木戸衣吹と日本語ラップ

個人的に日本語ラップの原点といえば、吉幾三さんだと思っている。

 

そう、幾三さんの大ヒット曲『俺ら東京さ行ぐだ』である。

 

近年では、TBSの『水曜日のダウンタウン』にて「吉幾三俺ら東京さ行ぐだと同じ状況の村 現存する説」で最注目されたことでもおなじみである。

 

私が幾三さんを推している理由は、定期的に聴いているから、これに尽きる。年間でも必ず1回以上は聴いている。これだけ古今東西の音楽が溢れかえっている時代でも、年1回以上というのは驚異的な数字であることに議論の余地はないであろう。

 

 

さて、この話自体どこでするか悩んだが、あえてここでしていきたいと思う。

 

木戸衣吹さんと言えば、声優界において、20歳までに演じた主役の数が日本トップレベルであることでお馴染みである。その中でも特に筆者の思い出深い作品がアニメ『精霊使いの剣舞』である。

 

本作においては、アニメそのものよりも、メインヒロインを演じた声優5人によって結成されたユニット「にーそっくすす」の方が、今も筆者の記憶に色濃く残っている。

 

数あるにーそっくすすの楽曲の中でも特に異色だったのが『KN33SOXXX』である。キャラソンでラップというのは、かなり衝撃的だった。

 

もちろん、ラップを取り入れたアニソンというのは昔から少なからず存在していたし、世代的には『ポケモン言えるかな?』とかは、かなりの強めのそれだったと思う。

 

しかし、好きなグループの曲、好きな声優の曲でラップとなると、かなり見え方も印象も違うもので、産まれ初めてライブで聴いたラップの曲も『KN33SOXXX』だったため、かなり衝撃的なナンバーとして記憶されている。

 

この『KN33SOXXX』という曲は、元々はCherry Brownというラッパー兼トラックメーカーの『にーそっくす☆』が原曲であり、こっちはリリックもビートもかなり重め(婉曲表現)である。そのため、原曲と比べて、アニソン向けに綺麗に作り直したんだなという感じがする。

 

大本の曲がだいぶヒップホップしているので、リマスターされた『KN33SOXXX』もそのソウルが感じられるのだと思う。それ用に書き下ろすのではなく、既存のヒップホップをにーそっくすす用にアレンジしたのはかなり良かったと思う。

 

というのも、世の中にはヒップホップっぽい曲、ラップっぽい歌詞やフロウの曲はかなりあって、正直それらは結構な確率で滑っている感じが凄い(当社調べ)。そうであるから、骨太ラップを支柱に作った『KN33SOXXX』はかなり良質な出来だった。

 

にーそっくすすは他の楽曲もかなり良かったし、曲作りに対する選球眼は目を見張るものがあったと今でも思っている。

 

 

それでようやく木戸さん演じるクレア・ルージュ a.k.a. クレア・エルステインのパートの話だが、非常に良い。当時木戸さんはまだ高校生だったように記憶しているが、間違いなくキャラがラップをしているようにしか聴こえなかった。

 

ライミングは甘めでビートも早くないので、難しくやっている感じでもなかったし、とにかく自然なのである。ライブでも手でYo Yoやっていて(一般的なヒップホップのステレオタイプな仕草)楽しそうだった。

 

 

この次点で木戸さんのラップはかなり様になっていたのだが、思い返してみると、デビュー当時からそれっぽいことはやっていたのではないかという仮説が思い浮かんできたので、話が前後してしまうが、更に回顧してみたいと思う。

 

 

懐古厨的には、まず最初に、木戸さんの衝撃のヒロインデビュー作であるアニメ『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』のエンディングテーマ『Lifeる is LOVEる!!』と、同作のラジオのテーマソング『LO♡ブ-ラ♡VE コンプレックス』が思い起こされる。

 

『Lifeる is LOVEる!!』は、同作のヒロインを演じた声優4人によって歌われており、歌詞の一部でライミングしていたり、サビ以外がセリフ調であったりと、かなり「ソレ」のニオイをさせている楽曲である。

 

木戸さんと一緒に歌っているのは、喜多村英梨さん、茅原実里さん、下田麻美さんであり、声優界きっての歌うまでもある彼女らに囲まれながらも、存在感を失うことなく力強く歌っているので、今聞くと非常にエモーショナルな気分になる。

 

 

演じる姫小路秋子として歌った初のキャラソン『LO♡ブ-ラ♡VE コンプレックス』もかなりセリフ口調よりで、あえてこうすることで歌唱というハードルを下げたのではないかと推察される。

 

しかし、口語になったことでやや譜割りが詰め詰めのところもあり、早口言葉に近い部分もいくつかある。ラップまでとはいかないが、めちゃくちゃ薄っぺらい歌詞でありがちなJ-POPもどきのキャラソンより何京倍も良い楽曲に仕上がっているのではないかと思う。

 

それもそのはず、作詞者が筆者の大好きなTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND松井洋平氏であるからである。やっぱりTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDなんだよなぁ。

 

そういうわけで、精一杯頑張ってこじつけてみると、デビュー初期の楽曲からかなりその潮流を見せていたことがわかる。

 

 

さらに、翌年に出演したアニメ『帰宅部活動記録』で、演じる安藤夏希として歌ったキャラソン『女の子の法則』でもその潮流を垣間見ることができる。

 

この曲もメロの部分がややセリフっぽい仕上がりなのだが、Aメロでは小節の終わりを毎回「◯◯って」で脚韻している。また、サビ部分の「フリル スリル モラル メール」という「ル」の脚韻は、同作では特に人気の高い「しりとり回」で出てくる「る責め」というテクニックを彷彿とさせるニクイ演出である。

 

また、一見普通のキャラソン風味なのだが、強めにハイハットシンバルの4打ちビートが入っており、やや「ソレ」感を見て取ることができる。これには筆者も思わず横ノリしてしまう次第である。

 

 

 

それからなんやかんや3,4年ぐらいあって、一番衝撃だったのが、木戸さんが山崎エリイさんと組んでいる(2017年11月9日現在)声優ユニットevery♥ing!のアルバム『Colorful Shining Dream First Date♥』に収録されている『ヒロンン』という曲である。

 

これまでのこじつけが嘘のような、正真正銘ラップ曲である。ありがとう。

 

『ヒロイン』は、AメロBメロサビという形ではあるのだが、どちらかというと、バースとコーラスで構成されているように感じられる。さらに終盤にはフリースタイルを取り入れ、あえての落ちサビのような部分を取り入れ、サンプリングで弾みを付けて、もう一度コーラスに戻るという面白い作りである。

 

『ヒロイン』というだけあって、1人の女の子としての片思いの恋愛感情を、2人が声優であることになぞらえて、自分を女優に見立てて歌いながら、およそ2人のリアルな日々の生活感を溶け込ませた技巧的なナンバーである。

 

リリックでは頭韻も脚韻も下品になりすぎないレベルで程よく散りばめられており、完全押韻の「眉間にシワ」と「遺伝子にさ」はまだR-指定も踏んでないのではないかと思う[要出典]

 

2番の後には、トレンドとしてフリースタイルバトルパートがあり、2人が世の中の誰かと戦っている。おおよそ2人のリアルな思いが込められた言葉なので、メタ的な面白さがある。特に木戸さんは言い方に喜怒哀楽があり楽しんでる感じが凄いように見受けられる。

 

ラップ色を強くしすぎないためか、Cメロではコード進行が打ち込みのビートからピアノになり、メロもマイナーになる。ここでちょっと湿っぽく落ち込むのだが、その後が非常に良い。

 

急にドラムビートのみになって「笑い飛ばしてバース蹴っ飛ばす」という、RHYMESTERの『B-BOYイズム』のMummy-Dパートのサンプリングが取り入られており、これがアクセントとして上手く決まっている。更にその直後が「ライツ カメラ アクション」なのも、かなり日本語ラップの教科書的な曲に仕上げたことがわかる。

 

 

どうしても2人を比べてしまうのだが、全体的にやはり木戸さんの方が良いフロウを持っている思う。セリフになり過ぎず、歌になりすぎず、何よりちゃんと楽しんでラップしているのがよく分かる。

 

以前からラップに近似した楽曲を歌っていた木戸さんだが、本人のノリの良さ(?)も相まって、非常に良い仕上がりである。集大成と言っても良いのではないかと思う。

 

 

この影響を受けてか、先日行われたevery♥ing!のライブツアーの青森公演では、ソロパートで幾三さんの『俺ら東京さ行ぐだ』を歌ったらしい。

 

以前から木戸さんが同じ青森県出身の大スターとしてしばしば名前を出していることはあったが、このタイミングで同郷のスターの日本語ラップナンバーを歌ったのは、『ヒロイン』あってのことなのではないだろうかと、在宅なりに思考をめぐらしている今日このごろである。

 

 

木戸さんは、昨年放送されたアニメ『とんかつDJアゲ太郎』で、辛口な選曲で知られるDJ唐沢シオリを演じていた。同作をイメージして作られたevery♥ing!の『HELLO, NEW WORLD!! 』はテクノとEDMを混ぜたような感じで、非常に筆者好みの曲で大変嬉しかった。

