代償行為なんだなって。誰か話す相手がいるなら書かないし、いないなら書く。とりあえず言いたいんだな。むしろ、言いたいだけなのかなって。

 

別に主義主張を啓蒙したいとか共感して欲しいとかじゃないし、それこそ日記ってわけでもない。書く理由がないことが書かない理由になった。

 

服買いに行く服が無い的な。違うか。

 

 

ていうか、「それユニクロですよねw」って言われるの、めっちゃムカツく。

 

言う前から半笑いだし、「チャック開いてますよw」とか「鼻毛出てますよw」と同じテンションなのが腹立つ。もう馬鹿にする気が顔面から溢れ出てる。

 

ただ、普通に凄いと思う。まず他人の服装に興味ないし、ましてや見ただけでどこのブランドとか、絶対わかんない。全部同じに見える。

 

興味ないもの、全部同じに見える説ね。

 

黒人とかアラブ人、全部同じに見えるし。

 

ちなみに黒人の俳優は大概好き。

 

ローレンス・フィッシュバーンウェズリー・スナイプス、サミュエル・L・ジョンソン、フォレスト・ウィテカー、ウィル・スミス、ジェイミー・フォックスモーガン・フリーマンクリス・タッカー、エディー・マーフィー、マーティン・ローレンス

 

まあ、正直思い出せなくて何人かは検索したよね。てかよく見たら男ばっかりだな。

 

なんか、アニメばっかり見てたときに、このままじゃダメだなと思って、急に映画っばかり見るようになった時期があって、年間100本以上は見たんだけど、黒人の俳優の名前がそれなりに挙げられたのって、そのおかげなんだなって思った。

 

やっぱり何事も続けて積み重ねると形にはなるんだなって。だから服みてブランドわかる人もそういうことなんだろうな。重ね着だけにな!

 

ちなみに一番好きな黒人の俳優はスナイプス。彼の主演作でオススメなのが『アート・オブ・ウォー2』(原題:The Art of War II: Betrayal)ぜひ見て欲しい。

 

 

過去2つのブログは、自分で自分に縛りを与えてしまって、勝手に喋りづらくなってたなって思う。というかな、ブログ書くことごときで悩むなんて馬鹿らしいよな。でもその馬鹿らしさ、これからも大切にしていきたい。

 

最後にいい感じなこと書くと、全体的な印象、よくなりがち。

 

例えそれが中身のない言葉でも。

 

 

それよりか、早く暖かくなって欲しい。