 

自分の好きな人が好きなタイプの楽曲を歌ってくれるというのは、至上の喜びであり、『HELLO, NEW WORLD!! 』の時の悦びを『ヒロイン』で再び味わえるとは思わなかったので、自分は非常に恵まれているなと思った次第でもある。

 

 

ということで、個人的には、木戸さんはラップをするスキルとセンスを磨いてきながら、良質の経験を積んで来たのではないかと思う。在宅なりの希望としては、ソロでのラップ楽曲の制作やそういうキャラクターを演じていただければこれ幸いだと思う。

 

 

 以上、木戸さんと日本語ラップの話である。

 

ここまで読んでくれてありがどう。

 

peace out

もがちゃん、ありがとうの歌

歌おうと思ったけどブログは音声が流れないので文体にしていきたい。

 

急に超個人的な話になってしまい申し訳ないのだが、昨年、2006年の12月ごろ、色々あって本気で死を意識した時期があった。その前後もけっこうヤバめではあったのだが、特に12月は、長州力と戦った後に担架で運ばれながら真鍋アナと話してるときの大仁田厚ぐらいヤバかった。

 

ちょうどその頃は、ゲームオブスローンズのシーズン5をHuluで観終えたので、Huluを解約したばかりであった。しかし、時間はすこぶるあったので、狂ったようにゲームをしていたのだが、いかんせん持て余すのだ。それは、基本的にドラマか映画を観ながらゲームが主なスタイルであった為である。

 

 

そこで、『最上もがのもがマガ!』である。

 

 

アメーバなのにアベマという配信サービスがあるらしいと小耳に挟んだのは、私も愛読している漫画『ドリフターズ』のアニメが、アベマが最速放送だと、筆者の平野浩太氏がツイッターで宣伝していたからである。

 

ドリフ(荒井注らのことではない)はアベマで観ていたので、他にも何か面白い番組はないものかザッピングしていたところ、本当にたまたま偶然奇遇にもお昼の再放送枠でやっているのを発見してしまったのだ。

 

 

それが、『最上もがのもがマガ!』である。

 

 

もうシンプルに面白かったというのが全ての感想である。

 

私は一番の舎弟で若頭でもあるので、でんぱ組.incの曲はときたま聴いていた為、もがたんぺ a.k.a 最上もがさんのことは知っていた。知ってはいたが、でんぱ在宅オタとしてはピンキー a.k.a 藤咲彩音さんが推し(理由:顔がかわいい)だったので、視聴に多少の躊躇いがあったことは想像に難くないだろう。

 

というのも、そもそも筆者はグループの誰かを推すとき、一番人気がありそうな所にはいかない傾向がある。思いつく限り浮かべると、例えばモー娘。なら久住小春さん、SMAPならゴロウちゃん、関ジャニなら横、平成なら八乙女クン、TrySailならナンちゃん、WUGならかやたん、特別深い理由があるわけではないが、とにかく看板的な、センター的な人は選ばない傾向にある。わざとそうしているのか、結果としてそういうタイプの人を好きになるのかはわからないが、統計的にはそのようなのだ。

 

そういうわけで、私が知っている湯葉より薄い情報に基づいた印象によると、もがちゃんはピンチケとかが顔で選んでとりあえず推す、いや推してすらいないが、とりあえず集まってくるハチミツ的な感じだったのだ。しかもバチボコに可愛い。しかも美乳。普段であれば、もう絶対に避ける要素しかないのだ。

 

 

そういう先入観があったから、もがマガでもがちゃんが自由奔放に暴れる様子(筆者の観点が多く含まれる表現であることに注意)は、非常にギャップに溢れていた。これがいわゆるギャップ萌えなのだろうか。いや、萌えというよりは、面白いなと思った。裏表がないし、思ったことはハッキリ言うし、たまに凄い拗らせてるところが出るし、変顔が面白いし(基本的に自分を美人だと思ってる女性の変顔は0点)、私が想像していた以上に芳醇な人なのだと思った。

 

 

もがちゃんのパーソナリティに惹かれたということもそうだが、アシスタントがナイツの土屋伸之さんというのも非常に良い点だった。ナイツの漫才は、TRFのやつとじゅげむじゅげむのやつと、相撲のやつが非常に面白いので、是非見て欲しいと思う。お笑い博士号の筆者から見て、もがちゃんとナイツのボケである塙さんはボケのタイプが近いので、あれだけ土屋さんのと相性も良かったのではないかと思う。

 

そして、シンプルに番組の企画も面白かった。イエスキリスト a.k.a リリーフランキーさんや、もふくちゃんとの対談企画はもちろん、ワインのおじさんとホテルのおじさんのやつが特に面白かった。最近だと、システマのやつがめちゃめちゃ面白かった。

 

たまたま視聴した回が再放送だったので、その直後からむさぼるように過去回をごにょごにょして視聴した。そして最新回も追うようになったのであった。

 

そこで推し変問題である。

 

知者曰く「推し増しと称しての推し変は死刑」と言っていたが、「在宅であれば推し変は可」とも言っていたので、ある時期をおいて、もが推しになった。もちろん依然として当方は在宅である。

 

 

そういうわけで、明確に推しが決まると、今度は楽曲がより楽しめるようになったわけである。しかも、ちょうどBESTアルバムを配布していただいたので、これも非常に幸いであった。

 

でんぱ組.incの楽曲は、とにかく刺さる。自分の境遇がメンバーに近づくほど刺さるのだろう。わりと健常だった頃(当社比)は、でんでんぱっしょんぐらいしか好きな曲がなかったのだが、自分が電流爆破後の大仁田に近づくにつれて刺さる曲が増えたような気がする。もちろん、これまででんぱ組.incの音楽と本気で向き合って来なかったというのもあるだろうが、もがマガ事変以降、好きな曲がとても増えた。

 

特に「STAR☆ットしちゃうぜ春だしね」は、一番良く聴いていたし、PVでも高頻度で観ていたと思う。冬に春の歌を聴いたというのが良かったのだろうか。よくみたら作詞作曲がでんでんぱっしょんと同じ畑2060%さんだったので、楽曲としてもハマる要素が強かったのだと思う。

 

他は、W.W.D三部作やなんてったってシャングリラ、ナゾカラやFuture Divere、SabotageやVANDLISM、冬へと走り出すぉ!やIDOLなんかがかなり好きである。

 

私はこの後(というか現在)フリースタイルダンジョン経由でHIP HOPにもハマるのだが、でんぱ組.incがその土台の一部を形成したことは、想像に難くないだろう(明らかにそういう選曲である)。

 

 

そういうわけで、もがマガやでんぱ組.incの楽曲映像を見聞きするのは、当時の私にとっては炭水化物よりも重要な栄養供給源だったのである。自分がダメになりそうになったとき、でんぱ組.incの曲はとにかく元気が出る。もう一回聴きたい、もっと聴きたい、ずっと聴いてたいと思える。特に落ち込んだ時は、外的要因で気持ちを切り替えられるというのは非常に重要だったし、とてもありがたかった。

 

 

本来であれば、もっと詳しく、1曲ずつピックアップしてどこがどう好きなのか語りたいところではある。しかしながら、今日において、ブログでもがちゃんのことに触れているのに、でんぱ組.inc脱退について語らないのは、いささか不自然な気がする。

 

 とは言うものの、当方でんぱ組.inc完全在宅なので、正直なところ、もがちゃんがそれで良いなら、それで良いのではないかと思う。いや、もちろん本人も100%納得して出した結論ではないことは、その口ぶりから明らかだったと思う。それでも、多くの不安要素を覚悟しながら脱退を決意したのは、物凄い勇気が必要なことだったと思う。きっと、でんぱ組.incに加入したときの何倍ものそれが必要だったのではないかと思う。

 

 

 完全在宅なりの感想としては、脱退は驚きではなかった。というのも、まず筆者は最上もが単騎のファンであり、でんぱ組.incの紫牌のファンではないからだ。もちろん、でんぱ組.incとしてのもがちゃんの歌や踊り、表情も好きではあるが、やはり入りがもがマガなので、1人のアイドル・タレントとしてのもがちゃんがこれからも健在なのであれば、こんなに幸いなことはないと思う。

 

先日放送されたバラエティ番組『イッテンモノ』でも、今日のお笑い界を牽引している千鳥、三四郎サンドイッチマンら6人の芸人を前にしても、非常によく絡んでいたと思う。もがマガを見ていても思うが、ある種芸人キラー的な部分があるので、バラエティで生きていける素質も十二分にあると思う。特に、昨今は執拗に“ヤリにいってしまう”アイドル・タレントが多いので、それとは真逆に位置するもがちゃんは、むしろ映えるのではないかと思う。

 

※ヤリにいく:ドッキリや嘘企画であるとわかりながら、または、それだけでは特に撮れ高がなさそうな企画に対して、あえて騙されたりオーバーリアクションを取る行為のこと(例:鈴木奈々

 

 

在宅なりの想像をすると、多くのファン、もしくはそれ以外のゴミが、不仲説やもがちゃんの体調面、心情について、不確かな妄想を膨らませ、SNSミニブログ等で論じているのではないだろうか。私は決してそういった潮流に乗ることはない。むしろ、今だからこそ声のボリュームをMAXにして、もがちゃんへの感謝を叫びたい。

 

 

もがちゃんがもがマガで楽しいトークをしてくれたおかげで、無色だった日常に色を付けてくれたし、でんぱ組.incの楽曲、ライブへの興味関心を引き立ててくれた。ほとんどどんな曲も聴けなかった日々に、6つの音色を落としてくれたこと、本当に感謝している。あの時 狂ったようにでんぱ組.incの楽曲に熱中していなければ、きっとその体温は0に近づいていたのではないかと思う。でんぱ温泉に引っ張り入れてくれたもがちゃんには、本当に感謝しかない。感謝しかないのだ。

 

もがちゃん、本当にありがとう。

 

 

数人の芸能人を推してきた経験として、その時その人が一番良いと思う方法で、一番やりたいことやっててくれるのが、一番良いといつも思っている。確かにほとんど理想論かもしれないが、その人が楽しそうだというのが、一番の良いのではないかと思う。

 

それから、「応援」という行為には、前提として相手を「承認」する必要がある。だから私は応援はしない。私がするのは「援護」である。リフトされるより、リフトしたい。持ち上げられるより、持ち上げたい。

 

とは言っても、私のようなクソ在宅野郎にできることは、もがマガが始まる前にSNSで「もがマガ緊張してきたな」と言うことぐらいしかない。

 

ということで、『最上もがのもがマガ!』は、毎週月曜日22時からアベマで放送中である。再放送も沢山やっているし、マイリストに入れると後で見ることもできる。本当にいい時代になったものである。

 

みんなで見よう、『最上もがのもがマガ!』

ソシャゲが流行り続けている理由がわからない

※読者の要望によりさらに見やすくなりました※

 

 

私が物心ついた頃には、すでに家庭にファミコンスーファミがあった。いつしかゲームボーイもあり、そして、64、プレステとハードが揃っていった。

 

ファミコンのゲームソフトは、スターウォーズワギャンランドけろけろけろっぴのやつなど、イカれた難易度の多いファミコンソフトに対して、比較的優しいゲームが多かった(それでもスターウォーズのやつは2面で詰んでいた)。

 

スーファミの方は更に豊富で、マリオはもちろん、アラジンやカービー、幽遊白書などバラエティに富んでいた。というのも、私の姉が買ってもらっていたやつなので、同世代のキッズよりソフトの数は多いが、ロックマンドラクエ、FFみたいな、誰しもが通りそうなゲームは避けられ、「これ他にやってるやついるのかな?」的な横スクロールアクションを多くプレイしていた。

 

64の時代になると、やはりゴールデンアイパーフェクトダーク)とゼルダの伝説(時オカ、ムジュラ)は避けられないだろう。これは我々の世代で言うと、「バンプ派かポルノ派か」みたいな問で、私の地域でやったことのないやつはいなかった。FPSオープンワールドアクションの原体験はここにあるのだろう。

 

長らくRPGの大王道は避けてきたが、ある時期謎のドラクエモンスターズ2ブームが起き、私も渋々買った。今現在でも、唯一プレイしたドラクエのゲームである。当時私が好きだった女の子の名前(ささがわ)がついたダークドレアムを友達から貰った淡い思い出がある。

 

ささがわさんは転校生だったが、他の子よりも郡を抜いて可愛かった。AKBの中に絶頂期の広末がいるみたいな感じだった。ちなみにその子からはめちゃめちゃ嫌われていた。本当に悲しい。

 

ドラクエモンスターズ2ゲームボーイカラーのゲームだった。ゲームボーイはこれと、ゴエモンの妖怪RPGのとポケモン緑、ピカチュウ、銀をよくやっていた。ツウなのでちゃんとピカチュウ版もやっているのだ。だいたいライチュウに勝てなくてその辺でピカチュウはレギュラー落ちするのが定番である。というか、最初のイシツブテイワークに対してクソ雑魚すぎて、なぜアニメのようにスプリンクラーが作動してイワークを感電死させることができないのか大変疑問だった。仕方ないのでポッポの砂かけを連射してハメ殺すしか手段がなかった(プロはバタフリーでヤるらしい)。

 

プレステ購入当時は、母の知人からソフトを大量借りするという荒業を使ったが、アークザラッド以外にハマったソフトはなかった。しかし、このアークザラッドとの出会いは大きかった。2も借りてやったが、3は誕生日に買ってもらい、たぶん4週か5週はプレイしたと思う。アークファンの間では、2が至高、3はお使いゲーなどと揶揄される。私からすると2は話が暗いし思いし、1をめちゃくちゃやり込むの前提の作りだし、要素が膨大すぎて、素人向けではない。ただ、割りと最後の方に出てくる雑魚ボスの「わしゃ強いぞ!」に対して、主人公の「みんなそう言って死んでいったよ」みたいなやりとりは、本当に面白かった(そしてそいつは本当にザコ)。

 

その点3は、キャラがめっちゃシコれる。この点で全てのアークシリーズを凌駕している。女性キャラクターが可愛い、好みだといのは、全ての要素をぶった切る絶対の正義である(もちろん筆者はシェリル派である)。とにかく私はあしかけ5,6年ぐらいアーク3を飽きてはやり、飽きてはやりを繰り返していた。

 

アークシリーズはその後も鳴かず飛ばずだったが、私は精霊の黄昏も、急にアクションゲーになったジェネレーションズもちゃんとやった(面白いかどうかは別)。ワンダースワンのやつもやりたかったが、どこにも売っていなかった。あと、カジノなんちゃらもやっていない。こうやって書くと、古参気取りのクソにわか感が出てしまって悲しい。とりあえず私はアークは3が一番面白かったということを言っておきたい。

 

プレステと言えば、バイオシリーズだろう。あえて敵を倒さないというのは、本当に新鮮だった。2と3を借りて、かなりしゃぶり尽くした。意外と1はやっていないのである(数年後Wiiのリメイク版をやった)。

 

あとディノクライシスを小さい時に買ったが、本当に難しかった。知っての通り、初期装備が麻酔銃である。殺人猛禽類に対して眠らせるだけというのは、どうかしていると思った。そして速攻で売った。その7年後ぐらいに書い直して、ちゃんとクリアした。小学生であれをクリアできる人はいるのだろうか。書い直したのは、確か高校生とかだった気がする。

 

ゲームボーイアドバンスは、なによりロックマンエグゼシリーズが大流行だった。正直、スーファミロックマンは難しかったし、隠し要素も多かった。しかし、エクゼはアクション要素が少なく、むしろ戦闘前のフォルダ管理で勝敗が決していると言っても過言ではなかった。私は2から買いだしたが、3が至高だった。この辺から、私の「シリーズものは3が至高説」が現実味を帯び始めた。

 

2では、1であった、ファイターソード、ナイトソード、パラディンソード、フォルテ、ファラオマン、ドリームウィルス、ドリームオーラという最強コピペフォルダに規制が入ったため、かなりキッズそれぞれの個性が出るようになった。スタイルチェンジも相まって、戦略的要素が膨れ上がったように感じる。ちなみに私は、めちゃめちゃヤバイ攻略本に載っていた全国大会優勝者のフォルダを丸パクリしていた。

 

そして3はめっちゃ面白かったのに、4で突然の周回要素が現れクソゲーと化した。周りがレッドサン派が多かったのであえてブルームーンを買った。私はそういう人間である。テキストスキップがない周回は本当に苦痛だったし、ブルームーンのウリであるブルーススタイルが取れたのが3週目だったのも苦痛に拍車をかけた(しかもそんなに強くなかった)。

 

5ではもう愛想が尽きて買わなかったが、6を借りてやったらヒロインが可愛かったので、非常に使いやすかった。ありがとうカプコン。あとそれなりに面白かった。このあとエクゼシリーズは終わり、流星シリーズになるわけだが、私はゲームは買わないがアニメシリーズは見続けていた。だって委員長かわいいもんね。ありがとうカプコン

 

ゲームキューブは、唯一買わなかったハードである。というのも、すでにPS2のゲームを遊びきれていなかったのと、そんなに欲しいゲームがなかったからである。あとは、その当時にめちゃめちゃ通っていた友人宅にゲームキューブがあったので買わなくても遊べてというのが大きい。

 

そして私はこの友人宅にめちゃめちゃ入り浸ってどうぶつの森をやっていた。正直、これだけで個人を特定できるレベルでやっていた。今でこそ殺人ゲームばかりやっているが、ぶつ森のような牧歌的でデザインとセンス的なゲームも好きなのである。あと、ピクミン2を協力してやったり、ゼルダの伝説風のタクトチンクルとしてサポートプレイしたのも楽しかった(ゲームキューブゲームボーイアドバンスを接続して本編をサポートできる機能があった)。

 

あとは、大乱闘スマッシュブラザーズDXだろう。64も流行ったが、DXはもっと流行った。理由は、みんながあの頃よりちょっと大人になったからである。実質レバガチャ乱闘だったキッズたちが、飛翔弾をギリギリのバリアで跳ね返したり、Cレバーを駆使したり、溜め攻撃を途中で発射したり、腕前もさることながら、心理戦の要素がかなり大きくなった。そして白熱し過ぎて、逆に無言が支配する険悪なムードになることも増えた。

 

そういういざこざを無くしたのがPSPモンスターハンターPである。私はモンハン古参だったので、でかい顔をしていたが、プレイ人口が増えると、当たり前に様に自分より上手い奴や、やり込む奴が現れるのである。ただ、モンハンP2ndGを一番やりこんでいたやつは中学を中退していた。やはり、過ぎたるは及ばざるが如しなのだろう。

 

さてPS2だが、大変お世話になった。ラチェットアンドクランクシリーズやサルゲッチュシリーズ、スターオーシャン3なんかをやっていたが、何と言っても、大人と同じゲームができるというのが非常に魅力的だった。だから私は心の中で「ゲームキューブはキッズのゲーム、男は黙ってGTAだぜ」と思っていた。

 

そう、GTA3は衝撃作だった。ラジオでオペラを聞きながらイエローキャブで轢殺を繰り返すというのは、アラジンでリンゴを投げて戦っていた頃から想像もつかない体験だった。そして本格的なオープンワールドとチートコードというのも、なにもかも新しかった。GTAバイスシティは更にやりこんだが、その次のサンアンドレアスが出る直前でとある凄惨な事件が起き、販売延期(実質中止)、更には大人ゲームはキッズが買えなくなってしまった。まさかボーリング・フォー・コロンバインがマリリンマンソンのせにされる現象が日本でも起こると思わなかった。世論は本当にクソ。あの事件より前にヒットマンサイレントアサシンを買っておいたのは、本当に幸いであった。

 

このGTAとかヒットマンをやっていたぐらいの頃に、ミリタリーオタクとしての道を歩み始めるのである。銃は人を殺す道具である。しかし、道具である前に銃であるのだと感じたのか、銃そのものへの興味がものすごく沸いていった。ソーコムネイビーシールズとかデルタフォース湾岸戦争とかを楽しめたのは、ゲームそのもの面白さだけでなく、自分の趣味に合ったゲームをやっている感じが心地よかったのだろう。

 

そして、誰の勧めがあったわけでもなく、突如XBOX360コールオブデューティー4を買うのである。もう女子供がやるションべ臭いゲームはやらねえ。隣のクラスのやつともなんか張り合わねえ。俺は世界と戦うぜ。こいつとな(MP5SD6+UAVジャマー+デットサイレンス)。

 

 

そういうわけで、産まれた時からゲームはあったが、絶妙なカーブで大王道RPGをやらないものの、やや理不尽な古ゲームをプレイし、ゲームプレイそのものよりセクシャルキャラクターにモチベーションを見出したり、対戦プレイに疲れては、協力プレイでも別の疲れを感じ、ミリオタへの覚醒とコンシューマオンラインゲームの隆盛が共鳴し、その結果今日も、レインボーシックスシージの成績で一喜一憂し、負けては「もう二度とやらない」と毎日言いながら続けているのである(筆者のお勧めはアメリカとブラジルとスペインのおじさん)。

 

 

別に、FFとかドラクエが嫌いなわけではない。やろうと思えばやれるし、やりたい。しかし、それ以上に好きで得意でやりたいゲームが膨大にあるのでできない、できなかったというだけなのである。

 

PS3の話は特に面白いことがないので省略したが、今XBOX ONEに腰を据えたのは、当時遊ぶことができた全てのゲームを一通りやってみた結果、自分の苦手なこと、得意なこと、嫌いなこと、好きなことが自覚できたからである。これまでのゲームライフを振り返ると、ときめもはガールズサイドで守村エンドを見たし、逆転裁判も3までやってiOS版でもやった。ファミコンロックマン2もクリアしたし、デモンズソウルとダークソウルのトロフィーもコンプした。マリオRPGクリスタラーも倒したし、バイオ2でハンク編もクリアした。そういう色々があって今があるのだ。

 

それでも、スーファミぷよぷよはルルーが倒せなかったし、スト2のストーリは何回やってもサガットが倒せなかった。イニシャルDは最初の敵(声が岩田光央さんのやつ)にすら勝てなかったし、ウンジャマラミーは地獄編がクリアできなかった。幼少期にこういうことがあると、明確な苦手意識として刻み込まれるのである。

 

そのため、未だに格闘ゲームリズムゲームは本当にダメである。チュートリアル心が折れる。パズルとレースは、アションゲームで(なぜか)やらされることが多く、本当に苦痛になることもあるが、仕方なくやり続けていることで、苦手意識は減りつつある。特に海外のオープンワールドゲームは実質カーレースゲームと化していることが少なくない。車運転してーならForza Horizo買っとるわボケ。急にキレてしまった、申し訳ない。

 

せっかくの娯楽なのだから、苦手で嫌いなものを克服するより、得意で好きなゲームで無双した方が圧倒的に健康に良い。そいうわけで、おそらく一般の人よりは多くの、そして若干王道から外れたゲームをやってきた結果、FPSオープンワールドのTPSが好きで、得意だという結論に至ったのである。そして、これまで私がプレイした全てのゲームとそのクリエイターに感謝したい。特にスパイフィクションとバイオハザード4のクリエイターたちには大いに感謝したい。本当にありがとう。

 

 

 

そこでソーシャルゲームである。

 

食わず嫌いもいけないし、やらずに批判するのも良くない。氏いわく、虎穴に入らずんば虎児を得ずということで、初めてプレイしたのが、アイドルマスターシンデレラガールズであった。これを始めた理由としてはまあまあ長いストーリーがあるのだが、長いので中略したい。もう当時はTLでゲロクソ流行っていた。その時はすでにコンプガチャに規制が入り、トレードも個人間ではなくフリートレード方式になっていた。

 

色々あってクールPとして始めた結果、かわいいロリータが沢山いてよかった。そして、通常のプレイでは生涯手に入れることができない桁のスタドリで環境最強アイドルが売買されていることを知った。思ったよりハードな現場だと感じた。努力や研究や時間よりも金銭、課金、クレジット、全ての人間の叡智を金が超越する世界だった。でもとりあえず続けてみた結果、智絵里ちゃんと雪ちゃんのかわいいカードをトレードできたので良かった。後には何も残らなかった。

 

これに遅れて、同時進行でウエポンガールズというのをやっていた。武器とか兵器が擬人化されていて、B-2スピリットとかM61バルカンがめちゃめちゃ強いみたいな、現実の強さに比例したカードゲームだった。モバマスでは無課金プロダクションにしか入れてもらえなかったが、ポンガでは、課金もしている人もいる、全国で200位ぐらいのギルドに入ったのだ。

 

このゲームにも、同じカードをあわせて進化みたいのがあったのだが、限界の4凸するのに、同じカードが8枚必要だったのだ。ババ抜きの初手の数かよ。ということで、トレードが非常に盛んだった。逆に言えば、上手くトレードを重ねればそれなりに戦えるゲームだったのだ。しかし、途中で最上レアリティが更新され、最強カードはそこそこカードへ、私の主力カードは、突如雑兵と化した。鉄砲隊に初めて出会った武田騎馬隊の気分である。

 

しかし、辞めた理由はこれが原因ではなかった。ある時、ギルドで人員整理があり、更に、他ギルドと合流合体するという話が出てきたのである。そして、ある上位ギルドに合流したのだが、なんとその後のギルド間の対戦で全国一位になったのだ。ゲーム支えてるレベルのゲロクソ強い課金者がゴロゴロいる他ギルドを抑えての全一。ただ、その対戦では、私は何もしていなかったのだ。小さな弱小ギルドの時は、対戦で一喜一憂したり、時間ギリギギリでの駆け引きがあったり、みんなで協力してボスを倒したりがあったりで、参加している感や、自身の貢献度というのを感じれた。だが、一大勢力として下克上した今、自分の存在価値を失ったのだ。

 

イベントのボスは、イベント開始1時間以内に死んでいるし、ザコギルドは瞬殺。ギルドランクも最上位で、協力要素では、やることが無くなってしまったのだ。そこで急激に熱が冷めたのだ。もちろん無課金だったので、力量差が雲泥なのは当然ではある。泥と雲どころか、私のスピードがマイマイカブリなら、ギルメンフェラーリぐらい早かった。いてもいなくても変わらないところにいる意味はないのである。

 

ちなみに、初めた頃からメッセージをやり取りして仲の良い人もいたりした。こういうネトゲ的な交流は最初で最後だったが、悪くはなかったが、基本0か100な人間だし、割りとコミュ障なので、何も言わずやめてしまったことを悪く思っていたりする。ということで、シズキさん色々ありがとう、楽しかったよ、元気でね。

 

 

「もうクソカードゲーはやらねえ」と思って、アクション要素が強めな『ウチの姫さまがいちばんカワイイ』というラノベみたいなタイトルのゲームに手を出した。早い話、パチンコである。形式は(やったことないけど)モンストに近い気がする。カエルを引っ張って、壁に反射させて敵を殺す、かわいいお姫様がそれをサポートするみたいな感じである。

 

このゲーム、途中までは業績が悪かったのだが、「お尻がかわいいガチャ」とか「おっぱいたわわガチャ」みたいなピックアップ方法を取った瞬間、めっちゃ業績が上がり、なんとキャラにボイスまで付いたのだ。人間の性欲は本当に純粋で愚かだなと思ったが、看板ヒロインの声が推しだったので許した。後に、別の推しも声優として参加し、無銭月のカケラで回したガチャでそのキャラが出て、その話を接近で言えたので、ある意味一番有意義なゲームではあった。

 

わりかしサービス開始初期からやっていたが、エンドコンテンツが追加される度に高難易度化していき、それに合わせてプレイヤー側のスキルやパラメーターの追加、最上レアリティの更新やメインクエストのリセット(これが一番謎だった)があり、結局のところ、どんなに強いフレンドがいても、無課金王子では最高難易度クエストがクリア不可能になったのでやめたのだ。

 

しかし、これよりも割りと萎えたのが、謎のコラボ企画である。正直、ウチ姫のキャラは可愛いのが多い。オリジナルで十分戦えていたと思うし、途中からボイスも付いた。それなのに、とあるのレールガンとかまどマギとかボーカロイドとかハッカドールとかおそ松さんとか、繋がりが不明で、世界観ぶっ壊しのコラボの大洪水だった。マジでどういう層にウケているのか私にはわからなかった。こういう有名所とのコラボは結構萎える派である。しかも、コラボキャラのくせにやたら強くて、お助けフレンド欄がそれで埋まったりするのだ。俺はヴァイスシュヴァルツがやりてえんじゃねえよボケ。急にキレてしまった、申し訳ない。そういうわけで、ゲームの複雑化とコラボ過剰摂取でやめてしまった。

 

 

私が一番やたったソシャゲは、ガールフレンド(仮)だろう。ある時期の年末年始、テレビCMで鬼のようにやっていた影響で始めた。厳密に言うと、仲良し4人でSkypeでその話題になり、その場で4人で初めたのに、一番渋々初めた俺しか継続してやらなかった。ねえどういうこと?とりあえず推し声優が多そうなピンク色男子で初めた。3年ぐらいやって最終的に春宮つぐみちゃんが最高という結論に至った。

 

ルフレは、モチベの全てが「キャラカワイイ」に特化していた気がする。いや、カワイイというか、セクシャルといったほうが適切だろう。Appleの猥褻アプリ規制が厳しくなった時なんかは、多くのカードが顔のどアップだけになった。つまり、体つきや服装が猥褻なので顔しか表示できないということである。一昔前の脱衣麻雀のようだった。ガルフレは3凸だったが、エグいぐらい課金しても2枚目3枚目出ないゲーである(無課金なりの感想)。しかも他の彼氏(仮)とのトレードがないので、期間限定猥褻絵札は、翌年の同じようなイベントまで引くことができない。救済措置的に、収集物との交換はあったので、後一枚みたいな時はありがたく交換した(そしてシコった)。

 

ルフレは集金率が良かったのか、その後アニメ化した。5話ぐらいまで見た。アプリ版では自分の考えた速度でセリフを言っているが、アニメでは他のキャラとの掛け合いなので、喋るスピードを変えているみたいなことを内田真礼さんが言っていて、なるほどと思った。

 

そして謎のリズムゲーがサービス開始したのだが、ソシャゲ史に残るレベルのメンテ。メンテというか、雨季と乾季みたいな感じだった。もうずっと乾季。そして、プレイできたところで、私はリズムゲーが死ぬほど苦手なので、少しやってやめてしまった。

 

この頃から、リズムゲーから登場した別の学校の女子生徒が本編にも出るようになった。気づいたら知らん女が沢山いた。そういう子がイベントの報酬になっても、モチベが全くわかないのだ。いいからつぐみを出せ、そして揺らせ。できないなら去る。そして去った。

 

ルフレは、びっくりするぐらいイベントのシステムが同じものしかやらないのだ。更新するのは新規カードだけ。でもイベントでやることは一緒。モバマスは薄目でみると同じだが、表面上は多少工夫を加えましたみたいな感じだった。ガルフレにはそれすらない。イベントはひたすら同じ作業。ゲーム性としての新鮮さが0だった。乾物である。結局、新しいつぐみが見たいなら別にwikiみりゃいいなとなり、やめた。

 

 

上記4つとも完全無課金を貫き、2年以上継続してプレイしたが、やはりやめてしまった。これら以外にやったソシャゲとしては、FGO、ルナプリ、グラブルナナシス、ステ天、スクスト、バトガ、リトルノア、ドミネーションズ、はらぺこ勇者、あとアンドロイド携帯の時にやってたのは覚えていない。

 

ここで、「それはソシャゲじゃないんじゃないか」みたいな定義を争いたくない。とりあえず、「スマートフォンでやる」+「アプリの更新で終わりがない」+「集金できないと終了」するゲームはソシャゲだと思っている。母親が全てのハードをファミコンと言っていたのと同じである。薄目でみると、全部一緒なのだ。

 

 

モバマスを前にして「とりあえず実際にやってみよう」から6年ほど経った。自分なりの答えとしては、やはりソシャゲは自分には合わないということが分かった。

 

まず、終わりが無いというのは、本当に困る。XBOX ONEのゲームなら、実績を全部取るか、自分で諦めをつけてやれるところまでやれば終わり、ソフトを売ることもできる。他にもやりたいゲームは沢山ある。しかし、ソシャゲンにはそれがないので、他のを始めるには、現行のものをやめるしかない。どう頑張っても、2つが限界で、3つ目はいい加減にしかできなかった。

 

致命的なのはゲーム性のなさである。あったとしても、それはスーファミレベルのゲーム性である。そして、私は王道RPGをやってきていないので、コマンド方式の戦闘に悦びや戦略性を見出すことができないのだ。ガンガンいこうぜと指示するのではなく、自分で操作して殺しに行きたいのだ。レベルの低さ、装備の悪さは、自身のプレイヤースキルでカバーしたいし、実際にできるのだ。リオレウスぐらいなら、防具ナシでも殺せるぐらいには当時やりこんだ。しかし、ソシャゲではそうはいかない。プレイヤースキルはほとんど必要ない。強ければ強いほど必要無くなる。セオリーと必要最低限の数値だけあればいい。

 

そして、ゲーム自体が肥大化し、全容が把握できない。できたとしてもそこまで到達できないという点だ。追加に追加を重ねるエンドコンテンツは、一番やりこんでいる人たちが苦戦するようにできている。無課金では到底太刀打ちできないので、協力プレイでは邪魔者だし、対戦相手では赤子以下でゲームとして成立し得ない作りになっている。自分が遊べない、楽しめないコンテンツばかり増えていくのだ。 

 

もちろん、マジモン本気ウルトラガチの世界の戦いがどうなのかは知らない。もしかしたら、私が想像しているよりももっとハードで、緻密な駆け引きがあって、プレイヤースキルが必要なのかもしれない。雲の上に行ったことがないので、神の姿も、そこで何をしているかもわからない。

 

 

それで、別にそこに文句が言いたいとか、そういうわけではない。無課金じゃ遊びきれないのは最初からわかっている。そもそも、お客さんにすらなっていない。アイドル現場の無銭がっつきと同じだ。無銭がっつきはゴミ。ほぼ全てのソシャゲが同じようなシステムで成り立っているのは分かっている。

 

それでも自分でプレイしたのは、なんで流行っているかわからないからだ。もしかしたら、課金以外に面白いところがあるのかもしれない。そうじゃないと、こんだけ課金して永遠とやっているはずがない。そう思ったので、とりあえず色々やってみたのだが、結局のところ、よくわからなかった。

 

 

強いて言うなら、やはり「ネトゲの面白さ」なのだろうか。数あるゲームの中でも、ネトゲだけは通って来なかったので、理解できなかったのかもしれない。ネトゲとソシャゲの違いといえば、プラットフォームがPCからスマホになったことと、10本の指では足りないほど膨大なゲーム性を超簡略化してほぼタップのみで遊べるようにして、チャット要素が希薄になったぐらいだろうか。ネトゲをちゃんとやったことがないので、マジでわからない。

 

でも、日本でこれだけTwitterが流行らなければ、ソシャゲの隆盛も無かったような気がする。やはり知ってる人が回して引いているのを見ると、ちゃんと排出されるんだなというリアリティが違う。艦これの建造ブームの時は本当にウザかった。匿名のカキコミよりも、特定のツイートの方が説得力があるのだろう。

 

 

ゲームの一番良いところはゲーム性があるところである。そして、それは一番悪いところでもある。マップと敵とアイテムの配置を覚える、正確に操作する、相手の行動を先読みする、技の効果や装備の能力を比較検討する、それらが全てゲームで異なる。それが面白いのだが、普通の人々にとっては、ものすごく高いハードルなのだろう。

 

昔のゲームは単純だけど、とにかく難しかった。今のゲームは、難しくはないけど、理解しないといけないことが沢山ある。でもソシャゲは、とりあえず回して強いのが出れば最初はサクサク遊べる。いや、回したことがないので、実際は違うのかもしれないが、そういうイメージだ。

 

 

そして、寂しく思うのが、いまハードを買ってゲームをしているのが、ちょっと特殊みたいになっていることだ。付き合う人を選ばないとゲームの話ができなくなってしまった。その点Twitterは良いツールだが、正直めんどくさい人と遭うことも少なくない。やはり理想は、気の合う人と、共通のお題目の盛り上がることだ。お題目を共有できる気の合わない人はゴミでしかない。できるだけ視界から遠のけたいだろう(私はもう遠のけました)。

 

 

箱○クラスタなんて言っていたころは、学生時代に戻ったかの様に、一緒にゲームで遊べる人が沢山いた。しかし、ハードが更新して4年かそれ以上の月日が立つと、様々な理由から、もう二度と遊べないだろうという人も増えてくる。しかも、それとは関係なしに、自分の人間性に問題があってそうなってしまうこともあるので、本当に反省している。

 

だから、今でも遊んでくれる人には、本当に感謝しなくてはいけないのだろう。自分にとって、人とゲームをするというのは、かけがえのない意思疎通であるし、呼吸や日光浴と同じぐらい健康と生命維持に関わってくる要素だと感じる。この先あと何回ハードが更新して、自分の人間性ゆえに友人を無くすか分からないが、これからゲームと共に強く生きていきたいと思った。

 

 

どんなクソゲーであっても、良いところあるし、楽しい、面白いと思える瞬間はある。結果として、良い思い出として残る。私はできるだけ、クソだった事柄よりも、良かった事柄で、それを共有できる人と交流したいと願っている。それをソシャゲでは、やることができなかった。断続的に小さな達成感を得ることはできたが、満足感を得るまでには至らなかった。満たされないタップを続けるなら、私はその人差し指でRトリガーを引いて1キルを取りたいと思う。

 

繰り返すようだが、生涯無課金の自分が、作り手側が想定するプレイヤーでないことは分かっていた。だからそこには全く文句はない。女児アニメのシナリオにイチャモンをつけるのと同レベルである。

 

しかし、それでもその良さ、面白さがついにわからなかった。いくつかの女児アニメを見て感動して泣いたりはできても(例:ジュエルペットてぃんくる☆)、ソシャゲでは心は動かなかったのだ。

 

なぜ若者はソーシャルゲームにハマるのかこれからも考えていきたい。

自炊忘備録

備忘録と忘備録、どちらが正しいのだろうか。どちらでもない。

 

ささみで作った親子丼は非常に上手くできた。

母上直伝のカツ丼のノウハウをそのまま流用したので簡単だった。

しかも味が濃いので、美味しく感じるのだろう。

メントゥーユーと卵の相性は抜群である。

クラッシュギャルズぐらい。

 

昨日作った和風パスタもバチボコだった。

冷凍食品で非常に美味しいほうれん草とベーコンのパスタがあるが、あれを目指した。

フルマラソンで言えば、38km地点でリタイアしたぐらいの再現度だったが、かなり上出来だった。

ベーコンがあったが、もも肉を買ってしまったので、細長く大きめに切って、ささみ風とした。

もも肉風ささみの逆を行く、ささみ風もも肉である。

ただ、味付けに手間取り長く炒めたせいで汁気が飛び、パサつきがでた。

50代の肌である。

 

流行りの炊飯器煮物であるが、非常にラクであった。

基本鶏肉と大根、メントゥーユー、酒、醤油、塩である。

野菜が少ないと非常に味が濃くなる。

煮上がった後を予測して味付けは難しい。

追いお湯で味を調節するしかないが、負けた気になる。

 

ネットでみた、炊飯プラス煮物のやつもやった。

たけのこご飯は、味が薄くなってしまった。

ひじきの煮物ご飯も、味が薄くなってしまった。

しかし、濃いめで作るのは怖い。

薄くても塩や海苔でごまかせるが、濃い炊きあがりライスはごまかせない。

まあ薄いほうが減塩で良いのでしょうか、という意見もある。

しかし、薄すぎる味付けは、冷めたご飯並みに興ざめな部分もある。

味付けは奥深みが深い。

ディープアンドディープだ。

 

カルボナーラ、失敗した。

パスタ系の作り方は、麺を茹でておくパターンと、一緒に煮込むパターンがある。

後者を採用したが、煮込み(湯で)時間がや煮汁が少なく、最悪だった。

しかも牛乳ベースの煮汁なので、吹き出すと大惨事である。

フライパンが泡吹いたカニじゃ。

これ以降、パスタは別茹でして、ソースを作ったフライパンに投入方式にした。

 

パエリア、失敗した。

正直、フライパンでは均一に火が通らないと思う(当社比)。

パスタしかり、米しかり。

いきなりパエリアに挑戦したのが無謀だったとの意見もある。

素直にシーフードカレーにすればよかった。

香りや見た目はまあまあ良かった。

しかし、ほぼ生米の部分、戦前並の硬めな部分、現代的な柔らかさの部分様々だった。

ライスのサラダボウルである。

大フライパンをIHでやるのがオススメだよ。

 

カレーライス、失敗した。

早い話、水分が多かった。

片栗粉を投入すれば良かったが、見送ったのが誤りだった。

スープカレー風になると思ったが、現実は焦げ茶ベチャベチャ米だった。

インドの刑務所で出る料理だった。知らんけど。

初手からチキンカレーというのもトリッキーだった。

素直に豚で行けばよかった。

ちなみに関西では牛肉が主流らしい。

というか基本牛肉らしい。ここ数年で一番のカルチャーショックだった。

結構関西方面遠征してた割に、全然気づかなかった。

エスカレーターが逆とかどうでもいいから、こういうの発信して欲しい。

 

パンケーキ、非常に成功した。

というか、何もしていない。

市販のHM(ホットケーキミックス)←プロはこう略すらしい

に牛乳と卵を混ぜて炊飯器にぶち込んで炊飯、以上。

一回炊き上がっただけでは半生だったので、再度炊飯。

これでちょうどいいあんばいに焼けた。

焼き上がりは筆者のインスタグラムを参照して欲しい。

ただ、2人で食べるにしても若干量が多かった。

チョコを混ぜたり、バナナをしきつめるパターンもあるらしい。

パンケーキは奥深い。

ディープパンケーキである。

 

 

炊飯器で米以外を調理するのは非常にラクだし、ガス大節約になるし、待ってるだけで火加減の調節もいらないのだが、同時に米を炊飯できないという致命的な弱点がある。

 

そこで私は炊飯器2台体制を推奨したいのだが、その前にまず電子レンジが欲しいと思うのだった。

イライラしないで艦これしたい

キャンタイコレクシオンというゲームがある。

 

簡単に言うと、女で女を制するゲームだ。

 

そしてこのゲーム最大のミソは、死んだ女は帰ってこないということである。

 

我々人類は、ポキットモンスター以来、死んでもテンテンテレレンで生き返ることに慣れきってしまった。

 

21世紀にもなって、しかもRPG要素がメインのゲームで、死んだら帰ってこないなど、許されるのだろうか。

 

運ゲー、お祈りゲー、羅針盤ゲー、揶揄する言い方は様々だが、根本の問題は、死んだら帰ってこない、この点に尽きる。

 

 

キャンコレは定期的にイベント海域を繰り出してくる。

 

そして、3年ほど前だろうか、一番加熱していた時期では、キャンコレ関連のツイートを見ない日は無かった。

 

私は横鎮提督であるが、プレイを示唆するツイートをほとんどしたことがない。むしろ、そうるす人々を憎悪し、敵対しているように装っていた。

 

実際、トゥイッターでキャンコレ実況をするやつは嫌いである。

 

 

まあ、そうは言っても艦これは面白い。まずキャラがかわいい。そして、戦術性、戦略性に富んでいる。

 

もう長いゲームであるから、イベントでの嫌がらせ要素が非常に増えてきたように感じる。同時にプレイヤーに対する恩恵や攻撃手段も増えたが、むしろそれを使うことが前提条件であるから、正直やることが増えてめんどくさい感は否めない。

 

まずキラつけ。昔からある伝統的な方法である。私はしない。支援艦隊の旗艦にはするが、それ以外には基本的にはしない。

 

次に支援艦隊。出さなさい。ボスゲージ破壊のときぐらいは出すが、基本的に出さない。出さないとヤバい海域では出す。

 

航空基地、使わない。これが導入された当時離れていたので、専用の航空機が少なないのも理由の一つである。でも強いよね。たまに使う。

 

そして一番大事なこと。難易度をあげない。これに尽きる。

 

正直、難易度乙は、通常の人間がやっていいレベルを逸脱していると思う。それに全生命をかけて、どんなギミックだろうと、どんな歴史再現がこようと、どんな有効兵器があろうと、全てに対応できるぐらいゲームをやりこんでいないと、最新イベントの最上難易度には対応できない。

 

そして、勲章とは武勲を称えるものだが、勲章を得ることだけが武勲を称えることではない。

 

良いことを言おうとしたが、失敗した。

 

 

たしかにイベントをクリアするのには達成感がある。しかし、その達成感で、やっていたときのストレスが帳消しにできないのであれば、やめたほうがいい。世の中には、もっと沢山面白いだけのゲームがある。

 

具体的にはちょっと例が出てこないが、きっとあなたに合ったゲームがあるんじゃないかと思う。まずは探すことから初めて見よう。

 

世界の北野武の言葉を借りると、こんなゲームにマジになってどーするのということだ。ゲームはクリアしても誰も褒めてくれない。自分のためにだけ存在するものなのだ。

 

特にキャンコレは人と共有することができるゲームではない。低難易度で、無双するのがオススメだよ。

 

 

エイプリルフールを終わらせたい

3,4年前から、エイプリルフールが本気で嫌いになった。

 

別に、酷いウソに引っ掛かったとかそいうわけではない。むしろ、自分が引っ掛かること自体には、特になんとも思わない。

 

私がマジでキツいなと思っているのは、SNS上にはびこる、いわゆる「エイプリルフール警察」である。

 

「ウソついていいのは午前中までですよ」

 

「ウソがばれなかったらホントに実現するんですよ」

 

「海外では○○なんですよ」

 

彼らはことあるごとにこのようなたわごとを言って回っている。

 

なぜ彼らは、自分が信じて疑わないルールがエイプリルフール最大のウソだということに気づかないのだろうか。「○○好きなヤツに悪いやつはない」メソッドに通じるものがある。余談だが、北の国の金親子(初代と2代目)は寅さんファンらしい。

 

 

また、悲しいことに、世の中には冗談が通じない人が一定数いる。そして、某SNSは日常的にデマが出回っている(韻を踏んだぞ!)

 

そのためか、当該のウソツイートに「#エイプリルフール」とつけているツイートが散見されるようになった。そうしないとマジレスされたり、本気で信じてしまう人が少なからずいるのだろう。そうまでするなら、もうやるなよとすら思う。

 

テレビでビートたけしが粉や水を噴射しているときに、テロップで「全て演出であり、ビートたけしはわざとふざけています」と表示しているのと同じだ。

 

更にややこしいことに、最初はウソを装っているのに、最終的にはホントでしたー!のパターンもある。非常にややこしい。

 

極めつけは、本当のことなのに、日付のせいでウソだと勘違いされるパターンもある。

 

一昔前は多少は面白い日であったが、この大SNS時代では害悪の方が大きいように感じられる。あと、もっと根本的なことを言うと、普段対してセンスの無い人のウソは、マジで面白くない。別に無理してウソ付く必要ないと思う。せめて、「相撲見に行ったときトイレ入ったら隣の小便器にデーモン小暮閣下が来て連番になった」くらいのウソにして欲しい。

大解剖!一発屋芸人面白さのシステム

今日みんなに集まってもらったのは、いわゆる一発屋芸人と呼ばれる人々が、なぜ一発当てることができたのか、その芸の解説を聞いてもらうためである。

 

 

最初に私の持論として「お笑いとは、システムである」と宣言しておきたい。「ネタ」と呼ばれる芸には、人が必ず笑ってしまうシステムが組み込まれている。そのシステムが破綻している場合、人を笑わせることはできないのだ。

 

しかし、このシステムは、人に伝わって初めて意味を成す。昨今の散見される、独特の世界観を武器にしたコントや、若い女性向けのピン芸はその典型である。ターゲットから外れたり、あまりにもシュールすぎると、そのシステムが理解できず、笑うことができないのだ。

 

このシステムを非常に単純明快にして、誰でも理解できる、つまり、ほとんどの人が一定程度笑えるように作られた芸をしているのが、いわゆる一発屋芸人のみなさんである。

 

先に断っておくと、私は一発屋芸人と呼ばれる人々にあくなき尊敬を抱いている。侮蔑や嘲笑といった気持ちは一切ない。むしろ、なぜ彼らが一夜にして芸人の頂点に上り詰め、一発当てることができたのか、そのシステムの素晴らしさを説きたいのだ。

 

 

では早速その素晴らしい一発屋芸のシステムを解説していきたい。

 

まずは、「第1回 一発屋オールスターズ選抜総選挙 2015」の初代王者であり、私がもっとも好いている芸人、髭男爵である。

 

まず、見た目からして貴族とその執事という分かりやすい設定がある上に、ネタの前に「貴族のお漫才」と説明がある。ネタの大まかな流れとしては、ボケであるひぐち君が喋る、男爵様が振る、ひぐち君ボケる、男爵様「○○やないか~い」とワイングラスで乾杯をしてツッコむ。非常にスタンダードな漫才のシステムだか、やはりこの貴族感というのがよい。ほぼ全てのツッコミが「○○やないか~い」の形を取っているので、笑いどころがハッキリしている。

 

ほとんどの素人は分かっていないのだが、お笑いというのは、ツッコンで初めて成立するものなのだ。どんなにボケがカスでも、ツッコミ1つで笑いの大きさは変わるのだ。

 

髭男爵のそれは「ツッコミ漫才」と言ってよい。100%ツッコむことでネタが成立している。タカアンドトシやオードリーの漫才もこれに近い。更に髭男爵は、男爵様が笑顔で「○○やないか~い」とツッコみ、突っ込まれたひぐち君も(なぜか)笑っているので、更に笑いどころが分かりやすく作られているのだ。たまに、キレながらやるネタや、ほとんとケンカみたいなコントがあるが、あれは子供やお年寄りには全くウケない。ただただ怖い。一方髭男爵は笑顔である。これが非常にウケが良いのだ。

 

また、ひぐち君ネタが展開することを言うと、男爵様が「事情が変わった」と、「はい今話進みましたよ、次の展開行きますよ」と示唆しているのだ。非常に分かりやすい。更にひぐち君には「ひぐちカッター」という、全ての時空を切り裂くここぞというときの一発ギャグを持っている。

 

このように、髭男爵のネタは、とにかく分かりやすくキャッチーなのだ。貴族と執事、ワイングラス、「○○やないか~い」、極端な話、これさえやれば髭男爵の体裁は整う。非常にシンプルだ。老若男女、誰にでも伝わるシステムで、ネタ自体も分かりやすい。髭男爵は全年齢対象なのだ。

 

 

次に説いておきたいのは、クールポコ。である。「な~~~~にぃ!?やっちまったなぁ!!!!」のフレーズで一世を風靡した。

 

餅つきという、日本の伝統的なスタイルをまとっている。既に異常である。そして、もちをこねる係りのせんちゃんが、通常漢(男性)らしくない行動をしている人を揶揄する。すると、持ちをつく係りの小野が「な~~~~にぃ!?やっちまったなぁ!!!!」の後に、本来日本男児が取るべき行動を言う。結びにせんちゃんが一言添えるというシステムである。

 

まず、せんちゃんの言うことは、普通のこと、もしくは、なるほど確かに一昔前の感覚では女性っぽい感じ程度のことである。そこに、通常考えられないレベルの男性的行動を小野が言うわけだが、これがボケになっている。小野の言うことが「いやそんなやついないだろ」っていうぐらい異常であれば異常であるほど、ボケとして際立っていくのだ。

 

これは、お笑いのシステムでもっとも重視されるべき「裏切り」という要素である。地球のほとんどの笑いは、この「裏切り」で作られているといっても過言ではない。

 

せんちゃんの言うことは、つまり「フリ」に当たるわけだが、この時点ではまだ、このあと小野がなんとボケるか全く予想ができない。そして、案の定予想や想定を裏切る、通常の思考回路をぶっちぎったことを言ってくる。これは、どうしても笑ってしまう。

 

もちろん、フリに対して、裏切りボケをするのは普通なのだが、主役がボケというのが、クールポコ。のシステムなのだ。先ほど私は「お笑いというのは、ツッコンで初めて成立するものなのだ」などと言ったが、クールポコ。の場合、小野が喋った時点で成立しているのだ。これは素晴らしいの一言に尽きる。

 

もちろん、小野のボケの後にせんちゃんが一言ツッコミを添えるが、そこまで重要ではない。小野がボケた時点で、既にオチているからである。なぜか。

 

お笑いでもう1つ重要な要素がある。それが「大声」である。実は、世の中のほとんどのことは、大声で言うだけで面白く感じるのだ。なぜなら、普段大声を出すやつなどいないからである。一般社会において、「大声」を出すだけで、既に異常者なのだ。最近であれば、ハリウッドザコシショウサンシャイン池崎がこれである。アホみたいな話だが、人がでかい声で叫んでいるのは、面白いのだ。

 

さてクールポコ。小野は常に大声である。まず、ボケの前の「な~~~~~~にぃ!?」これが面白い。顔芸も入っているので、非常に引き込まれる。そして、その後に大声で、ある意味しょうも無いことを言うのだ。ウソみたいなことを大声で当たり前のことのように叫ぶ。謎の説得力が発生するのだ。「謎の説得力」これがクールポコ。の面白さの核である。

 

見てのとおり、小野は非常に古来の日本男児らしい風貌をしている。スキンヘッドで上裸でねじりハチマキでモモヒキで、顔にもインパクトがある。そんな、明らかなる日本男児が、本来男が黙ってやる行動を大声で提唱している、これには非常に説得力がある。

 

小野のボケはボケでありながら、なぜかボケているようには感じられないのだ。つまり、茶番感、嘘臭さがないのだ。むしろ説得力するらある。だから滑らない、しらけないのだ。ゆえに、それに対する強いツッコミが必要ないのだ。このシステム、クールポコ。にしかない唯一無二のシステムである。

 

 

続いてバンビーノ。言うまでも無く、例の「ダンソン」のリズムネタでお馴染みである。一発屋のほとんどは、リズムネタのシステムを活用している。

 

まず、あの歌「ダンソン フィーザキー トゥーザ ティーサーザ コンサ」(出展:wikipedia)であるが、冷静に考えて意味不明である。後述する8.6秒バズーカもそうだが、意味不明なカタカナの羅列は面白い要素の1つである。この意味不明な歌、そしてあの前後にステップする動き、寄せられる二足歩行の鹿、オチに「ニーブラ!」と謎の言葉を発し、神秘的なBGMが流れるという、全てが意味不明な動作の連続である。

 

TBSの『水曜日のダウンタウン』という神番組で、「ダンソン」では実際の鹿は寄ってこないという実験結果を放送していた。常識的に考えて、実験するまでもなく、どう考えてもあの動きと歌では鹿は寄ってこない。しかし、あの鹿はリズムに乗って寄って来てしまうのだ。ありえないことだ。そして、素手で首を折り捕まえるという、非常に原始的な狩猟方法である。現実にはこんなことは起こりえないが、それが起きる、ただ、ちょっとありそう、というのがミソのネタである。

 

なんと言っても、やはりあのダンソンのリズム、あれが秀逸だろう。一度聞けば忘れることは無いだろう。しかもマネしやすいというのもポイントだ。前述の髭男爵とクールポコ。は、真似ようとしても、簡単にはできない。システム自体は単純だが、再現性はやや低い。しかし、ダンソンは、最低でも鹿の被り物さえあればできてしまう。

 

この再現性の高さこそ、一発屋一発屋たらしめる大きな要因なのである。

 

余談だが、つい最近、初めて生でバンビーノのネタを観たが、非常に面白かった。生のダンソンはモニター越しに見るそれとは、迫力が全く違った。ほぼ全ての一発屋芸人に言えることだが、やはり生の迫力というのは、すさまじいものがある。在宅はクソ。

 

 

ダンソンに類似しているのが、8.6秒バズーカである。

 

赤いシャツとズボンに黒いネクタイ、サングラス。分かりやすい見た目である。そしてあの歌、「ラッスンゴレライ」である。上述したとおり、意味不明なカタカナの羅列である。更にこのあと、「ラッスンゴレライ」の説明をしないまま「スパイダーフラッシュローリングサンダー」が登場してくる。先ほどの「ラッスンゴレライ」とは対照的に、すぐに英単語の連続だと理解できる。「蜘蛛、閃光、回転、稲妻」バーズカMIXとでも名づけようか。意味はわかるが理解はできない。

 

「ラッスンゴレライ」のネタのポイントは、一方が「説明して」と言ってくるが、説明できないという点である。説明をするネタなのかと思いきや説明しない。これはレーザーラモンRGのあるあるネタに近いものがある(「早く言いたい」と自分で言っておきながら言わないというネタ)。ただ、RGのネタはオチとしてあるあるを言うわけだが、8.6秒バズーカは最後まで言わないことを貫くわけだ。個人的には、これはマイナスポイントであった。

 

ただ、真似し易いという点においては、良かった。正直、サングラスかけて、これ言ってれば成立するからだ。セリフの量も少ないし、BGMも不要だ。再現性が非常に高い。それなのに、8.6秒バズーカが、8.6秒しか持たなかったのは、「ラッスンゴレライ」が出オチだったからである。「ラッスンゴレライ」って言う、面白い、以上。なのである。言って終わり、後にも先にも、このネタにはこれしかないのだ。だから長続きすることができなかったのだ。

 

 

藤崎マーケットは、リズムネタではあるが、多くのそれとは、若干相違がある。

 

日常にありそうな風景から、突如エクササイズが始まるというコントだが、リズムは常に「ラララライ」である。しかし、毎回そのショートコントにあわせた動き(エクササイズ)をするので、厳密に言うと、これはリズムで笑っているというより、動きで笑っているといった方が正確である。しかも、そもそもが、「そんなところで急にエクササイズするなよ」というボケでもある。ヘアバンドにタンクトップ、そしてスパッツとステレオタイプな分かりやすいエクササイズスタイルではあるが、ネタごとに動きが変わるので、再現性は低いといえる。

 

 

一方、レギュラーは完全なリズムネタである。

 

リズムに乗せて「あるある探検隊」といいながら、あるあるじゃないことを言うというネタである。こうなってくると、ある意味シンプルだ。「あるある」と言いながら「ないない」を言うというのは、一種の「裏切り」に当たる。もちろん、普通にあるあるネタを言う場合もある。リズム部分はわかりやすいが、ネタの本筋はあるある(ないない)を言う方なので、再現性は低い。

 

 

一発屋界でもトップクラスの実力者であるのが、小島よしおである。

 

「でもそんなの関係ねえ」が特徴的なリズムネタであるが、全てが「でもそんなの関係ねえ」に帰結するので非常に分かりやすい。そして、あの拳を突き下げる独特の動きもつければ誰でも真似できる上に、オリジナルのネタでもいけるという点が優れている。

 

基本的には、「正直関係ある」ことを最初に言うのが条件である。ほとんどの場合、不幸なことや自虐的なことを言うことで、「でもそんなの関係ねえ」に繋げることができる。失敗や不運も、これ1つで笑いに昇華(消化)することができる魔法のシステムである。正直なところ「関係ねえ」とは言い難いのに、あえて「関係ねえ」と強がる、無視する、異常者になる、というのが笑いどころである。これは誰でも理解できる論法だろう。これは非常に再現性が高い。ビキニパンツ一丁になれば、さらにそれらしくなる。

 

さらに、ネタの導入である「下手こいた~」もわかりやすい。最初にあえて失敗することで、その後の「でもそんなの関係ねえ」にスムーズに繋げることができるのだ。真似る側も見る側も頭を使う必要がない、非常にシンプルなシステムである。

 

 

 

以上のように、一発屋に必要な要素は2つ。まず、誰にでも笑いのシステムが伝わるシンプルさ。そして、真似のしやすさである。

 

正直なところ、世の中のほとんどの人は、お笑いの仕組み、システムを理解していない。しかし、ここまで単純化され、システムが理解しやすいと、多くの人が笑うことができるのだ。そして、真似し易いと、すぐに飛びついてくるのだ。

 

一般の人々が、一発屋芸人のネタを真似るのは、自分自身では笑いのシステムを使って人を笑わせることができないからである。別に、それが悪いとかどうとか、そういう話ではない。誰もが知っていて、その当時なら確実にウケる手段があるのだから、それを使うのは、妥当なことだ。ただ、そのときに忘れないで欲しいのは、それは他人のフンドシであるということだ。少し前までその芸人が苦難の末に生み出したシステムにタダ乗りしていたくせに、時期を過ぎれば「あいつは一発屋」だ「もう消えた」だ後ろ指差しているわけだ。私はそれが非常に腹立たしい。

 

ほとんどの一発屋は、モニター越しに見るのと、実際に見るのとでは、全く言っていいほど違う。一発あてている人は100%面白いのだ。そして、地球上のほとんどの人は、1発も打ち上げることなくしぼんでいく運命にある。どうか、素晴らしい一発屋芸人たちに尊敬の気持ちを忘れないで欲しいというのが私の願いである。

 

 

ついでなので、今売れている芸人についても書いておきたい。

 

ブルゾンちえみは、リズムネタとあるないネタ、2人の男がいる場合はコントでもあるが、基本は漫談である。男性の数35億とか細胞の数60兆は、誰も想像していなかっためちゃくちゃデカい数字を言うというボケである。また、ほとんどが反語(するだろうか、いやしない)の形をとっている。これが非常に分かりやすい。ネタのベースが「できる女、キャリアウーマン」であるから、女性ウケが良い(童貞やオッサンではあまり笑えない)。個人的にはにしおかすみこに近いものを感じる。同じことを2回言う、ゆっくり言うなど、間の使い方が絶妙である。また、本人にその意識があるかわからないが、ボケたときに顔芸もしているので、この部分が局地的に真似し易いというのが良かったのだろう。

 

サンシャイン池崎ハリウッドザコシショウは、前述したが、大声だから、という点に尽きる。正直、この2人のことを真面目に考えるのは、この世で最も滑稽なことだ。あえて言うなら、サンシャイン池崎は、ネタの作り・構成は非常に真面目で筋が通っている。恐らく根は真面目なのだろう。若干滑舌が悪いが大声で誤魔化している。ハリウッドサコシショウは、時代が追いついてきたとしか言いようが無い。

 

永野は、一度も笑ったことがないので、正直何がウケているのか全く分からない。

 

以上である。